次の日も目覚めは昼頃であった。
いつものようにマクドナルドで食事をしてバイク屋へ入っていった。
整備場の方でメカニックが私が買うであろうシャドウを整備していた。受け付けにデブの担当者が座っていたので話をしようかと思ったらデブが既に書類等を用意して待っていた。
まるで友人のように「ハイ!」から始まった。書類にサインをしてお金を払い外に出た。整備の終わった我が愛車が店の真ん前に止まっていた。鍵を受け取り説明を受けた。
ナンバープレートは書類が家に送られてくるのでそれを持ってDMV(Department of Motor Vehicle )に行けばその場でくれるとのこと。それまではナンバー無しでかまわないとのこと。ナンバーが無くて公道が走れるなんて日本ではとうてい考えられることではないと思った。



早速、エンジンをかけ走り始めた。店の敷地を出て家に帰るのに右折をしなければならないが、さすがに初めての右側通行は非常に変な感覚であった。
Sepluveda Bl.を南に下ってSawtelle Bl. を右に曲がり家に戻った。レスとアーリーンがいて、目を丸くして驚いていた。
ほんとは、ハーレーが欲しかったのだけれど値段が非常に高いので買えなかったことを言うとハーレーはすごいんだといわんばかりの自慢話が始まった。
ほんとは、ハーレーが欲しかったのだけれど値段が非常に高いので買えなかったことを言うとハーレーはすごいんだといわんばかりの自慢話が始まった。
いろいろ話をしているうちにレスの親戚がハーレーに乗っているというので、彼を呼ぼうということになり、レスが電話をしに行った。
10分程で彼が来た。名前はマリオであった。彼はソフテールカスタムに乗っていた。そして又、ハーレーの自慢話が始まった。話をしているうちに私の保険はどうなっているのかということになった。全然気にしていなかったことなので、私は非常に気になった。
レスがアメリカでは保険に入ってないと事故を起こしたときに非常に危険なので入った方がいいと言われ早速レスの車で保険屋に向かった。途中でオートバイの登録書を忘れたことに気づき家に戻ってきて又出かけた。
保険屋で金額を言われビックリしてしまった。なんと1年で$1500であった。現金の持ち合わせがないので1回帰ってから来ると言うことで話は終わった。家に帰り自分のバイクで銀行に行きお金をおろして保険屋に向かった。なんだか無駄な出費だと思いつつもお金を払い店を出た。
なんだか急に安心感を抱きながらバイクに乗ったような気がする。保険屋で言われたことだけどカリフォルニアの運転免許があれば保険料がもう少し下がったらしい。
とりあえず、フリーウェイを走ってみようと思い最寄りの入り口を探した。405号線を北に向かった。
とりあえず、フリーウェイを走ってみようと思い最寄りの入り口を探した。405号線を北に向かった。
初めての体験、ノーヘルでフリーウェイである。時速50マイルを越えるとだんだん息が吸いにくくなってきた。コンタクトを入れている目は埃が入って涙ボロボロになってしまった。
SantaMonica Bl. の出口が見えたのでそこでフリーウェイを降りてしまった。出口の減速車線で右に止めて涙をいっぱい流してから又走り始めた。反対側の入り口からもう一度フリーウェイに入り、家に戻った。
洗面所にかけこみコンタクトをはずした。スーツケースから眼鏡を取り出し再びバイクにまたがった。もう6時を過ぎていたので近所を少し走って戻ってきてしまった。
玄関の前にバイクを停め家の中にはいるとアーリーンが話しかけてきた。アメリカは危ない国だからおもてにバイクを置いてはいけないと言われた。玄関左の裏庭に通じる通路に置くことになった。そうだここはアメリカなんだ日本のように一晩歩道にバイクを止めて置いたら、次の日はなくなっている国なのだ。明日はチェーンロックを買わないとまずいと思った。
朝6時に目が覚めた。眼鏡をかけ朝食もとらずにバイクに跨りフリーウェイ405を北へ向かった。昨日と同じようにSantaMonica Bl.で降りて、サンタモニカの海岸の方向へと向かった。
朝6時に目が覚めた。眼鏡をかけ朝食もとらずにバイクに跨りフリーウェイ405を北へ向かった。昨日と同じようにSantaMonica Bl.で降りて、サンタモニカの海岸の方向へと向かった。
全4車線の広い道である。これが普通の町中の道かと思うとアメリカは本当に大きな国だと実感した。10分くらい走ったら、Ocean Av. という T字路にぶつかった。
バイクをパーキングスペースに停め、目の前にある芝生の方へ歩いてみると、その先に太平洋が広がっていた。ここが日本に一番近い場所なんだと考えると涙が出てきてしまった。
