現在製作を進めている「海洋堂ソフトビニールモデルキット(※以下、ソフビキット)」ヘルダイバー。実はその合間に、このソフビキットに関して極めて個人的な「邂逅」がありました。
まずは、パトレイバーと並ぶガレージキット隆盛を担ったコンテンツ「ファイブスターストーリーズ(※以下、F.S.S.)」より「初期型ジュノーン」ソフビキットを入手した事。
更には、9月25日に発売された「月刊ホビージャパン(※以下、HJ)」の特集記事「ロボット模型の50年」内でソフビキット「イングラム」が取り上げられた事です。
昨今の70~90年代の懐ロボが次々と新規金型で玩具・模型化している流れを受けての事だと思うのですが、そんなHJ特集の中でも、キャラ・ホビー関連に強い五十嵐 浩司 氏をライターとして迎えた記事「HJの50年とキャラクタープラモデル」は特に秀逸でした。

当時の世相を俯瞰的に交える事で、少ないページ数ながら簡潔明瞭かつ論理的にキャラクターモデルの歴史が解説されており、とても興味深く読ませていただきました。

2020年を迎えようかという現在、ソフビだろうがプラモだろうが、ほぼほぼ劇中通りのプロポーションの立体物が当たり前のように入手出来るようになりました。

ですが1960年代から始まる「キャラクターモデル」の歴史50年において、そうなったのは、ほんのここ20年程。

もちろん個々で見ていけば各種傑作はありましたが、1960年代から1980年代の永きの間、子供たちの中には何時もこんな思いが渦巻いていたのです。

「…オモチャやプラモって、どうしてTVで見ているのと全然 色や形が違っちゃってるの?」

本記事の特に素晴らしいところは、この長年の(当時の)ユーザーの疑問に答えるために、過去のモデルに対して安直に「造形技術が稚拙」という言葉に逃げず評価している事。

そのために「作品本編に基づいたプロポーションの再現」と、劇中同様のギミック(可動)再現の「リアリティの追及」という、ユーザー欲求の2大視点からその歴史を紐解いていった点にあります。

ですが掲載誌たるHJの特性上、どうしても踏み込む事の出来なかったであろう2つの点が、少々残念に思えました。

まず1つは、同じキャラクターモデルでありながら完成品たる超合金などの「ロボット玩具」に深く言及出来なかった点。

あと1つは、様々な玩具模型メーカー及び版権元へ配慮するあまり、所々の言い切りを敢えてボカさざるを得なかった点です。

そこで今回は、記事内の2大視点「作品本編に基づいたプロポーションの再現」「リアリティの追及」をお借りし、私自身が「ロボットモデル」に関して思った事を、あくまでも副次的な一個人のメモとして書き連ねておこうと思います。

以降、他人様の言葉だと少々座りが悪いので、記事内の2大視点を「劇中フォルム再現」「ギミック再現」と言い換え、2つのポイントを追加して話を紡いでいこうと思います…それは「プライド」「玩具業界のことわざ(※1990年頃)」です。

ここから見えてくるのは、もともとキャラクターモデルにおいての最大欲求「劇中フォルム再現」を長年妨げてきた影響の正体。そして、それを打破した「ソフビキット」の業界に対して与えた革命的な影響力です。

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※…なお本記事は「劇中フォルム再現」という視点でまとめているため、ついキツイ書き方をしてしまっていますが、これは当時の方々を非難・否定するものでは当然ありません。

現在、かつての「造型上の一律の癖」が、1つの「デザイン文化」「芸術作品」として再評価されているようになっています。

この流れは「玩具・模型」を含めた「ホビー」が、「サブ・カルチャー」的表現方法の1つとして認められている素晴らしい事だと思います。

改めて裏付けをとったりはしていません。敬称略、愉快なヨタ話・ホラ話の一つとしてご笑納頂ければ幸いです。では、どうぞ。

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◼️1960年代~「キャラクターコンテンツ創成期」

各種異論はあるかもしれませんが、日本におけるキャラクタービジネスにおいて、初のテレビ放映開始となった1960年代が1つの契機となった事だけは事実かと思います。
当時は総じて「テレビ漫画」と称されていた時代で「鉄腕アトム」「鉄人28号」「エイトマン」「ウルトラシリーズ」等が主だったものとなります。
当時のキャラクターグッズといえば、現在のトレーディングカードの走りとも言える「メンコ」「ブロマイド」等のいわゆる「紙モノ」。

