似合う色を知って素敵に輝く!

 

NPO法人色彩生涯教育協会

インストラクター

パーソナルカラーアナリスト

 

カラーサロン ファーファリューリュ

小森 美智恵です。

(サロンは横浜市、相鉄沿線にあります。)

 


私がパーソナルカラーアナリストの資格を取ったのは、2022年の10月。


還暦目前。(10月生まれなので)


資格を取るべく学び始めたのはその2年前。


途中、色彩検定一級を受験するのに集中したりして、少し時間がかかりましたが、


それでも、CLE(色彩生涯教育協会)では、数時間、数ヶ月学んだだけで資格が取得できるほど簡単ではありません。


「簡単ではない」と言うか、基本からみっちり学ぶので、短時間では取得できない、と言うことですね。



さて、そんな私は、生まれも育ちも神戸。


神戸出身と言うと、


素敵な所ですね、とかオシャレな所ですね、


などと言われることが多いですが、


実際に、ほんとーに!素敵で、オシャレな街です。(最近元気がないけど)


「流行りを追わない、きちんとした物をきちんと着る」そう言うオシャレさが神戸にはあるのではないかと


帰省を繰り返して来て、最近そのように思うようになりました。



そんな神戸に生まれ育ったせいか、私は子供の時から今に至るまで、全く流行りの物に興味が無く、


独自のファッション感覚を持っていたような記憶が、、、、、、蘇って来ました。


見つけ出して来た中学生の頃の写真


制服ではなく、卒業式用でもなく、気に入ったので買ってもらったスーツ。下はスカート。


当時ちょっとこういう渋めのスーツスタイルのが流行っていたように思います。


ただ、シャツやネクタイは自分で選べるようになっていて、


茶色いシャツに、緑のネクタイという、渋すぎるチョイスが、


本当にかっこいいと心底思って、お出かけの時はこの服、よく来てました。


こちらは高校生の頃かな?


やっぱり、当時としても高校生が選ぶスタイルではなかったと思います。おばさん的っていうか、、、。


もちろん普段着はそれなりに中学生、高校生、、、していましたけど、


幽霊部員であっても美術部所属。どこか「美」に対する独特のこだわりがあったのかな?


ただ、、、、ファッションやメイクは好きな分野ではなく、


だんだんと「なんでもいいや」主義に突入して行きまして、


流行りも追わないけれども、自分のこだわりもない、化粧もほとんどしない、


という20代を迎える事になりました。


ただ、アルバムを紐解くと


ほぼほぼ自分の似合う色を外してない。


真っ赤なジャケットやベビーブルーのジャケットなどを着ていたし、


ロイヤルブルーのカーディガンを着ていて、「いつもオシャレですね」と言われたり。

「えっ、これ妹のお下がりやけどね」とはバラさなかったけれど。

(服好きの妹のお下がりはよく着ていました)


それでも、カーキのワンピースを買って、一度着てやめた、というのもあったり、


カシミヤのキャメル(色)のコートを大枚はたいて買って、ほとんど着ないで、去年娘にあげるまで30年以上箪笥の肥やしにしていたり、


振り袖でオレンジ色を買ったり、ウエディングドレスで生成りを選んだり、と


ここぞという時に自分の色を外して来た独身時代の私。


同じく生まれも育ちも神戸の夫と結婚してからも、


右から緑、赤、ピンク、紫、ブルーベースを好んで着ている私。


主人とディズニーランドに行って血迷ってミッキーが描かれてるオレンジ色のトレーナー買ってみたり、

というのもありますが、


基本私のチョイス(好み)はブルーベースの「似合う色」だったかも。




そんな時(35歳くらい?)、初めてパーソナルカラー、なるものを体験する機会がありました。


お友達の知り合いが、近々資格を取られるらしい。見てもらおう。と三、四人で体験したのは、


今から20数年前。


全く何もわからない状態で、


オータムと診断をいただき、ベストカラーはオフホワイト、、、と言われたと記憶しています。

(当時はベストカラーとかって、一番似合う色を決めてもらったりしていたような)


今なら私はオータムが似合う人ではないし、オフホワイトはオータムの色ではないとわかるけれど、


当時は、なるほど、とカラーの世界に感心しました。


ただ、その時はなるほど、という感想でけで終わったのですが、火種は残り、、、、


数年後、仕事関係で知り合った方のお宅で、カラー診断のチラシを見て、


そちらのお宅の方のお知り合いがカラー診断をされる、というのを聞いて、


「本気」で診断してもらう事にしたのが、今から20年前。


結果は、サマータイプ。オータムじゃなかった!


