今日はふと、カタリ場@母校の番外編みたいなことを書こうと思った。
カタリ場の効果検証がどうとかいうことでないこと。
***
「佐伯市のこと好き?」
ほとんどの人が、この質問に「はい」と答える。
この佐伯市という言葉に対する定義は、きっと個人個人違うんだと思う。
いろいろな新しい商業施設ができていて、九州東自動車道のICができている、この街の変化をみて「佐伯市」なのか
いつも周りにいる友人先生と過ごす毎日が「佐伯市」なのか
小さい頃から愛着のあるその感覚が「佐伯市」なのか
きっと違うんだろうなぁって。
もしあたしが高校生のときに「佐伯市のこと好き?」なんぞ聞かれたら
「うっせーよそんなん、嫌いに決まってんだろ、つまんねー質問すんな」
なんて、言っていたに違いない。(というか、言っていた)
その当時の私個人の定義する「佐伯市」は
友人関係が10年くらいうまくいかず
社会的なことにやたら関心がある自分にかまってくれる友人や先生がそんなになく
先生たちからの一方的な「国立大学進学主義」みたいな価値観にうんざりし
「勉強しているやつがださい」というなんとなくある地元のヤンキーたちの価値観や、
この人たちに目を付けられたら地元にはいられないんだろうなという超なんとなくの恐怖感みたいなものに踊らされ
外見には勝てなくて
なんとなく当たり前とされている価値観に外れるものへの目は厳しくて
きっと都心の人口たくさんの場所とは比べ物にならないくらい「人目を気に」していた
この数年の日々を総合して「佐伯市」とし、「嫌い」と言っていた。
完全なる田舎のはずれものタイプのうちの1人と思う。自分で言うのもなんだけど。
でも、そんな地元に、母校にカタリバという1つのプログラムを持って帰ったことで
私は「佐伯市」がとても好きになった。
佐伯盛り上げ隊というイカついおにいさまがたの元気をいただき
佐伯のたくさんの誇れるグルメをしり
その生産物への愛情あふれる人の温かさを知り
先生という、世の中で特に好きじゃなかった職業(現在は全然違うよ!)の方々と一線を越えるコミュニケーションができることでその人柄を知り
何より、60人近い若者が陸の孤島に集い、それを応援してくれるたくさんの「オトナ」を知り
「佐伯市」が好きになった。
高校生当時、「この頑固な『嫌い』というタグをつけた佐伯市に対する価値観を、ぶち破るくらいの価値観が欲しい」なんて本当は思って東京に出た、という裏話もあったりなんたり。
東京なんて、ヒトモノ情報があふれているから、自分の価値観なんてボッコボコに変化しされていくものなんて、容易に想像できた。
ただ、ヒトもモノも情報もどうしても限られる場所で、いかに自分の価値観がぼっこぼこにされるかなんて、正直期待してなかった。
でもこのままじゃ、きっといけないんだろうな、なんて思ってもいた。
あたしだって大学生になって「まじ地元好きじゃないっす」なんて言えば言うほど空しくなるだけである。
**
大学4年目にして、高校生当時の私のような高校生を応援したいという気持ちで持って帰った「カタリ場」は
明らかに私の価値観をボッコボコにした。それも予想以上に。
「こんな田舎に60人も集まってくれるなら、絶対佐伯市にとっても高校にとってもキャストにとっても素敵な日々にしたい」と思い、準備を始めると
いのちゃんが精力的に「佐伯市の魅力」を集めてくれた。
私たちの想いを応援してくれる、卒業生のみなさんがいた。
そこには、いのちゃんもあたしも知らない「佐伯市」があった。
何よりその中には「たくさんの素敵なオトナ」が集まっていた。
教育実習中に「ヒトの目を気にして何もしないなんて、もったいない。高校を卒業した後のセカイはとっても広くて、近いんだよ。一人一人の十何年間という人生に出逢うヒトモノ考え方が違ってヒトができているなら、みんな違って当然なの。」ってサンプリングをしたときに得た
「本当は、周りを気にして、合わせている子がきっと多くて、先生の話はきっとみんな気づいているんです。だから嬉しかった」と言ってくれた生徒たちの言葉から感じたことは
ただでさえこの街のほとんどの若者は「高校生以下」の子たち。
この街いる「高校生以下の若者」を応援してくれるオトナが少ない。進学実績とか、そういう利害関係のない「オトナ」。
カタリバは、利害関係のない、おせっかいの「ナナメの関係」を広めているけれど
何よりあたし個人としては、自分自身がたくさんの「オトナ」を知れたことに価値があった。
嗚呼なんでこんなにたくさんの魅力を、オトナを、あたしは知らなかったんだろう。
***
母校カタリバを行ったことで、60人のアツい若者と、先生と、佐伯市のオトナたちとで
佐伯市が盛り上がった。
メディアに取り上げられ、たくさんの見学の方々がいらして、たくさんのオトナが応援してくれて
それだけで、1つの大きなイベントになった。
佐伯盛り上げ隊というイカついおにいさんたち(4日目の打ち上げのときは佐伯「盛り上がり隊」になっていた節があるけど、実は本当に素敵なおにいちゃんたち!)