そして「ブリキ・トイ」や「セルロイド人形」「風船人形」等の基本形状及び仕様の決まっている一部変更対応の「型モノ」が主流。

「プラモデル」は洋モノが高級看板商品として、国内産が安価でお手軽な消耗品として普及し始めた頃です。
提供場所も「駄菓子屋」「雑貨屋」がメインで、まだ「玩具/模型店」という括りも曖昧な時期でした。

「型モノ」はどれもアメリカへの輸出を前提とした"地域産業"でしたが、安全基準上の問題で「ブリキ・トイ」や「セルロイド人形」の製造が行えなくなってしまいます。そこで新たに誕生・発展したのが「塩化ビニル人形(塩ビ人形)」… いわゆる「ソフビ」です。
原型さえ出来ればすぐに金型化出来る「レスポンスの良さ」、1000個程度という「適度な生産数」、店で扱うにも子供が扱うにも「壊れない」という利点を持つこの商品は極めて"中小企業""地域産業"に向いており、その製法は瞬く間に広まる事となります。
そして巻き起こったのが、ウルトラシリーズを発端とした「怪獣ソフビブーム」です。

何しろ放映1ヶ月後にはもう店頭にぶら下がっている、それも毎週登場する怪獣が続々と発売される、買い逃すと次の怪獣に切り替わってしまう様な状況だったそうです。

ですが、この時期は「キャラクターコンテンツ」の方式がまだ完全に確立されていなかったが故(所謂「無証紙・無版権」が当たり前だった時期)、提供する大人側の「劇中フォルム再現」という観点がそもそも甘い時代でした。

もともと落ち着きの無い子供たちを大人しくさせる"子守道具"効果のある「玩具・模型」は、それなりに親からその存在価値を認められていました。

ですが、乱造されるソフビの中には余りの似て無さ度合いから子供達の失望される物もあり、買い与えた親から「子供騙し」「泥人形」との非難が殺到。この悪評は尾を引き、後々まで玩具・模型メーカーを苦しませる事となります。

さてここで初めて、何故「子供騙し」「泥人形」等と呼ばれる位「劇中フォルム再現」が出来なかったのか?という話が出てきます。

・大量モデル発注対応のための粗悪乱造
・監修を通さない無版権商品「パチ物」の台頭
・造形技術の稚拙さ

というのが定説となっていますが、実はそれだけではないのです。なぜならこの3つだけでは、当時のソフビが持つ「造形上の一律の癖」を説明しきれないためです。

1960年当時はまだ「スーパーロボット前夜」にあたり鉄人28号くらいしか存在していないのですが、その「造形上の一律の癖」を分かりやすくするため、簡単なロボのポンチ絵を描いてみました。
【①基本スタイル】

例えばこういうロボ(キャラクター)がいたとします。ところが、当時のソフビには一貫して以下のような「造型上の一律の癖」が見受けられるのです。
【②子供スタイル】
・顔(頭)が大きい(3.5~4頭身)
・なぜか必ず子供体型

1960年当時、多数のソフビ原型師がいたにも関わらず、ほぼ「造型上の一律の癖」【②子供スタイル】となっています…それは何故か?これには、当時から現在に至るまでの「玩具業界」の成り立ちに深い関係があります。

もともと主だった玩具メーカーや玩具問屋は、東京 葛飾区界隈に分布しています。この辺りは神社仏閣建築から端を発した仏壇仏像・節句関連の「日本人形」のメッカとして発展してきました。

ですが戦後、時代の流れから「日本人形」だけでは生活出来なくなっていた人達が集まり、同じ子供を購買対象とし、同じ流通経路を使って、より安価な"玩具"を製造販売し始めます。これが玩具業界の始まりです。

当時の主だった原型師が「日本人形」=「五月人形」や「雛人形」を造ってきた人達となります。そこで皆さんに思い出して頂きたいのが「五月人形」です。

そもそも節句というのは「子供が健やかに育ってほしい」という願いを込めて行われる行事です。それ故「五月人形」は基本5~6才の「子供」をモチーフとして作成されています。
…そう。つまり1960年代当時の「ソフビ」は、
「五月人形」の概念で作成されていたのです(※)。

