ワタクシ、より自分と繋がった昨年末頃から
アニメ・漫画にハマっております♡(笑)
(元々漫画好きではあったのです♡)
心理系の学びを一段落終えた後にハマりだしたんですが、
漫画やアニメって意外と多くが心理系の学びに当てはまってるんですよ!!
それがハマった大きな理由だと思います
ほとんどの方がご存知な子供の頃の遊びだと思いますが、
作品の中でこの遊びには色々な意味が含まれていて、結構壮大なお話でしたね
鬼で真ん中にいる人は仲間外れ
ゲーム中ずっと呼んでもらえなかった人も移動できずに仲間外れ
いくつかの種類のフルーツで遊びが成り立って、ワーッと走って移動して、また円系の席に着けてうれしい人もいれば、新しく鬼になった人もいる。そしてコロコロとこの状況の繰り返し
お互い補いあって世界は成り立っている
そしてうらやましい相手も実は辛い思いを抱えていたりする
それは他人と関わることで知ることができ、人を愛しく思える
↑はあくまで私の解釈ですが、
『フルーツバスケット』という遊びからそういうテーマを導き出した漫画家さん、すごいな~って思いました✨✨
そして、このアニメでの心理系の考え方、それは
『イヤな奴が居てくれないと、自分が困るんだ』
毒親とかパワハラとかの真っ最中、そして状況的にはそこから抜け出せてもその傷を引きずってる時、
『毒親が悪い!!』『パワハラ上司が悪い!!』
と思いがちだと思います
(私も思ってました)
もちろんオススメできる人たちではありません
今の世間の常識としてもバッシングされるされる人たちでしょう
私のプロフィールを見てもらえたらわかりますが、もうそういう人たちばっかり私は周りに集めてました(笑)
でもですね、どうしてそういう環境にしてしまったかというと、
『反論する・自分の気持ちを言うと倍返しに遇う』という信じ込みから、何を言われても、何をされても、降りかかる火の粉が収まるのをただじっと待っていたから
なんです。
心理系の学校?に通っていた頃、私がその塾長に言われてたのが、
『デフォルトで顔にタテ線』
です(笑)
(漫画で落ち込んでる表情を表すための顔の上半分に引かれた縦線のこと)
わかりやすく言うと、不幸顔ですね(笑)
笑ってるつもりなのに、悲しそうな顔してるって言われたこともあります
そういう表情だと、相手との距離感がわからない人たちのわかりやすい餌食になってしまうのですよ
そしてなぜ私がそういう表情かと言うと、
↑に書いたように
『全面的に私は被害者』
という立場でいたからです
でも、でもですね、
自分に非がないというのなら、
怖くても、諦めずに自分の正当性を声を上げて主張し続ける
必要があったのです
私がそれを全くしなかったから、相手を調子に乗らせ、そのクセ相手を悪者にしていたのです
世の中の人全員がお坊さんのように悟ってるわけじゃないように、自律できる人ばかりじゃないのです。弱い人もいるのです
普段は万引きや窃盗をしない人でも、道端に1万円落ちてたら、ポケットに入れる人も出てきます(私も警察に届けるかどうかわかりません笑)
最低限
『私はそういう扱いをされて悲しい、傷付いている』
と声を上げなければ、
相手も
『コイツはこういう扱いを受け入れている』
と勘違いをするのです
そして根本原因として、
『自分の気持ちを言うと倍返しに遇う』という信じ込みから反論できなくなっていたのですが、この信じ込みは毒親(家庭環境)から子供の頃にできたものです。
だからと言って『非力な子供だったのに』とか被害者の立場でいれば、それは表情・言動・雰囲気に表れ、DVなどを受けるループにハマります
ループから抜け出すには
プロの力を借りてその『信じ込み』をうわべではなく根本的に崩し、被害者意識から自分原因型で物事を見る練習をし、行動に移す必要があります
(自分原因≠自分責めにしないようにね)
『イヤな奴が居てくれないと、自分が困るんだ』(もはや名言!!笑)
私の場合は相手を全面的に悪者にして、立ち向かう恐怖から逃げていたんですね
(アニメの中ではもう一つ、嫌な人の存在が自分を成長させてくれる、という意味でも使われてます。自分の気持ちを表現することの大切さに気付いた、という意味で成長ですね)
ちなみに、『呪術廻戦』の中の
『不平等な現実のみが平等に与えられる』
というセリフも好きです✨✨
『不平等であることは自然にとって当たり前、人間だけが文句を言う』というセリフも何かで聞いたことがあるのですが、
自分が甘えずにいるための在り方を意識するのに好きな言葉です