ちょっと80年代っぽいエレクトロポップなキーボードと、
星屑のような電子音によるイントロが個性的な、『Sugar!!』。

まるで高い空の上でにぎやかに音が鳴り響いているような、
その音の欠片がキラキラと舞い落ちてくるような、不思議な印象の曲です。

このふわふわとした非現実感を支えているのは、
まずは何を置いても、多彩過ぎるほど多彩なキーボードの音。
そして、スタンダードでノスタルジックなギターのバッキング。
さらには、胸にぐっとくるようなベースラインなどですが、

サポメン刄田綴色さんの、華やかなドラミングが作り出す、キラキラした空気感も捨てがたい。

残念ながらこの曲は、志村君が作った最後のシングルになってしまいましたが、
いま聴くと、次の『STAR』につながる大切な要素がいっぱい内包されているような気もします。


そんなファンタジー感あふれるサウンドとは逆に、
「全力で走れ」と繰り返す歌詞は、限りなくシンプルでリアル。
『バウムクーヘン』ともまた違って、非常に前向きでもあります。

当時のインタビューによると(『音楽と人』2009年5月号)、
志村君はこの曲の歌詞を様々な視点で7パターンぐらい書いて、
プロデューサーの亀田誠治さんの助言を受けながら作り上げていったそうです。

そういえば、おまけのDVDにも、志村君がこの曲の歌詞について熱く語る場面がありました。
どうしたわけか亀田さん、口をモグモグさせながらその力説を聞いていて、
裏コメントで突っ込まれてましたっけw。

その結果(?)、完成したのは、志村君いわく「なんか自分みたいな人」に向けた応援ソング。
自分自身に向けたものとも人に向けたものとも取れるメッセージが、
誰の心にも真っ直ぐに届くような内容になっています。

そうした曲だからでしょうか。志村君の声もまた、いつになく甘くて真っ直ぐで爽やかで、
ちょっとしたイケメン・ヴォイスなんですよね。

志村正彦の新しい魅力発見!! な1曲でもあります。



スミス氏のMVはやっぱり変だ(でも可愛い)。


 フジファブリック4作目にして、志村君が完成させた最後のアルバム、『CHRONICLE』。
 バンドとしての成熟を感じさせる、シンプルに研ぎ澄まされたサウンドが並ぶこのアルバムは、
ストックホルムでのレコーディング模様を記録したおまけDVDのキラキラした映像と相まって、
「最後」ということを抜きにしても、思い入れ深い1枚です。

 また、作詞・作曲からアレンジのほぼすべてを志村君が担当したということで、
志村君個人の魅力が色濃く表れた作品でもあります。


 ただ、アルバムが発売された当初は、作風の変化が少なからぬ戸惑いをもたらしたようで、
当時の「Amazon」のレビューなど、賛否がごうごうと渦巻く感じで、読んでると、ちょっと複雑な気持にも……。

 とはいえ、そうした戸惑いも、おそらくは「愛」あればこそ。
 できれば私も、同じ戸惑いを味わってみたかったなあ、なんて、思ったりもします。
 最初は、「こんなのフジじゃない」なんて言いながら、それでも何度も聞かずにはいられなくなって、
気がつけば、じわじわと、やっぱりフジとしかいいようのないサウンドのトリコになってゆく……。
 みたいなことをリアルタイムで経験できたら、どんなに楽しかろう、と。


 さて、そんなアルバムの1曲目、『バウムクーヘン』。

 曲の中にお菓子のバウムクーヘンは一切出てきません。
 そこがまた、志村君らしかったりするのですが。

 ご本人によると、

 「1枚の生地ではあの食べ物はできなくて、年輪のように何層も重なることによってできるわけで、
僕という人間もフジファブリックもいろんな人やものやことから徐々にいろいろなものを
もらうことによって形になる」(『FAB BOOK』)
 
 ということを歌っているのだとか。

 何やら哲学的ですが、歌詞そのものは、びっくりするぐらい、ど直球。
 驚くほどにありのままの自分を(少々自虐的ともいえるほど)、
シンプルな言葉で、「いいのか?」ってぐらいさらけ出しちゃってます。

 おそらく、志村君史上最高にストレートな歌詞なのでは?