※…ちなみに「雛人形」は、植毛技術・サイズ感等も含め、後の女児玩具「着せ替え人形」へと発展していきます(※※)。

※※…この流れで見ると「吉徳×F:NEX Re:ゼロから始める異世界生活ラム -日本人形- 1/4スケールフィギュア[フリュー]」の企画には隔世の感があり、大変興味深いです。

ここで当時の「原型師のプライド」に視点を変えてみましょう。元々「五月人形」を造ってきた"凄腕"、更には子供の成長を願って奉られる等という半分宗教にも近い"高尚"な物造りの達人たち…はっきり言って"プライドの塊"です。

「鉄腕アトム」はまだ良いのです。見た目は正義の男の子、元モチーフに近しい存在で、自然と造形にも力が入ります…入り過ぎて少しリアル寄りになりがちですが。

「エイトマン」や「鉄人28号」、これはモチーフが「大人」。出来ない訳じゃないが、子供ばかり造ってきた彼らからすれば気楽には出来ない。正確に言えば時間とコストがかかる。だから子供体型を間延びさせてさっさと納品してしまう。

一番問題なのは「怪獣」。これこそ彼らからしたら、恐ろしく醜い"ゲテ物"でしかない。だからこそ、元デザインから大幅に形も色も変化(アレンジ)されてしまう。

ですがこの「職人気質」のおかげで、ろくに資料も無い中、それだけのハイペースで、そこそこ見れて金型から抜ける原型を仕事も選ばず対応してくれたからこそ、当時の「怪獣ソフビブーム」をくぐり抜ける事が出来たと言えます。

逆に言えば、同じ子供たちのためにロクに資料も無い中、毎週消費される怪獣を、映りの悪い白黒放送を見ながらひたすら安い賃金で造らされる訳です…世間からの「子供騙し」「泥人形」という悪評に晒されながら。

その不平不満が、後に彼らが玩具・模型メーカーに集約した際の業として、大きな影響を及ぼす事となります。

ちなみに本気を出した1960年代当時の原型師の技は「ブリキ・トイ」の頭部から推察する事が出来ます。
「五月人形」の標準的な頭の大きさ"5~7cmの球体"サイズは、彼らにとって最も造りやすい大きさ。これは「ブリキ・トイ」頭部とほぼ同じサイズなのです。

現在のホビーアイテムを見慣れた目で見ても充分耐えうる造形品質。ちなみにこの頭部でリアル頭身を作ろうとすると、全高60cmクラスの超巨体サイズとなってしまいます。

昔の玩具・模型業界には、以下のような「ことわざ」がありました。曰く

▼デカい玩具は、日本じゃ売れない(※…30cm以上の)

これは「起きて半畳、寝て一畳。天下とっても一合半」の教えが身に染み付いてしまっている日本人の悲しい習性から来たもの。
ですが、そんな日本の家屋事情や玩具・模型業界の常識をあっさりと覆す大ヒット商品が誕生する事になります…その名も「ジャンボマシンダー」シリーズ(ポピー)。

その巨大さばかりが語られますが「劇中フォルム再現」という視点で見れば、確かな造形力に裏打ちされた全体フォルムのまとまり方は、あの「超合金」以上だったのです。

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◼️1970年代前半~「キャラクターコンテンツ確立期」

この年代は、師匠と弟子2人の天才クリエイターによって「キャラクターコンテンツ」が確立された時期となります。
・「仮面ライダー」を初めとする「特撮等身大ヒーロー」を確立し、第二次怪獣(怪人)ブームを巻き起こした「石森 章太郎」氏

・「マジンガーZ」を初めとする「巨大ロボット」を確立し、巨大ロボットジャンルを定番化させた「永井 豪」氏

1970年代当時、この2人の「キャラクターコンテンツ」プロデュース力は群を抜いており、玩具・模型メーカーはこぞって協力を仰ぎました。

この頃は「版権」業務システム=キャラクターマーチャンダイジングが確立した時期でもあり、クリエイター自らが商品監修を行う事も出来るようになった時期。

その結果、キャラクターモデルにおいての最大欲求「劇中フォルム再現」が真摯に行われるようになり、更には玩具・模型ならではの「ギミック再現」が新たに投入されるようになりました。

以下が「キャラクターコンテンツ確立期」の基本スタイルです。
【③成型スタイル】
・大まかなスタイルと顔ディテールは凝るが、それ以外は簡略化もしくは印刷処理
・間接軸を垂直に打ち込み強度を保つため、デザイン上の丸い曲線部を出来る限り四角化

