ここ最近、龍が如く7外伝をやっていて、まあちょこちょこ進めていた。中断後に表示される進捗状況を見てたら、ああこれそんなにボリュームはないな、というのがまあわかってしまうのだけれど、特に気にせずプレイしていた。

 

 そして物語も佳境を超えて、とうとうラスボス前の最後のセーブという状況までにきたわけだ。その日の俺は酒を飲みながらプレイをしており、最後のセーブの時にはすでにベロンベロンでこれ以上のプレイは支障が生じるなと判断し、その最後のセーブでいったん終了し、翌日の日曜日に改めて素面の状態でクリアしよう、と決めてそこで終わることにした。

 

 詳しい記憶は正直定かではないが、それからすぐに寝たように思う。酔っててそのあたりの記憶が定かではない。とにかく次の日に目を覚まし、しばらく家の用事を済ませさあやるか、と俺はPS5を起動させる。

 

 最後のセーブデータを読み込むと、クリア後の世界をプレイできますみたいな表示がされるわけだ。そこでまず最初におぉ!!??と思うわけだ。おかしい、俺はラスボス前のセーブでプレイを終えたはずだか・・・

 

 しかしどう見てもすでにクリアしている。どうやら一度中断したあと再び起動させ、酔った状態のままクリアしてしまったらしい。記憶は全くない。それなりに感動する話が回想で繰り広げられているが、俺は正直全くそこに入っていけなかった。

 

 恐ろしい。ただただ恐ろしい。クリア前でわざわざセーブして明日の俺に託したはずが、実はすべて己がことを成し遂げているのだ。

 

 酒というものはいかに人を壊していくのかがよくわかる事例だと思う。

 知られてそうで知られていないマイナーメジャーで連載終わった漫画で間違いなく面白い漫画。正直もうストックは尽きた。ということで連載が終わっていない漫画も紹介したい。まあここから駄作になることはないだろうという願望も込めて。

 

 さて、寿エンパイア。何漫画かと言うと寿司漫画である。料理漫画は大別して料理関連全般にまつわる人たちの人間模様を描く漫画と、少年漫画的に勝負勝負を繰り返す漫画の2種類がある。前者の有名漫画で言えば美味しんぼだとか、大使館閣下の料理人だとか近年ネットミームになりつつあるラーメン発見伝だとかがそれに当たる。

 

 後者で言えば鉄鍋のジャンだとかビッグ錠の漫画だとか、ミスター味っ子だとか、過去にこの漫画紹介で紹介したきららの仕事になってくるわけで、この寿エンパイアは間違いなく後者の漫画である。基本的に困難・トラブルは寿司勝負で解決していくスタイルなわけだ。

 

 正直この料理勝負というスタイル、嫌いじゃない。むしろ好きだ。美味しんぼでも一応至高対究極という料理勝負が繰り広げられていたが、はっきり言って判定方法があいまいすぎて勝負の体をなしていない。例えば雄山の卵料理のほうが美味かったが、山岡の卵料理を雄山の卵で作っていたら結果は違っていたから引き分け!とか、料理勝負は後攻のほうが有利やから雄山のほうが美味かったけど究極が先攻で不利やから引き分け!とか、ちょっと待て!!!と思わず言いだしたくなる結末ばかりである。

 

 当然この漫画はそんなバカげた判定もなくより美味いと判断された寿司が勝っていくわけでそこでのストレスはない。というか基本的にそんなストレスは美味しんぼ以外に感じることはないのだが。

 

 とにもかくにも基本的に勝負勝負と繰り返す、フォーマットは少年ジャンプのバトル物になっているわけだが、まあこれまたバトル物のテンプレのように色んな敵キャラが出てくるんだ。伝統を重んじるキャラ、革新的な寿司を作るキャラ、謎に包まれていた主人公と同じ握り方をするキャラ、闇堕ちしてるキャラだとか。

 

