先日の品川庄司出演回で、けいちょんがマジギレけいちょん騒動以降「コメントなんか読んでない」と発言した(「文句を言うんだったら自分で決めてほしいです」参照)。誠実な謝罪における常套句である「今後とも、変わらぬご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」という気持ちが無いということを自分で露呈させてしまった。ただ、批判だらけのコメントを読むのが辛いという気持ちはよくわかるし、コメントと言ったって玉石混交で参考にすべきコメントもあれば参考にしないべきコメントもある。
けいちょんチャンネルのコメント欄を観察したことがある人ならわかると思うが、けいちょんの対応は至ってシンプルである。コメント欄にはチャンネル管理者がつけることができるハートマークというものがあるのだが、けいちょんは「褒めてくれる人」にハートマークをつけ、「批判めいたコメント」にはハートマークをつけない、といった感じでコメントを選別していた。これによってけいちょんに良かれと思って諫言した人は多くの場合けいちょんに幻滅し、最悪の場合ファンからアンチへと変貌する。自分でアンチを増殖させて、その結果批判コメントも増殖しているのだということぐらいはどうにか理解してほしいが、理解できないのであれば「コメントなんか読まない」のほうがよっぽど良い。
おそらくけいちょんは人生55年間、誰かからの説教、お叱りをすべて無視してきた。というより、論理を深く解釈することができないのだと思う。そもそも漢字を読むのに一苦労のけいちょんの学力、視力、忍耐力からしてコメントを読解する力があるはずも無いのだ。けいちょんは(参考にすべき)説教、お叱りからなにかをインプットして、自分を成長、進化、改善させようというつもりはさらさらないし、できないのだ。そうであれば、すべての批判コメントは「暖簾に腕押し」で終わる。コメントを書く人もここはしっかり認識しておくべきだ。
けいちょんが説教されている様々なシーンを見たとき、けいちょんがどう振る舞っているかを見て欲しい。例えば先日の品川庄司出演回で品川にイジられているときでも、フーリガンになったことをマッコイに叱られているときでも(「マッコイの説教で一件落着?」参照)、問題点を指摘されると「言うな!」あるいは「わかったから!」と言って口を塞ごうとするのである。
また、藤森・佐田との回では、横兄に「年長者なんですからキレるとか駄目ですよ」とマジ注意されたにもかかわらずマジギレけいちょん騒動を起こした。古くはマッコイ斉藤、品川にYouTubeの相談をしに行った回でも「お前なんでそうやって偉そうに」と言い返し、相談に乗ってくれた庄司について「庄司も偉そうに言うから頭きてさ、ぶん殴ってやろうかと思ったよ」と言い出す始末である(【YouTube引退】けいちょんが壮絶な説教を受けました。【人格全否定】)。その他、説教されたり叱られると、無視をする、ふてくされて黙るという「見ざる聞かざる言わざる」状態が目立つ。先輩芸人との付き合いが極端に少ないのも、とにかく上から指導されることが嫌だという性格の表れではないだろうか。
よって、斯々然々とけいちょんを批判したら、けいちょんは不快になる以外の反応を見せないのだ。「批判めいたコメント」を書いた人をぶん殴る訳にも行かないので、仕返しとしてハートマークをつけないという子供な対応をしていると考えられる。そして「批判めいたコメント」が増えた現在はコメント読むこと自体をシャットアウトしたということだ。
以上のことを認識したとき、けいちょんにとって「コメントを読む」とは「褒めてもらいたいだけ」を意味する。これを承認欲求と言う。それはけいちょんの行動原理でもある。例えばクリスタルガイザー凸についてけいちょんは「お礼である」という表現にこだわっている。なんのお礼なのかというと、それはすべて何らかの形で「承認」してくれたことへの感謝である。
そして歌詞を覚えられないのにけェスをやりたがる理由、台詞を覚えられないのに芝居をやりたがる、映画に出演したがる理由、わかりやすい能力が無いのにとにかく色んなところに呼ばれたがる理由、それらは「ライブの本番のキャーって言われるとこだけやりたいだけ」、「ステージ上で輝きたいという欲求の異常な強さ」であって、とにかくチヤホヤされたいだけ、承認されたいだけの話なのだ。
続いて、けいちょんは「褒められるべきか」「叱られるべきか」だが、「偏らない」が正解なのではないかと思う。「偏らない」を達成する上で一番簡単な方法は、「けいちょんがコメントを読まないことにする」なので、コメントを読まないというけいちょんの判断は正解だと思う。
ただ、とにかく人一倍褒められたい性格である以上、褒めているコメントを探す、という行為はおそらくやめられないだろう。そしてけいちょんは褒められるとどうなるか。簡単に言えば調子づくのだ。現在のような不調のけいちょんの調子を上げたい場合は褒めるのが得策だろう。しかし褒めれば伸びる子と思ったら大間違いだ。けいちょんは調子づくとだんだん「調子に乗りすぎる」ので、それを抑制するためには叱るのが良い。ただし、叱りすぎると萎縮するのだ。けいちょんはアウェーに滅法弱いので、批判の声が多いと調子に乗れなくなるので隅っこでただ太ってるだけになりがちだ。
これをすべてのけいちょんチャンネルファンが理解し、けいちょんの心理状況を操ることができれば、また良い波が来るのではないかと思う。けいちょんの問題点を詳らかにしている自分が言うのも難だが、批判コメントが殺到しているいまはけいちょんを「褒めるべき」時期だと思う。
けいちょんチャンネルのコメント欄は極端に振れる傾向がある。なんでもかんでも褒める人達がいっぱいいると思えば、逆にとにかく批判しかしない人ばかりになるということがある。基本的には「是々非々」であるべきだが、称賛の度が過ぎればそれを抑制し、批判の度が過ぎればそれを抑制するバランス感覚がけいちょんチャンネルコメント欄にも求められる。
以上はあくまでも「けいちょん」のみを対象にした話だが、けいちょんがコメントを咀嚼できない以上はチャバネが参考にすべきコメントをうまく取り入れる必要がある。けいちょんにアンケートを取るのではなく、視聴者からアンケートを取るべきだという話だ。そして視聴者の声を盾にして、けいちょんを正しい方向に導けば良い。例えばだが、視聴者に「けェスを今後も続けるべきか?」と聞いてみたら良い。それで「今後も続けるべき派」が70%を超えれば続けるべきだし、50%を切れば潔く終わらせるべきだろう。コメント大賞とかそんな茶番は別にやらなくてもいいので、もう少し核心に迫った企画を考えて欲しいのだ。