小学校2年生の時、初めて【死】と言う事を学ぶ
我が家の自動車工場創設者である僕の偉大なるお爺ちゃんとは1年前の団地から一軒家に引っ越しをした時から一緒に住んでいた。
いつも日本酒とショートホープの匂いが漂っていて、分厚い手と熱いお風呂に入っているのが印象的だった
無口なお爺ちゃんだが、いつも週末一緒にいる時は、お婆ちゃんと一緒だと見させて貰えないからと、うちら兄弟を連れて、2階の小さいテレビで『8時だよ全員集合』をこっそりみて、みんなで大笑いをしていたのを覚えている。
お爺ちゃんは戦争経験者であり、たまにそんな話を聞いたが、優秀なパイロットだったと言うことと、その頃整備を覚えて色々な仕事をしたが、今の仕事になったと言う事を聞いた
満州にも行っていたが、その頃の話はしたがらなかった。
そんなお爺ちゃんが体調を壊し、入院をするようになってしばらく、朝早く突然に父親に起こされた
『2人とも直ぐに着替えて車に乗りなさい❗』
慌ただしいいつもと違う朝に、寝ぼけながら車に乗り、車の中でもスヤスヤ😴と眠りについていた
『ヒロ起きろ❗』
父親がいつもお風呂で大事な話をするときと同じ様に
『いいか、しっかり聞きなさい。もう少しで病院に着くけど、お爺ちゃん死んじゃうかも知れないんだ、お前達は男の子だから泣いちゃダメだぞ‼️』
と言われたがアンちゃん(兄)は噛み締める様にうなずき、僕はその意味がわからずボーとしていた。
病院に着き、前日からお爺ちゃんの看病で病院に泊まっていた母親とお爺ちゃんと対面した。
お爺ちゃんは既に亡くなっていた。
親父は噛み締める様に遺体に寄り添い暫くの時間を過ごした。
僕はまだ【死】と言う事を理解できないでいたが、そこに親父の弟が入ってきた瞬間に死よりも大きな衝撃を受けた
『おやじぃ~~~~😭』
わめき散らすような声で、叫び続ける親父の弟を見てはじめて【人が死ぬ】と言う事を学んだ気がした。
そしてこの対照的な兄弟の行動を理解するには小学1年生の僕にでもそう時間は必要でもなかった。
親父は男の子2人の父親で
親父の弟は女の子2人の父親であった。
同じ家族、同じDNAであっても同じ人は1人もおらず、みんな産まれた時は【神様】なのにたったの30年も立てば色々な道を歩み、新しい自分の家族を作り、神様を作り、育てる大役を受ける
そしてまた、お爺ちゃんを見送ったように、たったの30年もすれば、そちらの役をやるのである
これは誰しもであり、産まれた身体は必ず死に向かって歩むのである。