芝生の上にパームツリー、青い空、白い砂の海岸、来て来て来てのサンタモニカ、このシチュエーションで、アメリカ生活をエンジョイしていることを感じ始めた。パーキングメーターの時間が少し残っていたがバイクに跨りサンタモニカビーチを後にした。
SantaMonica Bl. を逆に戻り、以前観光で来た時においしいオレンジジュースを飲んだファーマーズマーケットに行ってみることにした。ロサンゼルスは道が東西南北きれいにわかれているので、このまま真っ直ぐ行って Fairfax Av. を右に曲がれば左側にあることをトーマスガイドで確認しておいた。
20分程走ったらファーマーズマーケットに着いた。目の前のパーキングにバイクを停め昔の記憶を思い出しながらオレンジジュースの売っている食品売場の方へ歩いた。
あった、あったFreshOrange Juice $1.50 という看板が掲げてあった。$2.00 払って味わいながら飲み干した。オレンジというよりネーブルのような味である。飲み終わってから、ファーマーズマーケットの中を少し歩くことにした。
目に付いたのが皮ジャンやジーンズを売っているお店であった。中に入ろうと思ったときにパーキングに大きなバスが何台も入ってきた。さすが観光スポットだなと思いながら降りてくる人を見てみると全部日本人であった。
そうしている間に、その観光客のお兄ちゃんたちと皮ジャン屋に入ることになってしまった。店の中に入ると予想通り観光客扱いされてしまったので、他の店を見ることにした。
洋服屋、帽子屋、アクセサリー屋など一通り見て回って皮ジャン屋に戻ってみると観光客たちは、次の観光地へと向かっていた。中に入って目に付いたのがG1ジャケットだった。
映画トップガンでトムクルーズが着ていたのと同じようにパッチがいっぱい付いているやつであった。$280の定価を$250に値切って買ってしまった。衝動買いもいいところである。そのまま店の中で皮ジャンを着てお金を払い外に出ると、既にトムクルーズになりきっていた。

バイクに跨り家路をめざして走り始めたが、途中の信号で気づいたことがあった。それは、日中は暑くて皮ジャンを着ていられないのである。信号待ちをしているとどんどん汗をかいてくる状況である。走ってしまえばいいのだが・・・
夕刻家に着き定位置にバイクを停め家の中に入るやいなやアーリーンが「Nice Jaket」と言ってきた。どこで買ったのか、いくらだったのか聞いているようであった。
アンディーが部屋から出てきて話に加わってきた。どうやら彼もこの皮ジャンが欲しくなってしまったようである。アーリーンが今度アンディーにこのジャケットを貸してあげてくれと言っていた。今思えばそれっきり一度もそのジャケットを貸したことはなかった。
その夜は、アンディーの野球の試合が近くの球場であるので、それをみんなで見に行ってから夕食を食べようと言うことになった。レスの四駆ブロンコに乗り近所の丘の上の野球場に行った。
その夜は、アンディーの野球の試合が近くの球場であるので、それをみんなで見に行ってから夕食を食べようと言うことになった。レスの四駆ブロンコに乗り近所の丘の上の野球場に行った。
夕方6時頃なのに非常に明るかった。試合が進むにつれてだんだん気温が下がってきてTシャツ一枚の私にとっては、鳥肌が立ってきた。せっかく買った皮ジャンを持ってくればよかったのに昼間の暑さになれてしまっていたのか大失敗である。昼間はあんなに暑いのに夜はこんなに冷え込むなんて、これが砂漠の気候なのかと思った。
8時過ぎようやく日も暮れて試合も終わり4人でレストランへ向かった。丘の上の野球場から15分ほど車で走っただろうか、どうやらメキシカン料理のお店らしい。
8時過ぎようやく日も暮れて試合も終わり4人でレストランへ向かった。丘の上の野球場から15分ほど車で走っただろうか、どうやらメキシカン料理のお店らしい。
中に入りメニューを見たが全然わからない名前だった、何たって初めてのメキシカン料理だった。何を食べたらいいのかレスに聞いてみたらメキシカン料理は、タコスが有名だと言うのでそれとコーヒーをオーダーした。
ポテトチップのお化けみたいな物に野菜らしき物が載っている物が出てきた。これが夕飯かと思いながらもしかたなく食べ始めた。ほとんど味が無くおいしいとは思わなかったので、塩をかけて食べることにした。
その時アーリーンが塩ではなくてサルサをかけて食べるのが普通だというので、そうしてみることにした。初めてのサルサである。辛い。胃が痛くなるほどの辛さである。典型的な日本人である私は、我慢して水を飲みながら全部食べてしまった。
家に帰ってからすぐにラッパのマークを3粒ほど飲んですぐに寝てしまった。