進めずに時間をかけましょう
と、言ってくださったので
考える時間はたっぷり頂いています
諦められて、サクサク進まないように粘りたい
もう一度やってみよう、もう一度
と繰り返してもらえるにも限りがある
「いつも言ってるけど」
「何度も言ってるけど」
って言われた事は、そのうち言ってももらえなくなる
教える側には、とりあえず、今ここまで出来れば良いっていうラインがあると思う
そのラインがどこに設定されているのか
教わる側からは分からない
あげざらいで「まぁ、とりあえず」
と言われると
出来ないと分かっていても
もっと踊れたら、もっと芝居できたら
もっと沢山の事を教えてもらえたのに
粘ってもらえたのに
って思います
『教えてもらえるライン』を一ミリでも底上げしたい
その為にする事って沢山ありすぎて
自主稽古で試しながら考える事もあるし
逆に自分から離れて考えないと分からない事もあるし
煮詰まって、馬鹿らしくなる事もある
現実生活的な意味では踊りの事だけ考えて生きてはいけないので
他にも色々と考えなきゃいけない
いい歳した大人が
なにやってるんだろ…
そういう時は、深く穴掘って自分を埋めてしまいたくなります
(。_。)
自ら埋まらなくても、もしかしたら遠くない未来に埋まるかもな
って病気が発覚した時からある吹っ切れた感
向き不向きに関わらず好きっていうのは、残酷なもので
自分が年齢、経済力、才能、経験、どの面においても不向きだと分かっている
向いている人に
『頑張って』するものじゃないよ
なんて言葉を聞かされたりすると
グサグサって刺さって残って
そんな言葉達は
ふとした時に、また刺しに来るのです
好きだからやっている事って
辞める原因がこの世に存在しない
続ける理由も、この世に存在しない
踊る事を求められている訳ではなく
上手になる事を求められている訳ではなく
私が辞めたところで誰も損をする訳ではなく
私が続けたところで誰も得をする訳ではなく
全て私の自由
頑張るのも、頑張らないのも私の自由
自由は幸せでもあり、苦痛でもある
その、+-の=好き
っていう訳の分からない答えになる
だって、お稽古している時
踊りと向き合っている時
この時間が、この世の何より好きで幸せ
と、なんか長くなった話を椀久さんに戻して
松山に会えるまでの道程の長いこと
師匠に「見る」「思う」のが強すぎると言われました
「それじゃ、まともな人だよ」
と言われてΣ(´□`;)
あ、そうだった物狂いだった
と思い出すという…
分かっているつもりでも、動きだすと「普通」に考えて動いてしまう
止められて
今こういう意思を持ったでしょう
と指摘されて
…(゜ロ゜)
やっと気付く
全ては椀久さんの夢想の中に現れては消える世界
もやもや~
っとね(゜-゜)
闘病仲間のJちゃん♪
相変わらず月に一度くらいのデートを重ねております
(*´ω`*)
先日、可愛い物を頂きました
飴ちゃん♪
猫好きなんです
気付くと猫物ばかり、あれも猫柄これも猫柄
この子達は一番のお気に入りで
そんな飴ちゃん…賞味期限まで眺めます
猫も杓子も踊らにゃ損、損
って事ですな!!

