「澤穂希 学歴」と検索した方は、出身校がどこなのかを知りたいのではないでしょうか。
先に書いてしまうと、小学校から高校までは地元・東京都府中市の公立校でした。
面白いのは大学のほうです。進学した大学は途中で辞めているのに、いま別の大学で教える側に立っているんです。
| 段階 | 分かっていること |
|---|---|
| 小学校 | 府中市内の公立小。2年生でサッカークラブへ |
| 中学校 | 府中市内の公立中。1年生で読売ベレーザに入団 |
| 高校 | 都立高校。クラブと代表を掛け持ちしながら卒業 |
| 大学 | 教育学部に進学したが中退している |
| 現在 | ある大学で特別客員教授を務めている |
▶ 具体的な学校名と、いま教壇に立っている大学・担当科目は 完全版の記事 でまとめています。
澤穂希の学歴は地元の公立校が中心
まずは、学校ごとの歩みを順に見ていきましょう。
小学生でスカウトされた
出発点は、地元の小学校時代でした。
サッカーを始めたのは小学2年生。地域のクラブに入団したのが最初です。
当時の女子サッカーは、いまと環境がまったく違います。女の子がボールを蹴る場所自体が限られていて、男子に混じってプレーするのが普通でした。
そんななかで頭角を現し、6年生のときには国内トップクラスのクラブからスカウトを受けています。中学に上がる前の時点で、すでに進路が決まっていたことになりますね。
そして中学1年で正式に入団します。10歳も20歳も年上の選手たちと一緒にプレーしていた、と本人が振り返っているほどの環境でした。
中学生で代表デビュー
驚くのは、そこでレギュラーを取っていることです。
中学3年でリーグのベストイレブンに選ばれ、日本代表にも初招集されています。
ベストイレブンというのは、そのシーズンで最も活躍した11人に贈られるものです。社会人リーグの中で、中学生がその枠に入ったことになります。
高校はサッカーの名門ではなく、地元の都立校を選びました。すでに最高の環境でプレーしていたので、部活で強くなる必要がなかったんですね。
平日は授業、夜と週末はクラブ、そこに代表招集が入る生活です。それでもきちんと卒業しているところに、この人の生真面目さが出ています。
当時の女子サッカーには「これ一本で生きていける」という保証がありませんでした。競技と学校の両方を手放さない判断が、次の進学にもつながっていきます。
澤穂希の学歴で最大の転機は大学
ここからは、大学と現在の話に入ります。
教員免許を目指していた
高校卒業後に選んだのは、教育学部でした。
進学の目的は、教員免許を取ることだったとされています。
意外に思える部分かもしれません。すでに日本代表の主力だった選手が、教員という別の道も視野に入れていたわけですから。
ただ、当時はプロとして食べていける保証がありませんでした。競技を続けながら資格も取っておく、というのは現実的な判断だったでしょう。
ところが、その計画は途中で変わります。大学3年にあたる年、澤さんはアメリカへ渡りました。結果として大学は中退となり、教員免許も取得していません。
中退した人が教壇に立つ
そして現在、肩書きが一周して戻ってきます。
澤さんはある大学で、特別客員教授を務めています。
これは大学の公式サイトに掲載されている情報で、推測ではありません。所属は経営学部で、スポーツをテーマにした科目を受け持っています。
大学を中退した人が、別の大学で教授として迎えられる。学歴という切り口で見ると、なかなか劇的な展開ですよね。
もちろん学問的な業績で選ばれたポストではありません。女子サッカーがほとんど注目されなかった時代から、世界一で脚光を浴びる瞬間まで内側で見てきた経験そのものが評価されたのでしょう。
受け持っているのは、競技の技術ではなくスポーツの運営を扱う科目です。
環境がどう変わり、何が足りなかったのか。教科書には載っていない話を、当事者として語れる立場にいます。これは澤さんにしか話せない領域ですよね。
免許という形は取れませんでしたが、人に教えるという方向性はつながっていました。中退から20年以上を経ての一周です。