セ・リーグ、ヤクルト2-3阪神=延長十二回、最終戦、阪神16勝7敗1分、4日、神宮)さらば背番号6-。ヤクルトで3度の日本一に貢献した宮本慎也内野手(42)が4日、阪神最終戦(神宮)で引退試合に臨んだ。超満員のファンの前で、かつての定位置「2番・遊撃」でフル出場し、静かにグラブを置いた。引退セレモニーでは「苦しかったはずのグラウンドで、私は幸せ者だった」と声を震わせた。試合は延長十二回、2-3で敗れたが、4番のウラディミール・バレンティン外野手(29)が六回に自身のプロ野球記録を更新する60号2ランを放ち、ラストゲームに花を添えた。
19年間、脇役に徹した男に野球の神様が用意したのは、最高の舞台だった。雨が降り続く中での引退セレモニー。宮本の声が一瞬、震えた。
「小さいときから好きで始めた野球がプロになり、仕事に変わりました。引退会見の時、私は『楽しんでプレーしたことは一度もない』と言いましたが、自分の中で変わっていった。苦しかっただけのはずのグラウンドで、私は幸せ者だったんだと感じました」
観衆3万966人の目に背番号6を焼き付けた。慣れ親しんだ「2番・遊撃」でフル出場。六回無死二塁で、一ゴロで走者を進めた。すると二死後にバレンティンが60号2ラン。最後まで「脇役」に徹した宮本は、「主役」と笑顔で抱き合った。延長十回一死一、二塁の守備では、上本の左前に抜けそうな打球をダイブして止め、得点を許さなかった。
最大の見せ場は十一回、左翼への大飛球。サヨナラ本塁打!? スタンドは総立ちになったが、逆風に失速して左飛。「あれでいい。僕らしくて。野球の神様が、十二回までやらせてくれたのかな」とほほ笑んだ。
座右の銘「球道即人道」を貫いた。2011年2月、妻の知美さん(42)に甲状腺ポリープが見つかった。幸いにも良性で手術で取り除くことができたが、悪性なら引退するつもりだった。知美さんは「普段、そんな姿はみせたことがないのに。(良性で)本当にホッとした顔でした」と振り返る。
忘れられない原風景がある。父・義行さん(63)とのキャッチボール。少年野球を始めるまで、日曜日になると団地の前で父の胸に目がけて投げていた。1時間以上も続き「もう嫌だ」と思っていたという。
あれから35年。長男・恭佑(きょうすけ)君(7)が少年野球を始め、愛息とのキャッチボールが楽しみだ。「面倒くさいだろうと思っていたけど、それなりにできると楽しい。ちょっとおやじの気持ちが分かるかな」。始球式でストライクを投げ込んだ長男をいとおしそうになでた。
もう一つの“家族”もいとおしい。この日も室内練習場に一番乗りし、若手に背中で語りかけた。試合後には、目を赤くした選手一人一人と握手してメッセージを送った。5日に出場選手登録を抹消されるが、残り2試合はコーチとしてチームに帯同する。
「本当に縁の話ですが、できればここでという気持ちがある。引退試合をしてもらって、最初に着るユニホームが別のユニホームというのは、できないと思っている」
指導者として戻ってくる数年後まで、しばしのお別れ。背番号にちなんで6度宙に舞った宮本の目に、涙はなかった。(長崎右)
セレモニーにメッセージを寄せた野村克也氏
「人生はまさに縁で、一緒に野球をやらせてもらいました。引退するのはちょっと早いんじゃないか、という思いもありますが、これからは野球界のために、後輩の育成にあたってください。長い間お疲れさまでした。私も、いい選手に恵まれて幸せでした」
宮本の父・義行さん(63)
「プロではできて5、6年だと思っていました。印象深いのは巨人戦でよく打ったこと。私は長嶋さんの大ファンだったんです。入団のとき、『お父さんごめんな』と言われましたが、『でもヤクルトに行ったら絶対にレギュラーを取るから』と。そこから私も巨人ファンはぷっつりやめました(笑い)。あいつの守備がもう少し見たかった。やはり寂しいです。これからは今までの試合を録画したものを、ゆっくり見返したいと思います」
宮本の母・美津江さん(68)
「『1年でも2年でもいいからプロでやりたい』と言って入団して、阪神戦での骨折や2000安打…思い出はたくさんあります。誰より私が宮本慎也の大ファンでした。わが子ながらすごいなあと思うのは、優しいところですかね。後輩の初勝利や初本塁打などで時計を贈っているという話を伝え聞くと、優しい気の利く子なんだなと思って。まだユニホーム姿を見ていたいという気持ちはありますが、本当に幸せな19年間、お疲れさまでした」
宮本 慎也(みやもと・しんや)
1970(昭和45)年11月5日生まれ、42歳。大阪府出身。PL学園高から同志社大、プリンスホテルを経て95年ドラフト2位でヤクルト入団。正遊撃手として活躍し、3度の日本一に貢献。守備の名手でゴールデングラブ賞を10度(遊撃6度、三塁4度)受賞した。2011年に自身初のベストナイン選出、12年には通算2000安打達成。04年アテネ五輪、06年第1回WBC、08年北京五輪日本代表。05-08年はプロ野球選手会会長も務めた。1メートル76、82キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸1億6500万円。背番号6。