タイトルの通りだ。3日分書くと、4日分のブログが埋まるので、未来がどんどん進んでいく。

なんだか、ポジティブな言葉の響きだ。


まぁ、実際未来がどんどん進んでいくと、現実とかい離した時空が生まれて、そこにのみこまれる

私は、時間軸から落ちた、無限の現在に閉じ込められることになるわけだが・・・。


何の話だったか?


そうそう、節分の豆まきの話だったよね(違


というような、どうでも良い話し。くだらないことだけど、「携帯」と書いたとき、携帯電話のことだと

認識されるので「電話」と書かずに、「携帯」と書く。


しかし、「スマホ」と書くのはちょっと抵抗がある「携帯」より、形状も含め想像が容易な文字列の

為、使えれば、こちらの方がわかりやすい表記なのだが、いかんせん、字面がどうも、間抜けに

見える。


 ス マ ホ


                ス マ ホ -



うーん。駄目だ。


こういった事も、後々は許容できるようになっていきたいな。



注:携帯の画面サイズは多岐にわたり、縮尺も適当になっているようで、行間をあけても

  無駄になっているらしいということに、最近気づいた。

  私の思う、行間で読めている人がいると良いなと、想っているが、特に直す予定はない

  です。すみません                                    浮アメ

最近目に付く、2種類の人間。


許容する人、拒絶する人。



他人に対しては、可能な限り許容して欲しい、自分との違い、存在を。

これができないと、辛い。衝突を生み、争いを生み、絶望を呼ぶ。


自分に対しては、バランスよく拒絶して欲しい。できない自分、現実の自分を。

これができないと、成長がない、変化が遅く、後悔を招く。


後者のバランスの悪い人が増えた。自分を許容しすぎる、そして周りに自分の

許容を強要してくる。


個性という言葉を盾にした、許容の強要は、責任を伴わない自由のように扱われ

品位の低下を招いていると感じる。


逆に古き日本の、他の拒絶も根強く。陰気な村意識にも辟易する。



さて、私はどうしたいかというと。


甘えた、眼で許容を強要してくる者に「君のような甘ったれとしゃべりたくない」と言い。

すっきりと笑顔で拒絶したい。


そして、憶測と独断で拒絶する村人には「君のように矮小で、陰気な人がまだいたとは」

と言い。罵倒する言葉など持たない村人を、蔑んだ目で虐げたい。


後者の方が、罪が重いというか、迷惑な存在に感じているので、厳しく対応していきたい。


これらの、解決には、心のオープンスペースを広げて、他人との共有スペースを大きめに

持つ努力をすることが第一歩だ。


陸地を超え、人種を超え、言葉を超え、心の共有スペースを増やしていくことが

これからの世界の為に、必要だと思う。


だから、私は、最終的には、拒絶して、虐げた後、相手の高ぶった感情と話したい。

対外向けに構築された人格なんかと話しても、何も面白くない。


真実としゃべろう。


それが、きっと、楽しい。




私の気持ちは


あなた以外みんな気づいてるのに・・・


知らないふりをしてるの?


それとも、迷惑だから?



ずっと二人っきりになりたくて


あなたの車に乗りたくて。




天気予報が雨で


あなたと一緒の講義の日は勝負。



傘は置いて


講堂の出口で待つの。



だけど、全然ドラマみたいには、ならない。



雨を前に、途方に暮れて、あなたに声をかけても・・・



「じゃあね」なんて



バカみたい。



でも、私から「車に乗せて」とは、言いたくない。


ずっとずっと溜めている勇気が、減っちゃうから・・・



あなたに「好き」っていう為の勇気



ほんのちょっぴりの私の勇気。




だから、今日も勝負


天気予報は雨。


傘を置いて


今日こそお願い



車に乗せて!