 本当にバトル漫画なら食傷気味のこれらのライバルも、寿司職人としてバックボーンを一話割いて描くことでまあ生きてくる。この作者こんなに人物描写上手かったっけ?と感心してしまう。

 

 作者のせきやてつじは過去にこの寿エンパイア以外にも料理漫画を描いていた。それがバンビーノという漫画である。俺ほどの人間になってくると、第一話を読んだ時点でこの漫画が売れるかどうかというのがわかってしまう。なんなら麻雀漫画のおうどうもんの時から既に思っていた。

 

 過去作のバンビーノは、俺の漫画センサーにビンビンに引っ掛かり、これは売れる!と感じた。そしてその感覚は、羽山との料理勝負に勝った時に確信へと変わり、その後小学館漫画賞受賞やドラマ化などそれなりに売れた。まあ結局はバンビーノセカンドになってから急速に糞漫画と化していき、最終的には尻すぼみで終わってしまったのだが。

 

 そういった過去の失敗があっての再び料理漫画であるが、正直良い。主人公に凄く好感持てる。立ちはだかるライバルも良いキャラしてるし、困難やトラブルもバンビーノセカンドの時のような、はぁ!?と感じることはかなり抑えられている(無いとは言わない)。

 

 作中で太陽のようなと形容される主人公には自然と人が集まり、共に困難に立ち向かう。そう、そうだ、これなんだ。あの時の読者はバンビーノセカンドにこれを求めていたんだ。

 

 そして出てくる寿司が美味そうである、という点。俺もええ年なってきて、それなりに美味い寿司屋も行ったりもした。一貫2000円とかの馬鹿高い寿司も食ってきた。さすがに銀座の時価の寿司屋なんかは行ったことはないけれど、まあそれなりに体験もしてきたのだが、出てくる寿司はほとんどが未体験の寿司である。しかし、与えられた情報から察するに、これ絶対美味いやんというのがわかってしまうのである。

 

 まあなんやかんや言うて一応今も連載中であるが、まず読んでみて間違いはないと思う。お勧め。

 まあ紆余曲折ありつつとりあえず紹介状を書いてもらった病院に行くことになった。仕事を休んで。はっきり言ってここまでするからにはもう全てに対して納得のいく説明があってしかるべきである。これこれこういう理由で耳鳴りが鳴ってます、聴力が落ちているのはこういう理由です、こうしたら治ります、というプロセス。それを俺は求めていた。

 

 大病院なので時間がかかる。それでも待って診察を受ける。しかし、その時俺が聞いた診察結果は、俺の期待を満たすものではなかった。突発性難聴の可能性が極めて高いけれど、もしかしたらそうじゃないかもしれません。そうじゃなかったとして病名が何かはわかりません。なぜこうなったのか理由はわかりません。治るかもしれないし治らないかもしれません。ただ、突発性難聴だとしたらそれに効く薬があるのでもしよかったらそれ飲みますか?というものであった。

 

 正直怒りが込み上げてきた。いやお前何もわかってないやん、と。全部ふわっとしたこと言うて、結局わかりませんとしか言うてないやん、と。

 

 耳鳴りに関しては慣れてもらうしかないですね、という衝撃的発言。それはもはや近代医学の敗北ではないのか!?

 

 そういった診断を聞きつつ、俺の中でほのかに燃え上がる一つの思い。いや、とにかくこの耳鳴りを止めたら全てが上手く収まるんじゃないの!?っていう思い。聴力落ちたから鳴っているんじゃなくて、外的要因で耳鳴りが鳴っていて、これを止めたら全てが好転するんじゃないの!?という思い。口には出していないけれど、俺にはどうしても納得がいっていなかったのだ。

 

 そして、処方された薬を飲み、症状は全く改善せず、言われた通り耳鳴りを気にしない生活を送っていたそんなある日。

 

 仕事でパソコンをいじっているふとした時。耳の奥で、パキっという音がなった、その瞬間。あれ?っと俺は思った。これ、治ってない?と。

 

 一時俺を悩ませつつも存在そのものが気にならなくなった耳鳴り。それが、気づけば消えていた。完全に消えていた。

 

 治ってるやん。治ってますやん。何が原因かどうかわからん、突発性難聴や言うてた耳鳴りがきれいさっぱりなくなっとるやないかい!!!

