寒さが身に染みる冬の朝、アヤは古びた手鍋を片手に、村の市場へと足を運んだ。手鍋は彼女の母から譲り受けたもので、ずっと大切に使い続けている。市場では新鮮な野菜や魚が並び、賑やかな声が飛び交っていた。

アヤは市場で魚屋のキヨシに声をかけた。「おはようございます、キヨシさん。今日の魚はどうですか?」

キヨシは笑顔で答えた。「おはよう、アヤさん。今日の魚は新鮮だよ。特にこの鯖はおすすめだ。」

アヤはキヨシの勧めに従って、鯖を手鍋に入れた。市場での買い物はアヤの日課であり、手鍋を提げて歩く彼女の姿は村の風景の一部となっていた。

その日、アヤは市場を後にして、家に戻る途中で村の子供たちに出会った。子供たちは遊びに夢中で、アヤの手鍋を見て興味津々に話しかけた。「アヤおばさん、それ何入ってるの?」

アヤは優しく微笑みながら答えた。「これはね、おいしいお魚だよ。今日の晩ご飯に使うの。」

子供たちは目を輝かせ、「僕たちも食べたい!」と声を揃えて言った。アヤはその無邪気な声に心が和んだ。「じゃあ、みんなも一緒にご飯を食べに来なさい。おいしい鯖を焼いてあげるから。」

夕方、アヤの家には子供たちが集まり、楽しい夕食の時間が始まった。アヤは手鍋から鯖を取り出し、丁寧に焼いていった。香ばしい匂いが家中に広がり、子供たちはその匂いに誘われるように集まってきた。

「いただきます!」子供たちは口を揃えて言い、アヤの作った料理を楽しんだ。アヤはそんな子供たちの姿を見て、幸せを感じた。手鍋を提げて市場へ行く毎日の営みが、こんなにも豊かな時間をもたらしてくれることに感謝した。

しかし、アヤの心には一つの悩みがあった。それは、都会に住む息子のタカシとの関係が疎遠になっていることだった。タカシは仕事に忙しく、なかなか実家に帰ってこない。アヤはいつも手紙を書いていたが、返事はなかなか来なかった。

ある日、アヤが市場から帰ると、玄関に見慣れない靴があった。家の中に入ると、そこにはタカシが立っていた。「お母さん、ただいま。」

アヤは驚きと喜びで言葉を失ったが、すぐに笑顔を浮かべた。「タカシ、お帰り。どうして急に?」

タカシは少し照れくさそうに笑い、「仕事が一段落ついて、久しぶりに家に帰りたくなったんだ。」と言った。

アヤは手鍋を提げてキッチンに向かい、「じゃあ、今日は特別なご馳走を作るわね。」と声をかけた。手鍋の中には、新鮮な鯖が入っていた。

夕食の時間、アヤはタカシと共に食卓を囲んだ。手鍋から出した鯖は美味しそうに焼き上がり、二人はその味を楽しんだ。タカシは昔話に花を咲かせ、アヤは息子の成長を感じながら、幸せな時間を過ごした。

「お母さん、手鍋を提げて市場に行く姿を見て、子供の頃を思い出したよ。お母さんの料理がいつも楽しみだった。」タカシはそう言って微笑んだ。

アヤはその言葉に涙を浮かべながら、「手鍋はね、ただの道具じゃないの。家族を繋ぐ大切なものなのよ。」と優しく答えた。

タカシはその言葉に深く頷き、「これからはもっと帰ってくるよ、お母さん。」と約束した。

こうして、アヤとタカシは再び心を通わせ、家族の絆を取り戻した。手鍋を提げるアヤの姿は、これからも変わることなく、家族の温かさを守り続けるのだった。


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