この88年晩秋から89年初夏の記憶は非常に曖昧だ。

 

何故曖昧で記憶が薄れているのだろう・・・・

 

 

この時期は何もせず、時の流れに身を任せていたからではないかと・・・

 

 

カスミとの関係も時々しか会わなかったような記憶なのだ。

 

 

そう言う気がするだけで実際は毎日のように会っていたのかもしれない・・・

 

 

会うことが当たり前になっていたので記憶が薄いのかもしれないが・・・

 

 

カスミとサンタバーバラ、サンディエゴ、サンフランシスコへバイクで出かけた記憶はあるのだがこの年なのか定かではない。

 

 

 

 

88年の大晦日、89年の元旦はどこで何をしていたのだろうか・・・

 

 

 

 

出来ることであれば、カスミに会って当時の彼女との旅行やLAでの生活、その時の彼女の気持ちを聞いてみたい・・・出来ることであれば。

 

 

 

 

89年の2月に風邪をひきあまりの高熱で身動きが取れず寝込んでいた時にカスミが看病しに来てくれたのは覚えている。

 

 

 

 

高熱で動けないが何故か愛は育めた・・・

 

 

 

 

風邪を引いていない限り飲み屋通いに明け暮れていた。

 

 

 

 

週に1度くらいはヒロシ君やタケルも飲み屋に付き合ってはくれていたのだけれど月日が経つにつれて愛想をつかされた。

 

 

だから私は1人で飲みに出歩くようになり飲んだくれ生活がエスカレートしていった。

 

 

いつものように午前2時の閉店後にバンブー5を出て110号フリーウェイから10号フリーウェイへと走っていたのだが、ポリスに追尾され停車を求められた。

 

 

パトカーの後ろについてフリーウェイを下ろされ一般道へ・・・

 

 

窓を開け、両手をハンドルの上へ・・・

 

 

「酒を飲んでるか?」と聞くので、「バドワイザーを2本」と私。

 

 

車を下ろされ歩道を真っ直ぐに歩けと言われたので言われるがままに・・・

 

 

ウィスキーのボトル半分以上は飲んでいたがビール2本と言い張ったのが良かったのか、何もおとがめ無しであった。

 

 

真っ直ぐ歩けて通常の会話ができれば問題ないようだ。

 

 

日本の様に風船を膨らませるなんて事はない。

 

 

しかし、ロレツの回らない会話をすると血液採取になる様な話も聞いた事がある。

 

 

当時のカリフォルニア州の法律では血中アルコール濃度が0.08%以下は酒気帯び運転にならないのだ。