 

 ああ~耳鳴りがない生活とはこういうものか、と。ひとしきり耳鳴りゼロ生活を謳歌したその次には、あの医者たちに対する怨嗟の気持ちが止まらない。あいつら何を大げさに言って人を不安にさせてくれてんだ、と。お前らの診断結局的外れやったやんけ、と。だから耳鳴りを止める方法をまず教えろ言うたやんけと言う恨み節。

 

 とにかく、医者の判断よりも時に当事者の直感の方が正しかったりする、そんな話。

 今年の5月、風邪をひいてしまった。昔みたいに一日安静にしてひたすら寝たら次の日治っているなんてことはなく、ちゃんと1週間ぐらい後を引いてそれなりにしんどい期間を過ごしていた。

 

 そして風邪がまあまあ治ってきたかな~って時に、ふと感じる違和感。何かが違う。昨日までの俺と今の俺で、何かが違っている。この違和感の源はなんだ!?何が俺に違和感を与えているんだ!?

 

 ほどなくして気づく。ずっと微かに耳鳴りが鳴り続けているのだ。微弱ながらキーーーーンと、耳鳴りがずっと鳴っている。鳴りやまない。鳴り響くその耳鳴りはすごく微かで、例えば空調の音であったり雑踏の音にかき消されてしまうのだけれど、一人無音な場所にたたずんでいると、耳の奥からずっと鳴り響く音がある。キーーーーーーーーーーーーンと途切れない音が鳴っている。

 

 はっきり言ってこれは困る。別に日常生活に何か支障があるかと言われたら、そこまでない。この耳鳴りはあまりに微弱すぎて俺の生活に支障を与えない。だけどずっと鳴り響いているものだから意識せずにはいられない。というわけで耳鼻科に行く。耳鳴りしてますねんと言うて耳鼻科に行く。

 

 そしたら何か医者が神妙な顔つきで聴力検査を始めだす。いやいや、別に聴力計っていらんねん。耳鳴りを止めてほしいねんと内心思いつつ聴力検査をする。耳鳴りが鳴る中での聴力検査は俺にとって少し困難であった。だってキーンって常になってる中でピーっていう音を聞き取れってそれは殺生な話ですがなと思わずにいられなかった。

 

 そして、検査の結果を見て医者が神妙な顔つきで言うわけだ。聴力が落ちています、と。俺の検査結果をグラフにしたものを出してくる。高音になればなるほど検査結果が落ちている。そして、この範囲を超えたら異常値です、という範囲を俺はちょっとだけ超えていた。そしてその医者が言うには突発性難聴の可能性が高い、というわけだ。

 

 待て待て待て。一度待てと。キーンと耳鳴りが鳴ってるんやから同じ音階の音が聞き取りにくいのは当たり前やろがい。しかもそのグラフ的にギリギリ正常の範囲を越してるだけで、ほぼ正常値と言ってもええんちゃうんかい。っていうかそんな話を聞きに来たんちゃうねん。耳鳴りを止めてくれってだけの話やねん。それ以外の余計なことをしてくれんでええねん、という大まかに要約すればそういうことを、ちゃんと社会人のオブラートを包んだ上で医者に伝えたが、そもそも聴力が落ちたから耳鳴りが鳴っているんですよ、検査は骨伝導だから耳鳴り関係ありませんよとぐうの音も出ないような反論をしてくる。

 

 こっちもそんな耳の専門知識は無いわけだから、そんなもんかなと思ってくる。そして、一刻も早くちゃんとした検査を受けるべきだ。時間の猶予はない。明日仕事休めますか?と聞いてくる。

 