元々手持ちの服がブルーベース(サマーやウインター)の色が多かったので


自分のクローゼットの中から、診断の時に購入したサマーの「色見本パレット」にある色を選んで着るようになったら、


仕事先で大好評!「小森さんがなんか変わった」と。


実は今までも着ていたんですけど、、、、。


きっと「私はこの色がとっても似合うの!」という思いで着ている内側からの力が働いたんでしょうね、


私の変化を見てカラー診断をする人が周りに続出。


その度に診断士の先生の所に連れて行って、友人知人が診断してもらっているのを見学。


行く度にとても勉強になったし、


カラー診断ってとっても大事!


みんなもした方がいいよ!!

  

という思いが強くなって、


以来、どこにいても、道を歩いていても、


人が似合う色を着てるかどうかを、ずーーーーっと気にしながら生きて来たような気がします。


「あの人もっと違う色を着れば若々しくなるのに」とか、

「どうしてお年寄りはみんな同じような(地味な)色ばかり着てるんだろう」とか


けれども、自分が診断士になろうとは、これっぽっち(1%か?)も思わなかったのです。


ただ、


どうせ服着るなら似合う色着ようよ!

 

という精神はその時定着し、20年後に遂にやっとこさ自ら診断士の道を歩む事になるわけです。


そして私は、「サマー」の色が似合う女、と思って20年近く、


エレガントさとソフトなブルーベースカラーを求めて生きることになりました。



数年後40歳半ばで、夫の仕事の関係で上海に住む事になりました。


上海勤務が終了すれば神戸に帰るのか、と思いきや、


5年後横浜へ移動となり、、、これは上海に行く時よりも大きな衝撃でした。


神戸に帰れないのぉ!?


そんな横浜生活も10年を超えて来ました。


そしてこの、上海と横浜の生活が、CLEを知りCLEにてカラーの資格を取るきっかけになりました。




上海生活2年目から、自宅でパンやスイーツを教えるお教室を開く事になりました。


息子がお友達の家に遊びに行くのに、ケーキを持たせたのがきっかけでした。


「作り方を教えて欲しい」との一言で。


上海生活一年目は知り合いが一人くらいしかできなかった、極端に人見知りな性格の私なのですが、


教室を開いてからはたくさんの方々と知り合う事になり、


レシピを考えたり、パーティを準備したりと、


本帰国の直前までの4年間、とても楽しい経験をさせていただく機会になりました。


そして今その経験を月一回の「元気になるお茶会」で活かせています。


お茶会が今後、たくさんの方々の交流の場となるように、と願っています。



その上海当時「上海でのお教室」繋がりのブログを、いくつか読ませていただいていたのですが、


その中に、10数年後に私のカラーの先生となる市村知絵先生のブログがありました。


そして丁度その頃、CLEの会長である、高田裕子先生が、上海でカラースクールを立ち上げられました。


私は高田先生のカラースクールとは無縁でしたが、


市村先生のブログから、先生がカラーを習い始めた事、資格を取られた事、色彩検定一級を受けられて合格した事などを読み、


先生のブログがだんだんにとっても彩られて一層イキイキされていくのを目にしていました。


そして本帰国、横浜生活を始める事になりましたら、


なんと、市村先生も本帰国、それも横浜に住まわれる事がわかりました。(全てブログを通して知った事でお会いした事は一度もありません)


奇遇〜!ブログはその後も読み続け今に至ります。



50歳を目前に始まった横浜生活。もちろん私は自分の似合う色を意識して色選びをしていましたが、


ある時の写真を見て愕然。


なんじゃこのチョイスは!


先に書きましたように、基本私は化粧もしないし、着る物にもブランドにも拘らない人間なんです。


でも、色、色さえ似合っていればなんとかなる、っていうかズボラさもカバーされると思っていたのですが、


なんだ?このセンスの無さは!


