全てが順調に時が流れていた
キャスティング会社の社長には絶大の信用を得たいた
はじめはエキストラでの出演だったが、周りの人からの評価も高かったらしく、徐々にセリフの多い仕事を貰えるようになり、そこでのキャスティングの映画全てに出演させてもらっていた
年間20本以上の映画に出演し、月の半分をバイト、月の半分は映画の撮影と言う生活を送っていた
地方ローカルではあるが、オーディションでピンのCMの仕事も貰った
そしてキャスティング会社も順調の波に乗り
日米合作の作品にチャレンジすることとなった
長崎を中心に『シーボルト』と言う映画を創るため、超一流ハリウッドスターとの交渉も順調に来ていた
そして、その作品に良い役で出して貰えるまでの話になっていた
会社にも沢山の大手プロダクションマネージャーが来客し、台本を読ませてくれと、集まりかえっていた
『すいません、台本を見させに貰いに来ました』(mg)
『ごめんなさい、まだ見せれないんです』(事務)
『でも、その台本見ている男の人、部外者ですよね⁉️』(mg)
『この子はうちの身内だよ‼️』(社長)
凄く嬉しかった🎵
役者として成功して恩返しをしたいと思った
京都の太秦での撮影も多く、付き人をやる際、省吾さんではなく大御所俳優にと言ってた人とも共演をし、現場でも可愛がって貰い、バイト先の人や京都の街中でも
『あの作品に、出てましたよね⁉️』と顔を指される事も増えてきた
ところが、人生なんか、わからないものだ