 これだから自分で頭下げんでも客が来る商売をやってる奴は嫌なんだ。そんなもん夜の7時にいきなりはい明日仕事休みますなんてできるわけがない。ましてや俺の落ちたと言われている聴力は異常値の範疇かもしれないが、言い方を変えればギリギリ正常値未満と言ってもよいわけだ。しかも日常生活に支障がない。俺が明日は無理だと返答すると、ええ!?なぜ休まないの!?みたいなリアクションを返してくる。

 

 この期に及んで俺はまだこの結果に納得がいっていなかった。何が突発性難聴じゃい、こんなもん耳鳴りが邪魔して検査結果落ちてるだけやないかと。この時点では思っていた。だから、この医者の言うことの全てに信用ができなかった。馬鹿じゃないの!?という感想だ。ええから耳鳴り止める方法を考えんかいなと。聴力落ちようが落ちてなかろうが知らんわいと。でもこいつにはそういった考えを求めるのは無理なようだ。とにかく俺は、明日ではなく明後日仕事を休んでちょっと大きい病院に行くことになった。

 漫画にはいろいろなジャンルがあるけれど、いまいちメジャーになりきっていない、流行りになりきっていないジャンルがあると思う。それは音楽(バンド物)。なぜかと言うと漫画という表現方法と音楽の致命的な相性の悪さがあると思う。どんなにその作品を深く読み込んだとしても、漫画からは一音も鳴り響くことは無いからだ。

 

 とはいえそんな音楽物の漫画にも名作と言える漫画がいくつかある。そこでその名作と言われる漫画が音を絵に落とし込むためにもたらした手法について述べていきたいと思う。

 

 バンド漫画の最初の名作と言えばTO-Yだろう。正直面倒くさいのでこの漫画がどうだこうだという説明は省く。そして、ここで言うのはあくまで俺の個人的な感想で本当にそうだとかは全く知らない。

 

 TO-Yの凄さというのは、漫画家上条淳士の画力による静止画の魅力ではないかと思う。とあるバンドのライブシーンを、そのまま時間停止させてそのまま持ってきたような見開きの一コマ。それを作者が繊細かつ美麗な絵で描き表す。そこに読者は音を感じた。

 

 だいぶ時が離れて、BECKという漫画が月刊マガジンで連載される。そこでは切り取られた静止画ではなく、一連の流れとしてバンドが放つ音と、盛り上がる観客が描かれる。バンドだけではなく、周囲の環境を詳細に描くことで盛り上がりを表現した。そこに読者は思い思いの音を脳裏に浮かべる。ただ、TO-Yと同じく「鳴り響く音そのもの」が実際に表現されているわけではなかった。

 

 そしてさらに時が流れ、ヤンジャンで日々ロックという作品が連載される。日々ロックが採った表現方法は単純すぎるぐらい単純で、曲の歌詞をそのまんま漫画の擬音語のように直接描き表すというものであった。しかし単純だけどだれもやろうとしなかった、作中のキャラがこんな曲を作っている、歌っているのだということが視覚でわかる表現方法だったと思う。

 

 その日々ロックと連載時期が被るが、別方向の音楽漫画が別雑誌で連載される。それがビッグコミック連載のブルージャイアントである。ジャズ漫画であり、歌というものがないので少し前述の作品とは異なるが間違いなく音楽を主軸に置いた音楽漫画である。この漫画が採った手法というのは、盛り上がる観客のさらに上位となる、人生の選択肢を変える観客というものである。

 

 要するに、主人公たちの演奏を聴いたとあるキャラAが、「俺、明日〇〇やってみるよ」というように、演奏が凄すぎて聴き手の人生すら変えてしまいまっせという表現をやったわけだ。

 

 ここまできて、正直個人的には音楽漫画という物はもうやれるだけやったんじゃないか、なんて思ったりもする。これ以上絵で音を表現することはできないのではないか、と。しかしそれでも期待せずにはいられない。次はどんな表現を使ってくれるのだろうと。

