西寒多神社(ささむたじんじゃ)は柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)とともに豊後国一宮。柞原八幡宮の参拝の後、西寒多神社に向かった。
西寒多神社へは大分駅前から大分バス寒田団地方面に乗り30分、ふじが丘南バス停下車徒歩8分ほどである。ふじが丘南バス停は開発された住宅地にあり、こんなところに一宮があるのかと思わせるような違和感がある。
社号標と萬年橋という名称の石造りの太鼓橋。境内に入っていきなり太鼓橋というのは珍しいと思う。
ところで、到着してみると今度は別のことに驚いた。一見したところ、境内が非常に狭く思える。境内入口に立った時点で一番奥の拝殿まで見えているのである。5分か10分程度で参拝が終わってしまいそうで、これまでに参拝した中で最も境内が狭い一宮かもしれないと思った。
実際には違うはずだし、神社の境内地というのはどこからどこまでが含まれるのかも参拝者にとってはわからない。山を持っている神社だってあるのだから、見た目には狭くても広大な社叢があるという可能性もある。ただ、参拝者が通常移動する可能性のある範囲、「有効面積」のようなものが非常に狭いのである。
結果としては、境内を一通り巡るのに40分くらいかかったので、これは一宮の平均くらいかもしれない。
太鼓橋を渡り終わったところからの境内全景。もう拝殿は目の前である。しかも、見えている部分から判断すると、境内社も無いように思える。「これで終わり?」と思うのも無理はない。
ただ、場の気と視覚的な印象はまずまず良い感じである。
参道を真っ直ぐ進む。それ以外に選択肢はない。参道左手には神楽殿。
あっという間に拝殿に到着。
御祭神は境内にあった由緒書によれば、西寒多大神(天照皇大御神)、月読尊、天忍穂耳命(オシホミミ)。公式サイトによれば、アマテラス、ツキヨミ(ツクヨミ)、オシホミミの総称として西寒多大神。
そして、相殿として応神天皇、神功皇后、武内宿禰。
御祭神が気になるところで、豊後国のもう1つの一宮である柞原八幡宮は文字通り八幡宮であるので応神天皇を祀る。宇佐神宮は豊前国、柞原八幡宮は豊後国ではあるが、宇佐神宮の影響を受けていることがわかる。しかし、当社ではアマテラスである。
当社は応神天皇の勅命により武内宿禰が建立にあたった。応神天皇の在位中の話なのである。だから、八幡宮よりも歴史が古いということになる。
ここから推測されることは、当社が一宮制度ができた当初の一宮だったのではないかということ。柞原八幡宮も当社と同じく豊後国の一宮とされているということは、おそらく後の時代に柞原八幡宮に一宮を取って代わられたのではないかと思われる。
本殿。
本殿の脇には校倉造(あぜくらづくり)の神庫(じんこ)。珍しい良いものを見たという感じである。非常に興味深い。間近で見ているのに、どのように組み上がっているのか、仕組みが全然わからない。
奥宮への道と、境内社の大分社、天神社。
奥宮は遠いだろうから断念。しかし、どのくらい遠いのかを調べるのは結構手間である。なぜ、奥宮への道の標識に書いておいてくれないのだろうか。
中には5分で行けるような奥宮というのもある。もし、そうなら間違いなく行っていた。当社の奥宮は調べたところ、片道2時間くらいかかるらしい。
ついでに言うと、奥宮というのは公式サイトにおいても言及されないことが多い。これもなぜだかわからない。
大分社の説明に、大分という地名は大分の君(おおいたのきみ)という昔の豪族に由来するとある。これは、この説明書きを見て初めて知ったことである。ただ、御祭神は豊門別となっていて、たぶん一般的に大分の君という言葉が指す人とは異なると思うのだが、この辺りは調べても情報が少なすぎて詳細不明である。
色々な境内社の合併社。
合併社の裏手あたりの風景。私は川のある神社風景は好きである。水の要素を取り入れることで変化が付くので、眺めるのに良い感じ。
川の名称は寒田川で、もちろん、境内入口の萬年橋の下を流れていた川である。
地名や川の名称の「寒田」は「そうだ」と読む。神社名称の「西寒多」が「ささむた」で似ているので、当社に来るのに乗ってきた寒田団地方面バスが途中で通る地名を「さむた」だと思いこんでいたのだが、バス車内の案内放送を聞いて「何か違う読みをしているな」と気付いたことから発覚した。
当社は大分市寒田(そうだ)にある。
厳島神社。神池、神橋、島のいつもの3点セット。
伊勢社の参道入口。
少し山を登るようであり、実際に登ってみたのであるが、距離感が分からずに断念して途中で引き返した。が、後でほかの人のブログを見たらそれほど遠くでもなかったようである。
「徒歩3分」とか「徒歩5分」とか「登山2時間」とか表示して欲しい。
境内・社叢の風景。
境内は一宮としては決して広いわけではないが、この辺りは境内入口で最初に見えていた範囲外であり、参拝所要時間は思っていたよりもかかった。
有名な藤棚。残念ながら季節ではなかったが、毎年5月3~5日に「西寒多ふじまつり」が開催される。樹齢450年、幹周り2.3mで、1本の木から枝が約350平方メートルに広がっているという壮大なものである。
この藤棚を通って手水舎の辺りに戻って来て、これで境内一周である。
最後に手水舎付近にあったオガタマノキ。漢字で「招霊木」と書き、神霊の宿る木と言われている。アメノウズメが天岩戸の前で神楽を舞った時にこの木の枝を持っていたと伝えられているそうである。
最初はどうなることかと思ったのだが、一通り参拝を終えてみると、一宮の平均以上の良い神社かなという感想になった。5点満点での評価は4.0+。
当社の基本情報等については以下を参照していただきたい。
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