去年の今日、午後10:10に親父は生涯の幕を降ろした
昭和19年10月10日に産まれ
結婚記念日も10月10日
亡くなった時刻も午後10時10分だ👼

産まれた翌年昭和20年に終戦し、神奈川県川崎市で産まれ育った

実家の自動車整備工場を継ぎ
若い頃から遊びと言う遊びは全てやったという程の遊び人であった

僕も兄貴もそのDNAを受け継いでいる

勉強をしろと言われたことはないが
途中で辞めること、諦めることは許されなく、マナーには厳しい親父だった

45歳で脳梗塞で倒れてから、29年間はずっと病気との戦いであった


あっという間の1年であった
あの日の事を今も鮮明に覚えている

1年前位から、僕は何となく親父の最後が近付いていることを感じ取っていた
1年前は全然元気ではあったが、実家に行き帰る時にはハグをして別れた
『俺、死体にハグするの嫌だから会った時はしよ』と僕が言い出したのが切っ掛けだった

亡くなるまでの7年間は、透析生活でもあった

脳梗塞、心筋梗塞と何度も死のフチを歩いた親父は7年前ももうダメかも知れないと医者に言われていた

しかし親父の入院中に親父が大事に飼っていた愛犬の太郎が突然に具合が悪くなり手術をしたがあっという間に亡くなってしまった😢

それと引き替えに親父の体調は良くなり7年生き延びた
今でも不思議な出来事だ

この1年の間に親父と死についても話をした
親父は初め死ぬことに対して『怖い』と言っていた

だけど息子の僕は親父に『親父が死んだあとにオカンも兄貴も俺も必ず死ぬんだよ✨45歳まで、人の何倍も遊んで楽しいことしてきたんだから、やり残したことがあるなんて言ったらバチ当たるぞ🤭』と諭した

すると『そうだな🎵』と笑顔を見せた

僕は覚悟をしていた筈だが
親父と最後の時間を過ごした時、亡くなった時に自分でもびっくりするほど泣いてしまった😭

最後の言葉は
『とも…今までありがとうな、お母さんにもありがとうって言っといてな』だった😭

オカンにいっぱい苦労を掛けていた、親父に生前俺は親父みたいな甲斐性なしの坊っちゃんじゃないと否定をしていた

でも亡くなる前に思い出す事は沢山沢山遊んで貰った思い出と、幼い頃お父さんを泣きながら追い掛けた思い出と、懐かしい親父の匂いだった

『俺、親父のこと大好きだったんだ』と思い出したら、良いとこも悪いとこも親父に似ていることが嬉しかった🎵

あれから1年
不謹慎かも知れないが
今年ならコロナ騒動の最中
病院に行って会うことも
最後の時間を一緒に過ごすことすら出来なかったかも知れない

親父は最高にわがままで運が良い

僕は親父にそっくりだ
坊っちゃんで甲斐性なしで、熱い男だ

親父は45で倒れた
倒れてからは親父は不甲斐なく、元気な時の様に何も出来なくなってしまった
だから僕には時間がない

でも親父が創って育てた僕は決して諦めること事のしない【革命戦士】だ


こんな時代をみんなで乗り越えて
新しい時代を創って行こう✨