 さあなんだかんだあって、時間も15時。その日の俺は何の仕事もできていない。とにもかくにも支店長が出てこな話にならん、ということで渋る支店長を連れて行きました。再度そのクレーマーの家に。

 

 もう朝一から数えて同じ日に同じ場所に3回も行ってる。なんじゃこれ!?しかも話の進展ほぼゼロ。頭おかしい人の話をたんまり聞いて、何にも解決していない。まあまあいいよ。これも仕事の内。3回目行きました。

 

 相変わらず家の中には入れずに玄関前で応対される。おばちゃんは支店長が来たらほんの少ししおらしくなっている。それも少しむかつく。なんやねん。どんだけ権威主義やねん。支店長と名乗れば誰でもええんちゃうかと思えるぐらい態度が変わっている。でもまあ大きくは変わっていない。支店長がきても話す内容はあまり変わらない。一族の自慢、自分の自慢、合間に我々への罵倒。

 

 時間もすでに3時を過ぎているので、下校中の小学生なんかが玄関前で話す俺たちの前を通り過ぎたりもする。小学校5年か6年生ぐらいの女の子が我々の前を通りすぎると、いきなりそのおばちゃんは「すました顔して歩いてるんちゃうぞ、このおまんこ野郎!!」と言い出した。衝撃である。

 

 俺はいい。俺への罵倒は別に良い。許す。チョン公だとか在日野郎だとか別にいい。だって事実だから。でも小学6年生にたいしておまんこ野郎はあかんでしょ!?どんな罵声やねん!?俺はその小学生に対してかわいそうだな~と思いつつその歩みの先を見てみたら、なんと彼女はそのおばちゃんの隣の家に入っていくではないか。

 

 隣人がこのおばちゃん!!!???おまんこ野郎と言われてなおここに住むか!?衝撃の事実が発覚して思わず笑いそうになったが、笑いごとではない。でも、俺はその隣人を愚かだと思うことはできなかった。だってこの家買うのに何千万もかけて住宅ローンを組んで買っているのだ。隣人がキチガイだからといっておいそれと引っ越しもできるわけがない。残念としか言いようがないではないか。

 

 そのおばちゃんの家の斜め向かいでは正に新築の戸建てが建築中であった。そしてそのおばちゃんは我々との会話の合間にその工事をしている人に対しても罵声を浴びせていた。やかましいんじゃこら~!と。きっとこの新築の家を買う人は希望を持って引っ越してくるのだろう。それなのに対面がこのおばちゃん。俺は顔も見たことがないこの家を買う人に対して同情が禁じ得なかった。

 

 軒先で約1時間おばちゃんと会話して、ようやく面談も終わろうとしている。ようするにお得意先である私をなめんなよということである。このことを言うだけで全取引先を呼んで同じことを言うてるらしい。冗談抜きで、この人は病院に行って診察を受ければ直ちに病名がついて、しかるべき処置を受けなければならない人間である。それが病院に行くこともなく過ごしているからこんなモンスターが生まれてしまったのだ。その日我々がしたことと言えば何もない。ただ満足するまで話を聞いただけである。

 

 その後このおばちゃんからのクレームの話は聞かない。俺も人事異動したし、関わることもないけれどとにかくそんなやばい話は聞かない。そのおばちゃんも一通り取引先に文句を言うたからには満足したのだろう。ただ俺は、社内の苦情報告書という書類をA4用紙5枚に亘ってぎっしり書き綴り、その後色んな人からとんでもないことがあったんやなという労いの言葉をいただいた。それだけである。おわり。

 とにかくまあ副支店長と一緒にとうとうそのクレーマーと対面することとなる。家のチャイムを鳴らすと、そのおばちゃんが出てくる。てっきり家に上げてくれるものかと思っていたが、そのまま玄関前の外で話をすることになった。

 