この【③成型スタイル】となったのは、玩具ならではの売りとなる「ギミック再現」を行う素性(主に安全基準上)確保のため。商品形態も「ソフビ」から「合金」「プラ」へと変化していきます。

「劇中フォルム再現」「ギミック再現」がバランス良く発展していった結果、先の「ジャンボマシンダー」シリーズ(ポピー)のように、後の有名ブランドとなる数々の傑作玩具・模型が発表される事となりました。
・キャラクターコンテンツに、ダイキャストミニカーの精密さと重量感を併せ持たせた「超合金/ポピニカ」シリーズ(ポピー/バンダイ)

・差替合体や変形遊びを、磁石で行えるようにした「マグネモ」シリーズ(タカラ)


・数々のキャラクターコスチュームを着せて変身させられる「変身サイボーグ」シリーズ(タカラ)

・スナップキットや色プラの原点で、独自の合体遊びが楽しめる「合体マシン」シリーズ(アオシマ)

・共有間接や塗装済パーツなど、現在の可動フィギュアの原点とも言える「ジョイントモデル」シリーズ(バンダイ模型)

…etc.

ちなみに各種有名模型メーカーが群雄割拠する静岡県静岡市も、神社仏閣建築から端を発した街。主に木工細工技術を活用して家具や仏壇、蒔絵などの生産を始めた歴史があります。

・静岡県 静岡市周辺が「家具や仏壇」という実用品→実在物の立体化=「スケールモデル」

・東京都 葛飾区周辺が「日本人形」という小神様→空想物の立体化=「キャラクターモデル」
各々の発展の違いが垣間見え、中々興味深い事になっています。

かようにこの時代は、キャラクターモデルのユーザーから見れば「劇中フォルム再現」更には玩具・模型ならではの「ギミック再現」がバランス良く投入されていた所謂「密月」でした。

ですが、この良好なバランス状態は長くは続きませんでした。「玩具・模型メーカー」と「キャラクター製作会社」の関係性に変化が訪れたためです。

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◼️1970年代中盤~「キャラクターコンテンツ迷走期」

1970年代中盤に起こった第一次オイルショックは、それまで順風満帆に拡大成長を続けてきた「キャラクターコンテンツ」業界をも激震させました。

一定人気は見込めるが金もかかる特撮ヒーロー物は軒並み数を減らし、比すればまだコストの安いロボットアニメが大量に製作されるようになります。

それもこれも、より高度に、より多様に、より複雑に…よりエスカレートするユーザーからの「ギミック再現」へのニーズに対応するために、です。
その頃には中小企業から大手へと拡大しつつあったスポンサーたる「玩具・模型メーカー」の発言力は日に日に増し、この「ギミック再現」のため「キャラクター製作会社」に大きな枷が嵌められる事となりました。
具体的には「主役ロボデザインへの口出し」「出撃・変形/合体・戦闘・トドメバンクシーン」ノルマの発生です。

このノルマはロボット物に「燃える演出スタイル」と「定番バンクによるコストダウン」というメリットを与えました。

と同時に、30分1話完結が基本のTVアニメから時間とドラマ性を奪うデメリットをも生み、常に新たな「魅力的なキャラクター作劇」を行いたい「キャラクター製作会社」を大いに失望させる事となります。
1970年代後半「宇宙戦艦ヤマト」に端を発したSFアニメブームを受け発行されたアニメ誌の記事には、半ば自虐的に「ロボットプロレス」「玩具販促アニメ」と揶揄する「キャラクター製作会社」スタッフの怨嗟の声が数多く記録されています。
尤もこの「ノルマ」達成を逆手に取り、作劇に関してはスポンサーたる「玩具・模型メーカー」に口出しさせまいとした、強かな「キャラクター製作会社」スタッフも存在しましたが…閑話休題。