 でも、確かに、臆病だったり不器用だったりする、ダメな自分をさらけ出し、
それでもなお、見ていて欲しいという正直な思いは、
ひとりでは生きられない自分というものを自覚しているからこそ、言葉にできるのかも知れないです。
 これも、成長というものなのかな。


 そんな志村君の……というよりも、人の根源的な弱音ともいえる呟きの数々を、
さらりと包み込んでいるのが、パワフルなギターを前面に出した軽快なサウンド。
 ただ軽快なだけでなく、ピアノのコードが、ちょっとした重みと、
センチメンタルな色を付け加えているところがまた、泣けます。

 「チェッチェッチェ うまく行かない」と嘆く(?)志村君の後ろで優しく響く、
綺麗なキーボードの旋律も、好きだなあ。

 あと、「僕の心は臆病だな……だな……」と繰り返すところも、なんだか志村君らしくてほっとします。


 新鮮でありながら、やっぱり変わらない個性を、聴けば聴くほど実感できるファースト・チューンです。


メロディーの美しさが際立つ、『蜜』によるアコースティックカヴァー。



 アルバムのラストを豪快に締めくくるタイトル・チューン『TEENAGER』。
 『星降る夜になったら』が、苦しいほどの切なさ美しさを内包していたのに対し、この曲は、ちょっぴり肩の力が抜けた、ひたすら元気で楽しいロックンロールナンバーに仕上がっています。

 驚くべきは、そのシンプルさ。
 これまでのフジの曲の多くは、ひねりにひねった歌詞やメロディー、凝りに凝ったアレンジなど、持てる全てを注ぎ込んだかのような「てんこ盛り感」が個性となっていましたが、
 この『TEENAGER』は、そうした「フジらしさ」をあえて追及することなく作ったかのような、シンプルな仕上がりになっている。
 特筆すべきは、それでも、ちゃんと「フジファブリック」のサウンドになっていること。
 これが、バンドとしての成長というものなのでしょう。
 この「ナチュラルにフジである」という感じは、しっかり、次のアルバム『クロニクル』にも引き継がれてゆきます。

 こういうサウンドとなると、断然、活きてくるのはギター。
 ここぞとばかり……という感じの、楽しげなギターソロは、聴いてるとわくわくします。
 キーボードはいつもよりかなり控えめなのですが、それでもこの曲になくてはならないリフを、ちゃっかり弾いちゃってるところ、さすがダイちゃんというべきかw。

 志村君の歌詞は、いつもに増してノリが良くて、すっごくよくわかるような、それでいてわけがわからないような、いや、でもやっぱわかるぞ、みたいな感じが、まさにTeen-ager的。
 「こっそり家から抜け出そう」というというところは、いつか志村君がインタビューで語っていた高校時代の思い出(夜中までバイトしてた志村君のために、当時付き合ってた女の子が家の2階の窓から抜け出して会いにいってた)を彷彿とさせます。
 「おなかはコーラでいっぱい」っていうのも、なんだか普通の男の子ぽくって、可愛くていいなー。

 志村君自身は、『TEENAGER』というタイトルについて、「ティーンエイジャーの頃の思い出」とか「ティーンエイジャーの人に聴いてほしい」というのではなく、「過去のことを追いかける気持から脱却したい」という意味を込めた、と語っています。
 確かに、この歌は追想に耽るような内容ではなく、限りなく前向きで現在進行形。ティーンエイジャーの頃の自分が、今の自分を励ましてくれてるような、そんな印象も受けます。

 例えば私のような「十代なんて、遠い遠い歴史の一部になっちゃったよ」という年齢の人の心にも、ちゃんと響きます。
 いや、そうした年代にこそ響くのかも。ぜひぜひ聴いて欲しいです。



 特に泣かせる曲っていうわけでもないはずなのに、
 この曲を聴くたび、泣きたくなってしまうのは、私だけでしょうか。
 あまりにも綺麗で、純粋で、パワーに溢れすぎているものに出会ったとき、人は何よりもまず、泣きたくなってしまうものなのかもしれません。
 それほどまでに、力のある曲。フジのファンの人でも、とりわけこの曲が好きという人、多いのでは?

 ダイちゃんが作曲に関わっているだけあって(志村君との共作)、メロディーとピアノアレンジがほとんど「込み」という感じで、要所要所にピアノの音が効いてます。
「雷鳴は遠くに…」の後に続くフレーズや、間奏の後の「黙って見ている…」の後ろで響く力強いストローク。そうした透明感のある音が、この曲の美しさを形作っているように思えます。
 あと、私が大好きなのは、間奏のところの、感情が一気に爆発するようなキーボード。
 ものすごい速さのアルペジオを叩きつけるように繰り返す、力技というか、禁じ手というか。ただそれだけなのに、聴き手の心を持って行ってしまうのだから、すごい!! 
 世界広しといえども、こんなソロを作り出せるのはダイちゃんしかいないに違いなく、ここを聴くたび、ダイちゃん、天才!! と拍手せずにはいられません。