 はっきり言って、話の内容は電話で聞いてる話とほとんど一緒である。一族の自慢、自分の自慢、合間合間に在日批判というか我々への罵倒。息子はシマノに勤めている、私は昔の男尊女卑の時代で大学に行った、男女雇用機会均等法ができたばっかりで自分は就職した、24時間働いたとまあ色々語ってくれた。

 

 そんな話の中でおばちゃんが、そうや思い出したと言いながら玄関先から何かを取りに行った。戻ってきたその手には包丁が持たれている。まあ包丁といってもパッケージに包まれた状態であり、抜き身ではないのだけれどもそれでも凶器を持って戻ってくるというのはなかなかにインパクトがあるものである。

 

 正直内心では言うてはったりやろ、という気持ちと、副支店長を守らねばという気持ちと、別に今ここで死ぬならそれはそれでええかという気持ちと、色んな感情が綯交ぜになった心持ちで、俺はおばちゃんと副支店長の間に立った。まあ言うて包装された包丁を開放するのと我々がおばちゃんを取り押さえるのとどっちが早いと言えば確実に我々が早いのだ。

 

 とはいえ刃物を持つ人間と対峙しているのだという感覚はある。そして、その人物は訳の分からん言動の人間だ。そのおばちゃんが声高々に言うには、春先は3人までなら殺しても季節のせいやということで死刑にはならんのやこの国は!!と言うことである。刺して殺しても精神病やからセーフ理論だ。

 

 こっちも完全にやれるもんならやってみいやの精神であるが、相手を煽ってもいけないので口には出していない。まあとにかくその包丁はパッケージの中なので、そこまで恐れることも無いだろうと俺は思っていた。

 

 おばちゃんは相当いかれている人物ではあるが、相当に金持ちなのもおそらく確かで、話を聞くと我々の同業者ともたくさん取引をしているようであり、それなりのお得意様のようである。それはうちとの取引振りで正直わかる。そしておばちゃんはどうやらその全取引先に対して我々と同じようにクレームを入れて、対応がなってないと支店長を呼び出しているようである。

 

 我々は何番目かはわからないが、少なくとも最初ではない。俺が逃げずにおばちゃんと話をしていると〇〇は包丁持ってきたら逃げたけどな!根性なしやあいつらは!などと言って笑っている。おそらくその〇〇さんは逃げたわけではなく、相手してられないから去っただけだと思うが、とにかくおばちゃんの中では武勇伝になっている。

 

 そして、最終的に私は支店長を連れてこいと言ったのになぜ副支店長が来ているのだ?こいつでは話にならんから支店長を呼べ!といい我々は帰らされることとなった。

 

 

 社会人になると人間色んな経験をするもので、その中で避けては通れない物がクレーマーとの対応というのが一つあると思う。

 

 かくいう俺も社会人になって15年目のアラフォー男子なわけで、これまで様々なクレーマーと対決してきた記憶がある。ある時は勝ち、ある時は負け、そんな一つ一つが笑い話になってきた。今回はその中でもぶっちぎりのやべ~奴の話をしたいと思う。

 

 プルルプルルと職場に電話が鳴り響く。業務終了間近の時間であり、平の社員はその日の締めの作業に追われており、係長の俺がその電話を受けることになったわけだ。そうすると電話の主は開口一番罵声を浴びせてくる。

 

 いきなりの罵声に戸惑いつつも話を聞くと、どうやらその顧客は我々のお得意先であるらしい。そして、お得意先であるにもかかわらずここ最近挨拶にも来ない、粗品も持ってこないいったいどうなっとんじゃいとかなりのご立腹である。詳細は省くが、相手は俺が在日だとういうことを知っており、ことあるごとにおい、聞いているのか朝鮮野郎だの、クソチョン公だのと最大級の罵声をガンガンと投げかけてくる。

 

 ここまでの罵声は正直初めての経験であり、面食らうと同時に感心もしてしまう。こんな悪意100%の言葉をよくもまあ矢継ぎ早に投げかけるものだなと。そして、驚くことにその電話の相手は女性である。おばちゃんがここまでの罵声を浴びせてくるかというぐらいの罵声をためらいなく食らわせてくる。