さて、「キャラクター製作会社」の言う「魅力的なキャラクター作劇」の範疇には、「魅力的なロボットの魅せ方」と言うのも当然含まれます。

この「魅力的なロボットの魅せ方」でユーザーたる子供たちの心を掴む事こそ
、「劇中フォルム再現」した玩具・模型が欲しくなる直接的な購買欲となるからです。

以下、幅広い「魅力的なロボットの魅せ方」の中から、一例として「主役ロボのスタイル変化」を記してみます。

まず「巨大ロボット物」を確立した「永井 豪」氏ですが、そのパイオニアたる「マジンガーZ」の放映中にも、「パワーとスピード感の両立」をさせるための「理想的スタイル」を模索し続けていたようです。
放映当初は「巨人・大鵬・卵焼き」時代のスーパーロボットの始祖「鉄人28号」に準じた相撲取りのような力強い安定体型「ボリュームスタイル」でしたが、後にウェストを絞り込みスマートになる事でスピード感を獲得する事に成功します。
そして次作「グレートマジンガー」を持って、やはり当時流行していたプロレスラーのような逆三角形体型の「ストロングスタイル」を完成させました。

この「パワーとスピード感の両立」を実現させた「ストロングスタイル」は、1970年代前半の「キャラクターコンテンツ確立期」において、メーカー・キャラ問わず「巨大ロボット物」の標準スタイルとなります。

そして1970年代中盤、また1人の天才クリエイターが排出されます…その名を「安彦 良和」氏、タイトル名は「勇者ライディーン」。

それまで子供たちの憧れの対象として選ばれていた「スポーツマン」というモチーフを、やはり当時の子供たちの憧れたる「スター(アイドル)」へ。「カッコ良さ」の概念その物をガラリと変えてみせたのです。
被り物と肩への装飾でシルエットに特徴を持たせた上半身と、長い脚を末広がりなパンタロンでまとめた下半身。上下合わさる事で全体としては二等辺三角形のシルエットとなり、巨大感をも生み出す言わば「ファッションスタイル」。

そのスタイリッシュな「カッコ良さ」はメインターゲットの男の子のみならず、女性ファンをも獲得するにまでに到りました。こちらも、1970年代中盤以降の「巨大ロボット物」の標準スタイルとなります。

どの「スタイル」も、基本素立ちで可動に重きが置けなかった当時の「玩具・模型」の見映えを少しでも良くしようとの「キャラクター製作会社」なりの配慮。

でも1970年代中盤以降、スポンサーたる「玩具・模型メーカー」の発言力が増す事で「ギミック再現」>「劇中フォルム」傾向が強まり、鳴りを潜めていた「造型上の一律の癖」が再び表れるようになりました。
【④ギミック再現優先スタイル】
・基本ベースが「②子供スタイル」のため、顔(頭)が大きい
・地面に立たせるため、足首以下が幅広に
・頭の大きさは変わらず、全高も変えられないため、胸・腹・腰を縮めて長脚化
・間接強度を保ちながら腕は細いままで肩幅を広くするため、結果 胸幅が広くなる

「ストロングスタイル」で提示された「カッコ良さ」のポイントは、逆三角形のスタイルでは無く「胸幅の広さ」のみ。

「ファッションスタイル」で掲示された「カッコ良さ」のポイントは、パンタロンのスタイルでは無く「長脚&足首以下の拡大」のみ。

あくまでも「②子供スタイル」をベースとした「パッチワーク的採用」に留まります。

そして特筆すべきは「②子供スタイル」最大の特徴「顔(頭)が大きい」という「造型上の一律の癖」。「③成型スタイル」時にこの傾向が見受けられない以上「造形技術が稚拙」な訳ではもちろんありません。

実はこの頃から、「玩具・模型業界」に数々の「ことわざ=常識・セオリー・真理」が生まれています。その「言霊」の持つ力は凄まじく、少なくとも1990年代前半までその影響力を維持し続ける事となります。

例えばこの当時、関東圏内のローカルCMにて以下のフレーズが繰り返し流れておりました。
東京は浅草橋に本拠を構える老舗「吉徳大光」の名キャッチフレーズ「人形は、顔が命」。

遠く「キャラクター(アニメ)製作業界」まで伝達されていたと噂される「言霊」。その1つが、この「吉徳大光」の名キャッチフレーズから引用された以下の「ことわざ」です。

▼人形は顔が命。故に、大きくしなくてはならない。

この「ことわざ」には幾つかのバリエーションが存在しています。記憶している範囲で書き連ねてみると…

▼人形は顔が命。故に人の顔を連想させる物でなければならない。

▼〃~優しい顔つきでなければならない。

▼〃~左右対象で無ければならない。

…etc.

