大学を卒業したばかりの私は語学学校の授業に大学時代のレポート用紙をノート代わりに使っていた。

 

レポート用紙の左上に小さく○○○○○Universityと書いてあるのだが、それを見たクラスメートのヨーロッパ人が指をさして「Judo Yamashita?」と叫んでいた。ロサンゼルス・オリンピックで金メダルを取った我が校の講師(当時)はヨーロッパではかなり有名だったらしい。三流大学なのに何故か嬉しかった。

 

 

学校の休憩室で久々にトシに会った。彼が私に、自分のやっているアルバイトを引き継いでくれないかと言うのだ。職種はガソリンスタンド。

 

 

大学時代は4年間ガソリンスタンドでバイトをしていたので気が楽だった。

 

 

しかし、アメリカのガソリンスタンドはセルフサービスが主流だから給油ポンプを触る事など滅多にない。当然、窓も拭かない。

 

 

仕事のメインは何かというとコンビニの店員。大概のアメリカのガソリンスタンドはコンビニが付帯している。

 

 

ご多分に漏れず私のバイト先もam pmミニマートというコンビニだが当時の日本ではあまり有名な屋号ではなかったと思う。

 

 

バイト料は時給$3.75だった。夕食付きでコンビニの冷蔵庫の中のドリンクは飲み放題。

 

 

何故、夕食付きかと言うとこの店のオーナーは日本人なのだ。毎日暖かいお味噌汁付きの夕食を食べられるのは嬉しいことだ。

 

 

このご夫婦、当時で既に30年アメリカに住んでいるという。娘さんが2人居るのだが、2人ともアメリカ生まれの為日本語は話せるが漢字が書けない。姉のメリーと妹のアリス、20歳と16歳だったと記憶している。

 

 

ガソリンスタンドの場所が3rdとAlvaradと言うメキシカンの多い危険な地域だった為、店は常に2人で働いていた。私はメリーとのシフトが多かったが期待されるような浮いた話は一切無い。

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日、私がレジに立っているとお客さんが入ってきて私の前に来て話しかけてきた。私は一生懸命聞いたのだが全く理解不能だった。

 

 

 

 

 

 

 

奥からメリーが出てきて「スペイン語で話してるんだよ」と。

 

 

だから単語が1つも解らなかったのかと納得した。メリーは第2外国でスペイン語を勉強したらしくそのお客さんと話をしていた。結局の所、「たばこ下さい」って話。

 

 

 

 

 

トシはと言うと、サンタモニカ・カレッジに行く傍ら保険会社で働くらしい。凄い人なのだと改めて尊敬してしまった。

 

 

 

 

 

現在彼はLAに住み経済評論家として多数の書物を出版しているようだ。私のような三流大学卒の人間とは違い六大学であるW大卒なのだから当然なのかもしれない。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校とバイトと言う生活パターンを送っていたある日、いつもの様にカスミとお茶を飲んでいたのだがカスミの口から「Jimの就職が決まり彼はカリフォルニアではなく他の州に行ってしまった」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天は我に味方したのか、自由の女神が微笑んだ。当然の事ながら私達は自然と付き合うようになり愛を深めていった。

 

 

昼間のデートはPico MallやBeverly Center、Melrose Av.などウィンド・ショッピングを楽しみ、夜はパシフィック・コースト・ハイウェイを北へ向かいOxnardのデニーズにコーヒーを飲みに行ったり、405フリーウェイを南に下り多数の煙突が電飾されている街の「NORM’S」と言うファミレスで語り合ったりと楽しい日々を過ごした。

 

 

この頃は日本にいる彼女、ヒロカの事など頭の中から消え去ってしまっていたのだろう、彼女が「渡米する計画」を立てている事も知らずに・・・・・