似合う色は外していないかも知れないけど、なんかちゃうでしょう?何があかんの?(全部や!)


「どうも、ダサいな」というモヤモヤを抱きつつ、これから数年後、


遂に、私は行動に出ました。



私よりかは数段、色とファッションのセンスがある次女、美術系の大学を出て、結婚して暇してる次女を、


市村先生のところに送り込み、


カラー診断士の資格を取ってもらい、私のお抱えコーディネーターになってもらおう、と思いつきました。


なぜ自分でなくて次女に資格を、と思ったかと言えば、


アラカンにさしかかった私が今からファッションに深く関わる(興味がない分野よ!)資格をとっても意味がない。


それより、こんなに人に喜んでもらえる、役に立つ資格は、若い人に取らせた方が、


これからの彼女自身の為にも周りの人の為にも良い!と思ったから。


かかる費用は全額出してあげるから頑張って!


と市村先生の所に連れて行きました!(当時の先生のブログから。私は顔隠し。2019年夏。10数年経ってフォローしていたブロガーさんと初対面!)



しかーし、娘、「おめでた」でつわりが始まり、美色コーディネート講座(色の基本講座)の、初級中級で断念。


断念する?!私なら妊娠しようが出産しようが頑張るけど!


と思いましたが、それは彼女の選択。私の選択ではない。


人に夢を託すというのはなかなか難しいものです。



残念ながら、、、、と私も諦めましたが、


しばらくして、ある時、


天の声を聞いたのです。


「今のあなたが人生の中で一番若い」と。


もっと若い頃に聞いたこの言葉は、


老齢のご夫婦がこう言って励まし合って生活しているという場面で、


全く意味が理解できなかった、というかピンと来なかったのです。


いつだって若い人が聞いたらそうでしょう。


私、アラカンになって、その時初めて「今が一番若い」というのを雷が落ちたかのように、、、とはちと大袈裟ですが、


痛感したのです。


今しかない、今ならできる、諦めることなんてない、


思い通りにいかない人(娘)を頼るんじゃなくて、


自分でするんだ!色の勉強を!


と即刻決意して、次の日市村先生に連絡。


先生は娘を連れて行った最初から「ママじゃなくて娘さんなの?」と言っておられましたが、


「やっぱり自分で学ぶべきよ」と、ちょっと遠回りした私を笑って迎えてくれました。



好きなことを学ぶのは楽しい。


先生はとにかくよく褒めてくださるし、仲間もできたし。


仲間、そう、ともに学ぶ方々がいて、色彩検定にも挑戦しました。



そして、


還暦を目前に、ついに、パーソナルカラーアナリストの資格をいただきました。



途中、私はサマーではではなく、ウインターの色が似合うという事が判明しました。


エレガントに、淡い色でまとめるのではなく、


はっきりしたブルーベースの色で、カッコよく決める方がいい。


確かに、、、、昔から、濃いめの色を着ると褒められたり、かっこいいと言われる事がありました!


そしてCLEでは「カラーアンソロポロジー」で、自分の内面も見ていきますが、


そのサマータイプの特徴にも納得。


色の世界は、広くて深い!


そしてとても楽しい!



高田先生は、インストラクターになるための講習の最後に、


「皆さんが学んで取得したカラーの資格は、素晴らしいスキルです。


仕事として取り組んでいく事ができるし、、、、


お仕事にしなくても、あなたが「裸族」にならない限り一生自分の役に立ちます」


とおっしゃったのが印象的でしたが、


そう、私たちは「裸族」ではない、「裸族」にはならない、なれない、、、、ずっと私たちは着る物その他、「色」を選んで生きていくのです。



かっこいい言葉は言えませんが、


どうせ着るなら似合う色着ようよ!


という変わらぬ精神で、


これからは似合う色を探してる方にアドバイスできる立場として、


お役に立ちたい!と心から思っています。


今のかっこいい私の写真は準備中です!お楽しみに!



長いプロフィール、最後までお読みいただきましてありがとうございました。


この記事に関してだけのお願いですが、最後まで読んだよ、という方、よろしければ「いいね」を押していただければ幸いです。

















 

 

 

メニューの案内はこちらから

 

 

 

自宅サロン/横浜三ツ境

 

お問い合わせ、お申し込みはこちらから