ちなみに、他の「ことわざ=常識・セオリー」を幾つか並べてみると、以下のようなものとなります。

▼技術のトミー、開発のタカラ、物真似のバンダイ

▼玩具・模型は、硬いモノは得意。柔らかいモノは苦手。

▼人型の玩具・模型は、男子用は自立できるようにしなければならない。

▼玩具・模型は、売場の棚面積を取った者が勝つ。

▼玩具・模型・漫画は、子供騙しの低俗品。

…etc.

いかがでしょうか。ちなみに一番最後の「ことわざ」は、玩具・模型業界が常に晒されてきた真のてk…イヤイヤ。
直接購買層となる親御(PTA)様から賜った、今なおバージョンアップを重ねて語り継がれる有難い通説でもありますね。今はここにスマホやらゲームやらが入ります。

それはともかく、こうして順不同に並べて見ることで、この「ことわざ」の持つ「相似感」と「違和感」を、皆さんには同時に感じて頂けたのではないでしょうか。

まず「相似感」は、実際に「玩具・模型メーカー」に直接・または間接的に絡む「関係者自らの自嘲ネタな事」から来ています。

また「違和感」は、「劇中フォルムに関するネタが、玩具・模型メーカーの枠を越えて、キャラクター製作会社の域にまで達している事」から来ています。

そして、この相反する要素が示すのは以下2点となります。

①「玩具・模型メーカー」の「造型上の一律の癖」は、「明確な意図」のために抜けない事
②「玩具・模型メーカー」の「明確な意図」のもと、ロボットデザインの画一化が進行していた事

それでも、関係者内でこの「ことわざ」が自嘲気味に語られるまではまだ良かったのです。
時を経る事でこれらの「言霊」が全く別の意味と力を持つようになり、この玩具・模型メーカーの「明確な意図」はより深刻なものへと変貌していく事になります。
こういう話があります。1970年代後半の「ヤマトブーム」時に目の越えたハイエンドユーザーが増え、「劇中フォルム再現」を第一とした「ビーグル系ディスプレイ・モデル」が発売され、人気を博するようになりました。
その流れは1980前半「ガンダムブーム」へ、その後から発展していく「リアルロボムーブ」へと発展。当然「ロボ系ディスプレイ・モデル」への期待も高まり、クオリティへの注文も増していきます。

これと直接対峙する事となるのは、実際にユーザーと接触の機会がある小売店・問屋業者。さすがに限界と、メーカーの若い営業に対し苦言に近い疑問を投げ掛けた所…

「近くの幼稚園でアンケートを取ったんですよ、"大きな頭"と"小さな頭"のどっちがいいか?って。そうしたら大多数が"大きな頭"を選んだんです。やっぱり"人形は顔が命"なんですね!」との答えが。

この短い返答の中だけでも、そもそもユーザー対象が異なる上、公正なアンケートだったのかどうかも分からないという、ツッコミ所満載な内容。

何よりマズイと思ったのは、本来は自虐的ネタなはずの「ことわざ」が、いつの間にか主ユーザーたる「子供たち」の大意にすり替えられ、玩具・模型メーカー主導のもと業界の「真理(セオリー)」として正当化されていた事だったそうです。
一部の「玩具・模型メーカー」内の(恐らく若い)スタッフも、この流れには危機感を感じていたようです。

ハイエンドユーザーの中でも、自ら手を動かし実物を持って「造型上の一律の癖」解消に乗り出した「モデラー」の作例を掲載・原型にフィードバックし気を吐いた時期もありました(※)。

※…頭部の幅積め・胸部の八の字カット・足首以下の縦長加工・別キットからの良パーツ流用等の「旧キット定番工作」がそれに当たります。

ですがこのムーブメントも長くは続かず…それはそうです。スポンサーからの提供を受けながら改造を施すなど、クレーム(商品否定)を自ら助長させる結果になりかねません。

こうして「造型上の一律の癖(※特に"頭の大きさ")」問題は、少なくとも80年代一杯まで根本的解決には至らず過ぎ去っていったのです…。
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では、「玩具・模型メーカー」の「明確な意図」の正体とは一体何なのでしょうか。

次回の"海洋堂「ソフトビニールモデルキット」が、玩具・模型業界に与えた衝撃~【中編】"では、今回挙げた「事例」に補足を交えながら「仮説」を立て、その正体を「推察」してみようと思います。