http://saiki-moriage.blogspot.com/
糀屋本店のみなさん
http://www.saikikoujiya.com/
味愉喜(みゆき)食堂のナオさんやみなさま
http://www.gomadashi.com/
私たちの背中を押してくれた卒業生平川さん
などなど
そして私はたくさんの想いの詰まった日々の言い出しっぺになってしまった。
恐れ多いばかりです。
***
ここに、地域が元気になる秘密がある気がする。
大学のない小さな田舎町に、ある日大学生がやってきて
高校生を巻き込んで
オトナを巻き込んでいく
その日々に生きる高校生に、自分たちの姿を見せていく
決してNPOカタリバがやっている「カタリ場」というプログラムを利用しなくてもいい。
どんな背中を見せていくか
あたしら大学生が、「どう」高校生とつながるか
さらに欲を言えば、「どう」オトナとつながるか、つなげ続けるか
そこが結構重要な気がした。
オリジナルなカタリ場はそうして生まれ、街は元気になる。
それでいいと思う。
私は来年から大学院生だけど、今よりもきっと少なくなる隙間時間で
できるだけ、この佐伯市が元気になるために貢献したいと思っています。
いや、私にもそんなキッカケを与えてくれたのが、鶴城カタリバであり、そこに集まった素敵なオトナたちです。
私が2歳から住む、大分県佐伯市。
そこにたくさんの大切な友人たちが集い
新たにここで新しい大切な友人がたくさんできた
私にとってもキッカケだらけだった鶴城カタリバ。
あのあともあたくさんの素敵なオトナたちから「ありがとう、ありがとう」と言葉をいただき
こちらこそ、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします、という気持ちだった。
佐伯に帰ったら会いたい人がたくさん増えたことはかなりの収穫だ。
***
合宿4日目
静かになったセミナーハウスで城戸先生に見送られ後にし、いのちゃんち、うちへと2人で行った。
そのあと、高校時代、貴重な「ナナメの関係」を提供してくれた恩師のいる塾にヒロと行って
塾の後輩におせっかいをしに行った。
あたしは、高校生当時、居場所のない中、この個人塾の小さな部屋で、ヒロたちとどーしようもないおしゃべりをして、将来を語り合い、そして、時々塾に帰ってくる「センパイたち」に憧れて大学生活を夢見ていた。
今となってはわたしたちが「センパイ」になっていて
さらなる特別なおせっかいをする。
帰りはあたしが車でヒロを実家に送り、その車の中でまた楽しく語って、帰った。
誰かが自分のしょーもないおせっかいで1歩を踏み出そうとしている姿を、特に塾では見られるので
ものすごくわくわくする。
この陸の孤島で、自分に負けないことは容易じゃない。
その中で、彼らはどんな葛藤をして、どうやって道創って、どこに行ってしまうのかしら。
この陸の孤島での葛藤を経験しているからこそ、余計に感慨深いのだ。
変わって行く街、変わらない想い、変わっていく価値観、変わらない想い
若者も街もオトナもきっと変わっいく
変わらないもの、変わるもの、どちらも大事にして生きるんだろう。
***
次の日、急遽私は福岡に行くことにしたのだけれど
その前に母と二人で買い物に出ていたとき、私の卒園した幼稚園の体操服を着ている少年がいた。
あーそういえば、幼稚園も運動会の時期か。
初めて年少組として幼稚園での運動会に出たときのことを思い出した。
最初の開会式の入場から、年少組の私たちの手を握って、一緒に入場してくれた、年長組の「おねえさん」がすごく好きだった。
あのときから、ナナメの関係はきっとあって、あたしは誰かに憧れて、誰かの背中をおっかけて生きるんだろうなぁ。
あの日であった少年の体操服は、19年前の3歳の私が着ていたものと、今も変わらなかった。
彼はこれからどう変わって生きるんだろう。
カタリ場の効果検証がどうとかいうことでないこと。
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「佐伯市のこと好き?」
ほとんどの人が、この質問に「はい」と答える。
この佐伯市という言葉に対する定義は、きっと個人個人違うんだと思う。
いろいろな新しい商業施設ができていて、九州東自動車道のICができている、この街の変化をみて「佐伯市」なのか
いつも周りにいる友人先生と過ごす毎日が「佐伯市」なのか
小さい頃から愛着のあるその感覚が「佐伯市」なのか
