約半年間の山梨での生活が終わり、一旦地元に戻った

やっぱり地元は最高だ
離れてみて、初めてわかる
実家のありがたさ、幼い頃からを知っている仲間の存在
俺は全てに恵まれている 

しかし、一時の休暇を終え、前に進む

半年待った海上自衛隊の入隊場所は広島の呉であった

入隊前夜、地元の仲間が祝ってくれた

食事をしたあと、車で街に出ようと山下公園に向かう
週末の夜、賑わう若者達
山下公園の前の道路には、二重駐車で道を塞いでいる

身動きの取れない状況に、まだ若さを押さえきれない俺は、反対側斜線に飛び出し交差点を左折した
しかし、その反対側斜線先頭には交通機動隊がいた👀

『ヤバイぞヒロ~😱💧』(仲間)

『まずー、捕まったら兵隊入れないぞ~』

逃走する車両と追い掛けるパトカー🚓
狭い通りから、大通りに飛び出した瞬間

俺の車が通りに抜けた所に、大型トラックがパトカーの行く手を塞ぐ

少しのタイムログが出来て、パトカーを撒くことが出来た

恐らくあのトラックの運転手はリアル菅原文太に違いない


翌日横須賀の海上自衛隊基地に1泊、その後厚木基地から山口県岩国にプロペラ機で移動、岩国から広島の呉教育隊にバスで移動し入隊をした

ここの鉄格子に囲まれた場所で、約4ヶ月の期間、いわゆるみんなが想像する『自衛隊ってキツいんでしょ⁉️』のそのままを現す場所が、ここである

学生時代には、学年に1人は居た、おっかない先生が基本装備の教官で、その中の陸警教官と言うのは、『今戦時中?』『え、戦争行ってました⁉️』と質問したくなるぐらい、ヤバイ教官だ

しかし、この過酷な4ヶ月間が実に良くできている

まだまだ人として、未完成な俺が民間人としての生活から、国防の一角に成る為の訓練を血税で教えて貰うのだから自覚をしないといけない

とは言え、入って直ぐにこの俺が優等生になれるくらいなら、今まで俺に関わった人はずっこけてしまうだろう

曲がりなりにも20歳の若者、彼女がいたが地元に置いて来ている
まだ携帯電話が普及している時代ではなく、ポケベル時代だ

22時消灯の教育隊で、彼女との電話は唯一の幸せの時間、テレホンカード代で月に数万円を費やした
この日も電話がなかなか切ることが出来ず、22時を過ぎる頃、幹部のベテラン教官が『消灯の時間だぞ‼️』と注意を促してきた

自衛隊に入るのに、玉ねぎを煎じて飲んだり、オニオンスライスサラダを散々食べて血圧を下げて入隊した俺だが、直ぐに血の気が沸いてしまう

『うるせえ💢わかってるから、黙れ💢』

本当に今考えると、こんな若者を相手にするのはシンドイ

しかし、拍子抜けするように、何も言い返しても来ない

これは、自衛隊でも俺の天下では、世の中が困ってしまう
税金の無駄遣いだ

ところが良くできた組織はそんなことを許すわけがない

次の日、朝の朝礼
『えー、お前らの中に昨晩幹部に逆らった者がおる💢お前らなめとんのか~💢』

教官達は誰が逆らった者かはわかっている
それでも俺を名指しする事はなく、【連帯責任】同期全員に約4.3キロある64式小銃を持たされ、永遠に走らされる🏃‍♂️

実に地獄絵図だ😱
腕はパンパンになり、終わりのわからないランニングほどキツいものはない
しかも、俺以外全員見に覚えの無い罪だ
その内に『誰だよ⁉️💢』と言う奴が出てくる
当然だ❗
それでも俺は『何か文句あんのかこの野郎💢』と言う😢

しかし、心の中では申し訳ないとすこぶる思っている😢

この事を切っ掛けに、自分のミスで同期全員が罰せられる
有事の際には、自分のミスで全員が死ぬかも知れない
団体行動での責任感を深く学んでいく

教育隊入隊数日で、いきなりこんなスタートだ
この約4ヶ月で、どれだけ変化をしたかは、当時での俺は、知るよしはない必死の生活だった