 

 電話の内容をかいつまむと、私の一族は素晴らしい家系なんだ。お前らごときのくそ朝鮮野郎に舐められるいわれは一切ない。取引を切るかどうか考えるから支店長をよこせ。わかったか朝鮮野郎!というような内容であった。

 

 支店長を行かすにしてもアポの日取りも決めないまま一方的に電話を切られたので、行くにしてもどうしようもない。とりあえず副支店長と俺の二人で翌日朝一にその家に行くことになった。

 

 ということで二人で赴き、チャイムを鳴らす。ピンポ~ンとチャイムが鳴るが、誰も出ない。二回三回と鳴らすが誰も出ない。しょうがないので来た証として名刺をドアの隙間に挟んで帰るわけだが、俺がちょうど支店に戻ったタイミングでそのクレーマーから再び電話が鳴ったのである。

 

 女子職員が受けると、とにかく俺を出せとわめくので代わるわけだが、まずなぜアポを取らずにいきなり来るのだとお怒りの様子であった。お前がアポを取る前に電話を切るからだと内心思ったが、それは言わずにすいませんと答えた。すると、そのクレーマーは朝鮮人はアポを取ることすらできないのか?どんだけ劣った人種やねんとこれまた凄いことを言うてくるわけだ。

 

 まあまあとにかく今なら家にいるので、今すぐ来いとのたまうから、副支店長と支店長と相談して、そこからまたそのクレーマーの家に行くわけだ。副支店長と二人で。そしてその伝説のクレーマーと対面することになるのである。

 世間一般的には全く知られていないだろうけど、読んでみると実は面白い、人知れず終わっていった漫画がいくつもある。今回紹介する漫画は本当にマイナーで誰かの頭の片隅にすら残っていないような漫画ばかりかもしれないけど、実はポテンシャルはヒットした漫画ぐらいにはある、はずという作品を紹介したい。

 

1・Eから弾きな。

 佐々木拓丸という知る人ぞ知るという漫画家のバンド漫画。約10年前にイブニングに連載されていて、単行本では3巻で終わった作品。ただし、おそらく打ち切りではないと思う。いや、別に当時の編集事情とかは知らんけど、巻末掲載されていたわけでもないし今後いかようにも続かせることができるような場面で終わっているし、予定されていた終わりだとはとても思えない。

 この作者はかつてヤングジャンプで極道つぶしという漫画を連載しており、これも5巻で終わっているわけだけれどやるべきことをやり切って過不足なく連載を終わらせた佳作である。

 この漫画は楽器初心者がひょんなことからとあるバンドに加入してライブをやって楽器の楽しさにふれて真剣にバンドをやるという王道なストーリーなのだが、おそらくロックが好きなのだろうなという作者の嗜好がビンビンに伝わってくる。初心者だからこそ必死で演奏する主人公のひたむきさがなにより伝わってきて、いつの間にか応援したくなる。そんな素晴らしい漫画。

 

2・珈琲時間

 アフタヌーン四季賞大賞受賞者によるコーヒーをテーマにした短編オムニバス漫画。題材はSFだったりサスペンスだったり日常を描いたりと様々。全17話と非常に短く、漫画史に残るかと言えば残ることも無く消えていく漫画であることは否めないが、多分に文学性をまとっており、まるで一冊の小説を読み終えたかのような読後感に包まれる。

 人物描写が秀逸であるがゆえに生まれる文学性。この作者が漫画だけに集中したら、きっと食うにも困るぐらいに売れることはないだろうけど、傑作を世に残しただろうになぁと思わせる作品。

 