きっと違うんだろうなぁって。
もしあたしが高校生のときに「佐伯市のこと好き?」なんぞ聞かれたら
「うっせーよそんなん、嫌いに決まってんだろ、つまんねー質問すんな」
なんて、言っていたに違いない。(というか、言っていた)
その当時の私個人の定義する「佐伯市」は
友人関係が10年くらいうまくいかず
社会的なことにやたら関心がある自分にかまってくれる友人や先生がそんなになく
先生たちからの一方的な「国立大学進学主義」みたいな価値観にうんざりし
「勉強しているやつがださい」というなんとなくある地元のヤンキーたちの価値観や、
この人たちに目を付けられたら地元にはいられないんだろうなという超なんとなくの恐怖感みたいなものに踊らされ
外見には勝てなくて
なんとなく当たり前とされている価値観に外れるものへの目は厳しくて
きっと都心の人口たくさんの場所とは比べ物にならないくらい「人目を気に」していた
この数年の日々を総合して「佐伯市」とし、「嫌い」と言っていた。
完全なる田舎のはずれものタイプのうちの1人と思う。自分で言うのもなんだけど。
でも、そんな地元に、母校にカタリバという1つのプログラムを持って帰ったことで
私は「佐伯市」がとても好きになった。
佐伯盛り上げ隊というイカついおにいさまがたの元気をいただき
佐伯のたくさんの誇れるグルメをしり
その生産物への愛情あふれる人の温かさを知り
先生という、世の中で特に好きじゃなかった職業(現在は全然違うよ!)の方々と一線を越えるコミュニケーションができることでその人柄を知り
何より、60人近い若者が陸の孤島に集い、それを応援してくれるたくさんの「オトナ」を知り
「佐伯市」が好きになった。
高校生当時、「この頑固な『嫌い』というタグをつけた佐伯市に対する価値観を、ぶち破るくらいの価値観が欲しい」なんて本当は思って東京に出た、という裏話もあったりなんたり。
東京なんて、ヒトモノ情報があふれているから、自分の価値観なんてボッコボコに変化しされていくものなんて、容易に想像できた。
ただ、ヒトもモノも情報もどうしても限られる場所で、いかに自分の価値観がぼっこぼこにされるかなんて、正直期待してなかった。
でもこのままじゃ、きっといけないんだろうな、なんて思ってもいた。
あたしだって大学生になって「まじ地元好きじゃないっす」なんて言えば言うほど空しくなるだけである。
**
大学4年目にして、高校生当時の私のような高校生を応援したいという気持ちで持って帰った「カタリ場」は
明らかに私の価値観をボッコボコにした。それも予想以上に。
「こんな田舎に60人も集まってくれるなら、絶対佐伯市にとっても高校にとってもキャストにとっても素敵な日々にしたい」と思い、準備を始めると
いのちゃんが精力的に「佐伯市の魅力」を集めてくれた。
私たちの想いを応援してくれる、卒業生のみなさんがいた。
そこには、いのちゃんもあたしも知らない「佐伯市」があった。
何よりその中には「たくさんの素敵なオトナ」が集まっていた。
教育実習中に「ヒトの目を気にして何もしないなんて、もったいない。高校を卒業した後のセカイはとっても広くて、近いんだよ。一人一人の十何年間という人生に出逢うヒトモノ考え方が違ってヒトができているなら、みんな違って当然なの。」ってサンプリングをしたときに得た
「本当は、周りを気にして、合わせている子がきっと多くて、先生の話はきっとみんな気づいているんです。だから嬉しかった」と言ってくれた生徒たちの言葉から感じたことは
ただでさえこの街のほとんどの若者は「高校生以下」の子たち。
この街いる「高校生以下の若者」を応援してくれるオトナが少ない。進学実績とか、そういう利害関係のない「オトナ」。
カタリバは、利害関係のない、おせっかいの「ナナメの関係」を広めているけれど
何よりあたし個人としては、自分自身がたくさんの「オトナ」を知れたことに価値があった。
嗚呼なんでこんなにたくさんの魅力を、オトナを、あたしは知らなかったんだろう。
***
母校カタリバを行ったことで、60人のアツい若者と、先生と、佐伯市のオトナたちとで
佐伯市が盛り上がった。
メディアに取り上げられ、たくさんの見学の方々がいらして、たくさんのオトナが応援してくれて
それだけで、1つの大きなイベントになった。
佐伯盛り上げ隊というイカついおにいさんたち(4日目の打ち上げのときは佐伯「盛り上がり隊」になっていた節があるけど、実は本当に素敵なおにいちゃんたち!)
