――ジャーナリズムは、単に現代だけに固有なものではない、だが無論そうであるからと云って又単に一般的な永久不変な要素でもない。ブルジョア・ジャーナリズムという今日の特殊なイデオロギーの一形式にまで発展して来なければならなかった[#「なければならなかった」に傍点]処のイデオロギーの一般的な一契機、というようなものこそが、本当のジャーナリズムなのである。で吾々はさし当り[#「さし当り」に傍点]ジャーナリズムを一つの社会的意識[#「一つの社会的意識」に傍点](イデオロギー)形態の一契機[#「形態の一契機」に傍点]として規定することが出来る。ジャーナリズムをイデオロギー論[#「イデオロギー論」に傍点]の視角から取り上げると是非ともそうならねばならない。
ジャーナリズムをイデオロギー論の一問題として取り上げると――外の場合は何であろうと――、之に対立するものはアカデミズム[#「アカデミズム」に傍点]の外にはない。そしてアカデミズムも亦、現在に於ける大学とか研究所とかいう現代の社会的諸物体を生産し又それによって云い表わされる現代に特有な社会的意識の一形態=イデオロギー形態[#「形態」に傍点]であると共に、又イデオロギーの古くからの一般的な一契機[#「契機」に傍点]ででもなければならぬ。現代に於けるアカデミズムは、欧州の諸大学(例えばソルボーヌとかオックスフォードとか)が教会の束縛から実質的に脱却したことを地盤として、之に対する近世の諸「アカデミー」の運動から初めて決定された形態であるが、他方すでにギリシアの昔からアカデミズムが存在したと考えないわけには行かないだろう(ピュタゴラス学壇[#「学壇」に傍点]とかイオニア学派[#「学派」に傍点]とか、プラトンのアカデミー自身は云う迄もなく)。