子供の頃の遊びは、家では兄がノートにバスの窓ガラスを書き、それを切り、折り曲げてバスの形にして遊んでいた
親の仕事場でもある自動車整備工の工場も遊び場であった。
工場には市営バスの車検もやっていて、僕と兄はもっぱらバスの運転席に座り、バスの運転手ごっこをしていて、将来の夢はバスの運転手であった。
自動車整備工はお爺ちゃんの代からのもので、うちの親父は2代目だ
お客さんには有名人やプロ野球選手、後に総理大臣になる人までいたそうだ。
小学校に上がるまでは団地に住んでいて、お寿司を食べる時は、お寿司でお腹いっぱいにはならないからインスタントラーメンを必ず一緒に食べていたので、お寿司とラーメンはいつもセットなのが当たり前と思っていた。
贅沢をした覚えはないが、工場で働く人や、親父に連れられ色んな人に会ったが、子供の僕に気を使い、本心ではない振る舞いをしているのは、子供心にわかっていた。
そんな坊っちゃんでありながらも、母親は朝早くからバイトに出掛け、朝食を作り、昼間は工場で働きながら、保険や化粧品の仕事もしていた。
それでもたまの休みの日には、シュークリーム、バウンドケーキ、アップルパイなどを作ってくれた🎵
昔は歌手を目指していたらしく、カラオケ大会に出場すると必ず優勝してきた。
僕の子守唄は美空ひばりだった。
母親の小さい頃の印象に残っている事は、二人でエスカレーターに乗っていた時、母親が転びそうになった所、僕の腕をとっさに掴んでしまった事を、僕は覚えていない事なのに『あの時は本当にごめんね🙏』とずっと悔やむように言っていた事を凄く覚えている。
良く母親に言われた言葉は『自分に厳しく、人には優しい人になりなさい』と言われた。
あと幼い頃、僕に弟か妹が出来るかも知れないと言われたが出来なかったことを覚えている
他にも『本当は、ヒロにはお兄ちゃんお姉ちゃんが居たかも知れないんだよ』と
それだけど貴方達は2人だけしかいない兄弟なんだから仲良くしなさい✨と良く言われたことを覚えている
一方父親は、典型的なお坊ちゃん
遊びのプロだ
卓球、トランペット、ラグビー、水泳、野球、プロレス
射撃に、バイク、車、クルーザー
会員制barにレストラン色々なことを教わった
スポーツは元より、車は幼稚園生位から膝に乗せハンドルを握らされていたし、小学生の時には大型バイクの後ろに乗せ、色々な所に連れていってくれた
『バッテリー繋げとけ』とか、『エンジン掛けとけ』とか当たり前の様に小学生の頃から言われていたし、射撃場にも、クルーザーにも、会員制のbarなどにもよく連れていってもらっていた
父親とはよくお風呂で大事な男だけの話をしたりしていたが、どちらかと言うと父親は自分に甘く子供に厳しい父親だった
土曜日は徹夜麻雀で家には帰ってこないが、日曜の僕の野球の試合には必ず見に来ている
文句しか言わないから、来なきゃいいのにと思うが必ず来る
どこにでもいる家族構成で、どこでもある家庭環境だが、僕にとって父親も母親も兄貴も大好きで、凄く愛されて育ち、一番の宝物である。
そんな環境で育ったのが僕である