http://saiki-moriage.blogspot.com/
糀屋本店のみなさん
http://www.saikikoujiya.com/
味愉喜(みゆき)食堂のナオさんやみなさま
http://www.gomadashi.com/
私たちの背中を押してくれた卒業生平川さん
などなど
そして私はたくさんの想いの詰まった日々の言い出しっぺになってしまった。
恐れ多いばかりです。
***
ここに、地域が元気になる秘密がある気がする。
大学のない小さな田舎町に、ある日大学生がやってきて
高校生を巻き込んで
オトナを巻き込んでいく
その日々に生きる高校生に、自分たちの姿を見せていく
決してNPOカタリバがやっている「カタリ場」というプログラムを利用しなくてもいい。
どんな背中を見せていくか
あたしら大学生が、「どう」高校生とつながるか
さらに欲を言えば、「どう」オトナとつながるか、つなげ続けるか
そこが結構重要な気がした。
オリジナルなカタリ場はそうして生まれ、街は元気になる。
それでいいと思う。
私は来年から大学院生だけど、今よりもきっと少なくなる隙間時間で
できるだけ、この佐伯市が元気になるために貢献したいと思っています。
いや、私にもそんなキッカケを与えてくれたのが、鶴城カタリバであり、そこに集まった素敵なオトナたちです。
私が2歳から住む、大分県佐伯市。
そこにたくさんの大切な友人たちが集い
新たにここで新しい大切な友人がたくさんできた
私にとってもキッカケだらけだった鶴城カタリバ。
あのあともあたくさんの素敵なオトナたちから「ありがとう、ありがとう」と言葉をいただき
こちらこそ、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします、という気持ちだった。
佐伯に帰ったら会いたい人がたくさん増えたことはかなりの収穫だ。
***
合宿4日目
静かになったセミナーハウスで城戸先生に見送られ後にし、いのちゃんち、うちへと2人で行った。
そのあと、高校時代、貴重な「ナナメの関係」を提供してくれた恩師のいる塾にヒロと行って
塾の後輩におせっかいをしに行った。
あたしは、高校生当時、居場所のない中、この個人塾の小さな部屋で、ヒロたちとどーしようもないおしゃべりをして、将来を語り合い、そして、時々塾に帰ってくる「センパイたち」に憧れて大学生活を夢見ていた。
今となってはわたしたちが「センパイ」になっていて
さらなる特別なおせっかいをする。
帰りはあたしが車でヒロを実家に送り、その車の中でまた楽しく語って、帰った。
誰かが自分のしょーもないおせっかいで1歩を踏み出そうとしている姿を、特に塾では見られるので
ものすごくわくわくする。
この陸の孤島で、自分に負けないことは容易じゃない。
その中で、彼らはどんな葛藤をして、どうやって道創って、どこに行ってしまうのかしら。
この陸の孤島での葛藤を経験しているからこそ、余計に感慨深いのだ。
変わって行く街、変わらない想い、変わっていく価値観、変わらない想い
若者も街もオトナもきっと変わっいく
変わらないもの、変わるもの、どちらも大事にして生きるんだろう。
***
次の日、急遽私は福岡に行くことにしたのだけれど
その前に母と二人で買い物に出ていたとき、私の卒園した幼稚園の体操服を着ている少年がいた。
あーそういえば、幼稚園も運動会の時期か。
初めて年少組として幼稚園での運動会に出たときのことを思い出した。
最初の開会式の入場から、年少組の私たちの手を握って、一緒に入場してくれた、年長組の「おねえさん」がすごく好きだった。
あのときから、ナナメの関係はきっとあって、あたしは誰かに憧れて、誰かの背中をおっかけて生きるんだろうなぁ。
あの日であった少年の体操服は、19年前の3歳の私が着ていたものと、今も変わらなかった。
彼はこれからどう変わって生きるんだろう。


