平成7年1月17日午前5:45頃
これまでの人生で、地震の揺れで起きることは今までなかったので、自衛隊の荒手の訓練かとも思った
はじめはどんな状況かすら把握出来ないでいたが、徐々に普段と違う1日がその正体を現していく
全国から集まった同期は、もちろん関西、神戸を地元とする仲間もいた
潜水艦実習で乗るはずだった船も、待機となり中止
広島の呉にある船は全て待機状態に…
その日の課程は全て中止となり、私達は娯楽室に集まりただNEWSを見るしかなかった
悲しい物で、私達はまだ教育隊の身であり、支援を届けたり、救助に行く事も出来ない
私の地元の関東では被害はなかったが、それでも多くの同期の家族や恋人が亡くなった😢
私達は戦争が無いにしろ、どこかに兵隊になると言うことで、覚悟を決めて入隊しているしかし、その私達が生き残り、残してきた家族が亡くなると言うことは耐え難いものだ
哀しみに暮れる同期に、掛ける声すら見付からなかった
部隊に出たら、同じ様な事が起きたとき、自分の最愛の人、家族を助けに行くことは出来ず、あかの他人を助けに行くのが私達の任務である
その後続く多くの震災で活躍する自衛隊の裏ではそう言う現実が常にあると言うことだ
私達は、身体を鍛え、精神力を鍛え自分の命で誰かを守る、救助する、支援する任務を課せられるが、そこに大きく影響を与えるのが、江田島にある戦争博物館だ
私達は戦争のない時代にたまたま生まれ、何でも物がある時代に生まれ、それでも不満があり、生きる目標を探し、時間に終われ、平和とは何か⁉️と考える時間などはほとんどの人が無いだろう
江田島には自衛隊幹部学校があり、偉くなる人は必ずそこで学ぶ
戦争博物館には20歳の私と変わらない歳、まだ10数年しか生きていない若者の遺書がある
それは達筆な文字で、家族に宛てたものだ
私は命により、敵艦隊に突撃いたします
御父様、御母様今まで育てて頂きありがとうございます
私は日本國の未来の為に特攻することを誇りに想います
皆様の幸せをお祈りいたします
直筆で書かれたその文字に、文書の奥にある彼らの言葉が私には見えました
本当は
まだ死にたくない
まだ甘えたい
まだ遊びたい
燃えるような恋愛をしたい
青春をしたい
仕事をしたい
もっともっと生きたい
と言う声が聴こえてくる
僅か数十年
何百年、何千年ではない、僅か数十年しか違わない年月に同じ国に生まれ、同じ頃の歳の子が、自らの命を掛けて死んでいった意味は何かを、同じ様に人を殺す実弾の入った銃を持ち、同じ様に土に頬をつけ考えてみた
同じ歳頃のその子は今の時代にタイムスリップして生きたらどう思うかな⁉️
驚くだろうなぁ✨
凄い、みんな自由な服を着て、携帯や電化製品を見て同じ様な歳の子をみたらビックリするだろうな🎵
命を掛けて死んでいった自分を誇りに思うだろうな
でも、この時代に何日、何ヵ月もいるうちに、どう思うかな⁉️
私は答えの出ない想像や疑問を繰り返した
『産まれた時代が違うから』
そんな安っぽい言葉で終わらせたくはない
親友2人の死を乗り越えて、自衛隊と言う組織であらためて『命』と言うもの、何故今があるのか、どう過去と未来を受け継ぐのかを私なりに考える時間でもあった
全ての人が、産まれたら必ず死に向かって生きる
その時間は様々ではあるが、100歳まで生きたとして、99歳で何が出来るのだろう⁉️
与えられた時間は実は僅かしかない
自由に身体が動いて、やりたいことが出来る時間はどれだけ残されているのだろうか⁉️
私がこの時代に生きた証しは残せるのだろうか⁉️
名も無き男は、この時代に何が出来るのだろうか⁉️
歴史の英雄の影にも必ず名も無き男がいて、歴史に名前すら残らず散っていった英雄は沢山いるのだろう