教育隊での生活は本当に濃いものであった
普通では、経験の出来ないことで、年齢を重ねてからでは入隊出来ない、正しく若いから体力もあり、吸収出来る時間であった
自衛隊に入っていたら、入っていなかったらを考えたら、全く厚みの違う人生になっていただろう
卒業式には団体個人のメダル🏅8個を持ち、最多のメダル数であったが、成績順に並ばされる私の席は真ん中以下であった(笑)
やはり人は変われるようで、根本は変わらないのかもしれない😅
それでも卒業式にわざわざ広島まで見に来た父親は感動していた
『ずっと自衛隊に居てくれたら安泰なのになぁ』(父親)
それは無理な話である
安泰とは真逆の生活をするために、3年我慢すると決めて入ったのだから
教育隊を出ると部隊に配置される
私は潜水艦適性検査でトップだったのだが、問診で『どうも腰が痛くて潜水艦には向いていない』と言い張り、結局護衛艦の3分隊と言う機関科(エンジンを整備)を選択した
最初に乗り込む事になった船は、横須賀基地の船で、『護衛艦隊旗艦むらくも』と言う船だった
この旗艦と言うのは護衛艦隊の中で、指揮を取る船である
住所もこの護衛艦むらくもと言うのが最後に付く住所だ
いよいよ船乗りとなった
ここからは海上自衛隊は何をしているの⁉️となかなかイメージの付かないものだと思う
簡単に説明をすると、毎日船で過ごし、看護婦さんと同じ様な当直制の勤務をこなす
勤務の内容は、全体を略して言ったら【戦争ごっこ】だ
この【戦争ごっこ】をしとかないと、有事の際に何の役にもたたない物になってしまう
常に本気モードの訓練である
そして、この訓練を含め必ずと言って良いぐらい、毎年知っている人が亡くなる
訓練中の火災、事故、自殺だ
自殺が多い理由は、私達が居た時はやはり男性の職場であり、ストレスの多い現場であると同時にいじめも多かったのは事実だろう
だからこそ転勤が多く、『あと少し我慢すれば相手か、自分が転勤になるから』が慰めの文句であった
しかし本当の多い理由は、彼女や奥さんの浮気だ
どんな状況であれ、必ず次の日は来て、必ず乗り越えて行くものである
今の壁は次の壁を乗り越えるための試練である
訓練は常に厳しいものである
例えば台風が来ると、大きな船は岸壁に着けておく事が出来ないので、出港をし訓練をする
岸壁を壊してしまうからである
大しけの中、訓練をすることがほとんどで、良く『船酔いとかしませんか?』と聞かれるがほとんどの人は船酔いするのが普通である
船の乗りはじめはみんなゲボ袋持って仕事をするものだ
その他に汚物タンクの掃除等もあり、これはダブルパンチだ(笑)
自衛隊の仕事は売上が有るわけではなく、自衛隊が要らない世の中なら良いが、今の世界、世の中では必要な物であり、自衛隊も汚物掃除も誰かがやらないと行けない仕事であり、仕事であれば楽しくやらないと勿体無い✨
汚物掃除を嫌な気持ちでやったら直ぐゲロを吐いてしまうが『わっ~きったねぇ~(笑)綺麗にしなきゃ~』ってやれば、どうせやらないと行けないのだから楽しい💃
それと元々、自衛隊はやりたい仕事ではない
やりたい仕事は役者だ
ならば、海上自衛隊の役だと思ってやれば良い
いい加減にやり、税金泥棒と思われるくらいなら、出来ることを一生懸命やって、その役をまっとうすれば良いと考えてやっていた
むらくものあとは第2術科学校と言う所で、機関科の電機員と言う専門職を学んだ
ここを卒業後、【潜水艦救難母艦ちよだ】の機関科電機員として乗組員となる
今度は護衛艦ではなく、救難母艦、海での事故や、救助が任務だ
私達はシャコを食べない
何となく察してくれればよい
この20歳~23歳の海上自衛隊での生活は、私にとって、役者になる為のストーリーの1つに過ぎないが、とても貴重な体験で、私達が知らない、過去の日本とも繋げてくれた。
戦争はもう絶対にないと感じている人、昔の事などには無関心な人、今が楽しければ良い人
どれも間違いではない、何故ならば考えは全ての人に平等で自由だからだ
でも、物事に感心をもったり、興味が沸いた頃にはその考えに共感は持たれない
私もそうだが、知識や経験がないうちは、今の自分が全てだ
しかし、経験を重ねるにつれ、本当の事、本物が知りたくなる
そこに『経験こそが全て』と言う現実が待っている
自己プロデュースが上手い人は、経験がなくてもあたかも経験をしたかの様に振る舞うだろうが、経験に優るものはない
今まで歴史に全く興味のない私が、沢山の【名も無き男】が、この国の為に、この国の未来の為に、家族や恋人の為に自らの命を捨てていった事実を、私は自分の心に刻んだ
だから戦争は2度と起こしたら行けないのだ
【戦艦大和】はみんなにとっての大和とは違う、呉の大和は私の先輩の大和だ
誰にどう思われるかではなく、自分が何を思うか、何を経験したかが自分の人生である