3・バード

 もしかしたらサブタイトル的なものがあるかもしれないが記憶だけでこの文章を書いているので詳細は不明である。しかし、この漫画は間違いなく麻雀漫画というジャンルでの最高傑作であると胸を張って言い切れるぐらい完成度が高い。この漫画を知っているならば一番面白い麻雀漫画はアカギだ天だとかぬかすにわかがいたら鼻で笑って差し支えない、それぐらいに素晴らしい漫画である。あまりに完成度が高く素晴らしい漫画であるため、連載終了後15年だか20年だかが経過して別の漫画家によってリメイクされるぐらいの作品である。

 手積みの麻雀時代から全自動卓に姿を変え、そこにはイカサマの入る余地は無いように思えた。しかし、そんな全自動卓において完全なイカサマ天和を成し遂げる雀士がいた。蛇という名の雀士である。その蛇を相手に主人公のバードがイカサマ天和を破り、新たな新イカサマ天和を編み出して勝利する、という漫画だが、はっきり言って面白い!!リメイクもそれなりだが、やはり原点を読んでほしい。しかしながらこの漫画のリメイク前の原本を読むというのは非常に難しいと思われる。

 リメイク後の山根氏が描いた新バードばかりが検索に表示され、原本と言うべきこの作品はほとんど出てこない。

 まあ、それはそれでこの漫画を独占できたという意味合いで良いのだけれど、少し寂しい。

 主にマイナーメジャー漫画を紹介してきた中で、たまには絶対面白い有名漫画を紹介しようという試みで過去に一度やってみたその続き。紹介する順に面白さは特に関係ない。ただ単にそういう順番ってだけ。

 

6・海皇紀

 この漫画は40巻超という長期連載にも関わらず、漫画史上において最も破綻なく当初のプロットを足しも引きもせず描き切った唯一の漫画ではないかと思わせるぐらいに完成度の高い漫画である。それぐらいに無駄も無く、余計な物もない。かといって完成度だけの漫画ではなくきちんと熱いところは熱い、王道少年漫画であると思う。

 タイトルだけに航海技術の説明もあるが、まあ話半分で問題ない。とにかく主人公が凄いと言わせる舞台装置である。そしてこの漫画が優れている点は、ただ単に主人公が凄いの羅列ではなく、強さの上位存在がいるということ。トゥバンサノオという作中最強キャラが物語に関わりつつけして便利道具にもなり下がらない絶妙な配分で活躍している。とはいえあまりに主人公礼賛描写が多いので辟易する人は向いていないかもしれない。

 

7・ラーメン発見伝シリーズ

 タイトル通り、ラーメンに主軸を置いたグルメ漫画である。この漫画のエポックメイキングポイントは、ただ単に美味いラーメンを作るだけでは経営者として失格だ、というグルメに経営者目線を持ち込んだことにある。美味しんぼだ味っ子だも名作であるが、そこの視点は完全にスポイルされているし、その他グルメ漫画もほぼ同様である。そんな中ただ美味い物を作れば流行るという単純なものではないぞ、という芹沢の意見はこれまでのグルメ漫画になんとなく不足感を抱いていた読者にとって正に我が意を得たり、正鵠を射た意見であると納得させる力と説得力があった。その後ラーメン才遊記、ラーメン再遊記とタイトルを変え続編が作られている。ラーメンの進化と共にこの漫画も形態を変化させながら連載を続けていくのだ。

 

8・メダリスト

 なるべくこの漫画紹介では終わっていない作品を挙げることはしないでおこうと思っているが、面白いものは面白い。だから紹介したい。そんなわけで現在アフタヌーンで連載中のメダリスト。フィギュアスケートの話。明言はされていないが、明らかにダブル主人公の漫画。自分に自信がないけれどスケートのためならすべてを投げ打つことができる少女いのりと、そんな彼女を一流選手にすべく奮闘するコーチ司の物語。巨人の星から続く伝統の選手プラス指導者のスタイル。今まで全く意味わからんかったフィギュアスケートという競技をわかりやすく紐解き、キャラの魅力につなげていく。作者の漫画力が高いな、と思わせるおすすめの漫画。