こんにちは、ハットリ(プロフィールはこちら)です。

 

僕は二児の父でもあるので、当然、教育にも強い関心を持っているわけですが、日本の子育てにおける自己肯定感信仰は異常だなと感じます。

 

子どもが自己肯定感の高い大人に育つために、ああすべきだこうすべきだと、そういった呪縛教育によって、いったいどのくらいの親や子どもが苦しんでいるのだろうかと。

 

叱ってはいけない、褒めて伸ばそう、ありのままを受け止めてあげよう、どんな時でもそうしなければならないみたいな風潮で、親はストレスを溜め、自己中で他人の気持ちを考えられない子どもが学校や社会で痛い目に合うとか、よく聞きますし、息子の幼稚園でもよく見ます。

 

めちゃくちゃバカバカしい話ですよね。

 

そういう状況って本末転倒というか、子どものために...子どものために...と、親がまず自分らしくなんて、ありのままでなんて生きられていないわけで、そんな親を見て子どもはどう育つかっていう話なんですよ。

 

 

そりゃ子どもたちには、「どんなキミでも素晴らしい」「そのままのキミが大好きだ」「何があっても愛してる」と伝えてあげるべきだと思います。

 

が、社会はそうではない、そのままで成功できるような、そのままで幸せに生きられるような世界ではないということを教えてあげないといけないわけで。 

 

キミは常にそのままで良い、受け入れてくれない人や社会が悪い、ではソッコー野垂れ死んでしまいます。

 

 

で、大人になっても自己肯定感が高いだの低いだの、自分が行動できない理由を、親の教育のせいにしてる人がいて、良い歳していつまで言ってるんだって話です。

 

例えば、起業しても、すぐ疲れたりサボったりして、自分で決めたタスクもこなさず挫折して逃げる人に限って

・こんなの自分らしくない
・ありのままの自分でビジネスしたい

とか言うんですが、そんなもん知らねーよって話で。

 

何でもかんでも自分の良いように解釈して、「私はこのままで良い」と現実から逃げる人を自己肯定感バカって言うんですよ。


ありのままで稼げるほど、ナチュラルな自分で戦えるほど、何十年もかけて積み上げてきたスキルや知識、人間性などがあるのであればそれで良いです。

が、それもないのに、自分らしくとか、ありのままでとか、何の根拠もなく自分には価値があると思っているとか、もうお前うるせーよって話で。

まず困ってる人の問題を解決するために、そしてその人たちに自分の商品の存在を知ってもらうために、届けるために、泥臭くやらないといけないわけです。

 

コツコツと積み重ねていかないといけないわけですし、ストレスや理不尽にも立ち向かっていかなければなりません。


もちろん、信念とか情熱とかは大事です。

が、それは自分の欲望ではなく、誰かを助けたいという熱い想いでなければ。

別にそれがお客さんのためではなく、家族のためとかでも良いんですが、その家族のために稼ぎたいなら、最初は自分らしさなんてさっさと捨てろってことです。


まずは、お客さんが求める姿(あるべきブランド)になってしっかり成果を出すべきで、「自分は本当にこれで良いのか」と自問自答するのはそれからです。

そこで初めて本当の自分らしさとは何か、ありのままとは何か気づくんです。

これが本来の自分のあるべき姿なんだ、自分の生きる意味はこれなんだと思うかもしれませんし、やっぱりこれは自分らしくないと思うかもしれません。

なので、そのステージに立つまでやることやりましょうよと。


良い歳した大人が、いつまでも自己肯定感ガーと言っててどうするんですかと。

 

自己肯定感が高いとか低いとかどうでも良いですし、高いとか低いとか言っている時点で誰かと思いっきり比較しているわけなので、そこにありのままとか、自分らしさなんてないんですよ。

 

自己肯定感というキャッチーな言葉、テーマを、行動できない言い訳に使っているだけです。

 

 

自己肯定感が高いからお金を稼げるとか、自己肯定感が低いから成功できないとかないですよ。

何なら「こんなはずじゃない」「自分にガッカリだ」と自己否定して、理想とのギャップや伸びしろに気付き、努力して成功に向かっていくもんです。

むしろ「ありのままで良い」「自分は自分らしく」で、変化しようともせず現実から逃げて人生詰んでいる人がどれだけいるんですかと。

 

 

誰もが自分らしく、ありのままでなんて生きられてないですよ。

みんな大人になって、子どもの頃やりたかった仕事をしてるのかというと、ほとんどの人がそうじゃないですよね。

でも、子どもの頃の夢とはかけ離れたことをやっていても、これが適職だとか、天職だとか、ナチュラルなメンタルでできる仕事だとか、やっているうちに気づくことなんていくらでもあります。

つまり、夢をあきらめたり、自分を殺したり、自分にウソをついたり、葛藤して生きていく中でも、それが誰かのためであり、価値を提供できているのであれば、自分らしさやありのままの姿はアップデートされていくということです。


そんなエラそうに言っている僕だって、毎日100%自分らしくありのままで生きられているかというと全くそんなことはありません。

言葉を着飾ることだってありますし、発信やメッセージをセーブすることだってありますし、意に反する行動をすることもあります。

ガマンすることもあきらめることもありますし、力不足や能力不足で情けないと思うこともあります。

本当の自分とは何だろう、本当にやりたいことは何だろうと毎日自問自答しながら生きているわけです。

そもそも、良い歳した大人が、ありのままの自分を受け入れてもらおう、自分らしさ全開で商売して金稼ごうなんざ、ただの老害の戯言でしかないんですよね。

 

 

たまにいますよ、天性の人たらしとか、その他天才的な何かを持って生まれてきた人とか、そういう人はそのままでもたくさんお金を稼いで、成功して、地位も名誉もあらゆるものを手に入れて、素晴らしい人生を送れるのかもしれません。

 

ただ、凡人は、死に向かっていくずつ、ありのままで、自然体で、自分らしく生きられるように、今はまだ葛藤しながら、時には自己否定もしながらも生きていけば良いんです。

 

 

ありのままで、自分らしく、ゆるく、フワッと、みたいな起業コンセプトが蔓延してますが、それをやっている張本人は、ほぼ漏れなくゴリゴリのビジネスマインドを持って、ストイックに、そして日々葛藤しています。

 

そういったコンセプトを鵜呑みにして自己肯定感バカにならないように、現実を見て、地に足つけ、やるべきことをやっていきましょう。