 この曲の「美しさ」を担っているのがピアノの音だとすれば、「パワー」の部分を支えているのは、まぎれもなくドラムです。これほどテンポの速い曲なのに、16ビートを駆使した転がるような疾走感は最初から最後まで失速することなく、圧倒されます。先ほどの間奏のところでの爆発っぷりは、ダイちゃんに負けていません。
 当時のドラマーは、サポートの城戸紘志氏。両国国技館のライヴで見ると、どちらかといえば細マッチョな印象の人なのに、たたき出す音のパワーははかり知れず。
 ライヴでは、ソロ合戦でメンバーの誰よりも目立ってしまうなど、お茶目でアグレッシブなところも見せていました。

 そして、この曲の「純粋さ」を作り出しているのは、言うまでもなく、志村君の作る歌詞でしょう。「青春の輝き3部作」(勝手に命名)の名にふさわしく、描き出される情景のひとつひとつが、切ないぐらいにキラキラしてます。
 真夏の夕立、遠い雷鳴の音、一転して射し込む光、やがて夜になって、降るような星の輝きにあふれる空。その合間合間の感情表現がまた、巧みで……。
 心に抱えた屈託が、雨に打たれることで「どうでもよくなって」、目の前で繰り広げられる情景の変転に、気持が高揚するままに、「君」の元へと駆け出してゆく。
 「バスに飛び乗って」というのが、また、良いですよね。車じゃなんだか大人だし、電車は駅の階段を上って切符を買って、ってところで意気が削がれてしまいそうな気がする。
 そうやって「君」の元にたどり着いた「僕」の待つ言葉の先が、幸せなものでありますようにと願わずにはいられないのですが……。
 かならずしもそうとはならないことを知っているからこそ、大人は泣けてきてしまうのかも知れません。

 ところでこれは蛇足ですが、
 「言葉の先を待っている」という歌詞、私はずっと、「言葉の砂丘を舞っている」だと思っていました。
 歌詞カードを見た後も、やっぱり、何度聴いてもそう聞こえてしょうがないです。
 鳥取砂丘のようなところに、ペナントだのキーホルダーだのといったキッチュなお土産が次々に降り注ぐ(はい、『落ちてくスーベニア』です)。そうした光景を、いつも自動的に思い浮かべてしまいます。
 それは、志村君の意図するところではないに違いないのですが、
 それなりに詩的な光景だと思いませんか?




前のめりに走る(?)志村君が可愛い。両国国技館LIVEの一幕。

ryogokuhosihuru

 アルバム『TEENAGER』の11曲目は、きらきらと輝く小品、『まばたき』。

 このアルバムの『Chocolate Panic』から『Strawberry Shortcakes』、『Surfer King』へと続くパワフルな3曲を「変態性3部作」と呼ぶとするならば、
 この『まばたき』、『星降る夜になったら』から、ラストの『TEENAGER』に至る3曲は、一転、「青春の輝き3部作」と呼びたくなる趣があります。
 ひとつのアルバムの中で、色々な流れを楽しめるのも、フジの魅力といえるかもしれません。

 作曲は、山内総一郎。
 今やフジファブリックの曲づくりになくてはならない存在となった彼ですが、この曲の、シンプルながら胸に残るメロディーを聴くにつけ、この人はやっぱり、天性のメロディーメーカーなのだなと思わずにいられません。
 特に、「わがままな僕らは……」から続く一節の、胸にしみ込むような美しさ切なさと言ったら……(溜息)。
 
 そんなメロディーを生かすべく、サウンドは、いつものフジの魅力でもある「てんこ盛り」感を少々抑えた控えめなものになっていますが、揺らぎのある荘厳なアレンジで、歌の世界に強く引き込まれます。
 イントロから最後まで何度も繰り返されるギターのフレーズや、ストロベリー・フィールズのようなキーボードのアルペジオ、力強く響く低い弦楽器のような音が印象的。
 最後の優しいコーラスを聴くと、いつもちょっと泣きそうになります。


 そして、志村君の作る歌詞はといえば、単なる風景描写のようでありながら、どこか示唆に富んでいて、いつもの彼とはちょっと違った趣を感じます。
 「まばたきを3回してる間に大人になる」という言葉もさることながら、私的に一番心に残ったのは、「手招きをしている未来のせいで家をまた出る」というフレーズ。

 小さな失望を何度か味わったところで、まだまだ人生への期待はふくらむばかり。夢いっぱいの未来が手招きをしているような気がして、いてもたってもいられず、やっぱり動き出してしまう。そんな感じでしょうか。
 まさに、青春だなー。若いっていいなー。
 今の子たちもそういう感じ、ちゃんと味わっているのかな。そうであってほしいな、と、思わずにいられないです(家出はいけませんが)。