当然の事ながら私の能力では何回受けても500点が限界で560点の壁は越えられずサンタモニカ・カレッジに入学することとなった。
日本に電話を掛け日本の大学での単位を英文証明書という形で取り寄せサンタモニカ・カレッジへと向かった。
私は日本の大学時と同じように電気工学を専攻し、そこから大学生活が始まったのだ。
何月からセメスター(学期)が始まったのか記憶に無いのだが日本の大学を卒業しているという事もあり朝から晩までのような窮屈な時間割ではなかったと記憶している。
電気工学専攻と言うこともあり数学の授業が多かったように記憶している。数学と言うよりは算数だった。
極端な話をすればマイナスかけるマイナスがプラスになると言うレベルのものだ。だから宿題を出されても授業が終わる頃には宿題も終わっていると言った按配だ。
何よりも驚いた事は、学生達がスケボーで通学しているという事だ。だから授業中は教室の至る所の壁にスケボーが寄り掛かっていた。
こんな事に時間を費やしていて良いのだろうかと・・・・・・思いながら日々を送り1987年の師走を迎えた。