時間や瞬間は刻々と流れていく
景色であれ、どんな最高な瞬間も、どんな最低な瞬間も、流れ過ぎさっていく
時間を止めたくても過去に戻りたくても未来に行きたくても止まらないし行けない。
人は常々、過去や未来に思いを馳せる
それはいい事、悪い事、関係なく。
でもそんな時間でも今は止まる事なく創造され、思いを馳せていた時間すらも過去になっていく。
タイムトラベルが無い限り自分が時間を操る事は出来ない。
ただ、自分は此処にいるだけで周りの時間や空間が勝手に動いていく
自分が動いている様で、もしかしたら自分は此処にいる事しか出来なくて
周りが動いてくれているのかもしれない。
自分が時を常に操るのは大変な事なのかもしれない。
それは呼吸をしたり、心臓が動いたり、自分が意識的にやるとなったら大変な事だけど
人や動物は無意識にするもの。
それと同じく時間も当たり前に動いてくれる。
人は時が止まればいいとか、過去に戻りたいとか、いい未来に憧れたり、好き勝手に色々抱くけれど
黙って黙々と動いてくれている時間や、生きていく為の生理的な体の機能。
そういう当たり前にどれだけ気付けていけるのか。
自分が色々動いて、動かして、変えていっている。
もしかしたら、そんなものは飛んだ勘違いで
自分なんてそこに突っ立ってるだけで周りが動いてくれているだけなのかもしれない。
体感的に、未熟で無能な人間には認知出来ないとんでもない偉大な何かの中にいるんだと思う。
それは勝ち負けとか、多い少ない、生と死、そんな小さなレベルではなく
それを遥かに超えた何かがある。
人間の極限は生と死で、それは偉大なテーマなんだけど、その偉大な何かからしたらコンビニに買い物に行く、行かない事と同じレベルなんだと思う。
生と死、コンビニに行く行かないは人間レベルでは大きな違いを感じるけども
それは単に価値観によって支配されているだけで、引きで見れば人間がやる事全てになんら差はない。
借金数億円抱えるのと、道端で躓くのと、歴史に残る発明をするのと、コンビニに行く事、人間がやる事全ては全く同じことなんだと思う。
なのに、これは凄い凄くない、良い悪い、綺麗汚い、多い少ない、自分の比較をベースとした価値観で判断し、喜んだり悲しんだり怒ったり笑ったり。
まあ、人なんてそんなものなんだけど
もし、少しでも心に不快感を抱くのなら
もしかしたらその物事に大接近しているだけなんだと思う。
そうやって大接近している事に気付いて少しづつ引きで見て行く習慣を身につける。
そうすると少しでも締め付けられている感覚が楽になっていくと思う。
どんな物事でも所詮人間がやる事、感じる事で
それは小さい所か最近の研究ではただのエネルギーが動かしてるっていうものもある。
つまり無。
自分やこの世界が本当は無く、幻だったとしたら
死んで肉体が無くなった時に本当の意味で気付くだろう。
てか死んだら誰だって無になる、自分は消えるってわかってんだから本来の姿に戻るだけ。
そこには時間も自分も他人も世界も存在しない。
まさに永遠。無限。
生きるとか死ぬとかそんな次元じゃない。
真実の姿は。
その真実には死ぬまで完璧には知れないし、臨死体験とか生死を彷徨った人は垣間見るらしいんだけど。
人間というか、ベースは無なんだと思う。
完璧に無の世界。
それが仏教的な悟り。なのかなぁー
まぁ、いずれにせよ時間とか様々な諸問題、どーでもいい事だらけ。
恋愛、金、仕事、人間関係、理想、夢、本当どーでもいい
妙な価値観に染まらないで、自分が楽しめてればそれでいいんだよ。
本当は何にも無いんだからさ
世の中は複雑所かシンプルで、
シンプル所か何も無い(笑)
どんな事でも気楽に捉えて、全て遊び、道楽のつもりで生きていくと思いのほかトントン拍子で事が片付いていくと思う。
軽く楽にいきましょー