大分旅行の2日目に宇佐神宮に参拝。今回は3日目に参拝した柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)を紹介する。西寒多神社(ささむたじんじゃ)とともに豊後国一宮である。

 

柞原八幡宮は大分駅からバス1本で行ける場所にあるが、バスは平日で4往復、休日で3往復しかないという路線である。この日は土曜日なので休日ダイヤである。

 

最寄りバス停は終点の柞原なのであるが、当然ながら折返しのバスには乗れないので、往復のバス利用は困難である。平日なら2時間後のバスで帰るというプランもあり得るが、飲食店も何もない場所であり、時間を持て余すことは間違いない。

 

だから、最初から帰りは徒歩という予定であった。徒歩で西大分駅まで50分くらい。4kmほどの道を歩く以外にないのである。

 

しかし、真夏である。4km歩くのも結構きつい。帰りは徒歩ときちんと予定を立てていたのに、1時間バスを待っても2時間後のバスで帰る(参拝に1時間、待ちが1時間)方がマシかななどと思ってしまい、行きのバスが柞原に到着後、帰りのバスの時刻を確かめようとしてしまったのである。

 

すると、バスの運転手が「帰りもバスに乗られますか?10分後に出てしまうのですが」と声を掛けてきてくれた。ここでこの日が土曜日であることを思い出した。休日ダイヤの場合には2時間後のバスすらなく、3時間後のバスになってしまうのである。旅程を組む時点ではそれも想定済だから帰りは徒歩としていたのだが、完全に忘れていた。

 

慌てて「いえ、帰りは歩くので大丈夫です」と答えると、申し訳無さそうに謝ってくれた。

 

というくらいに、辺鄙な場所にあるのが柞原八幡宮である。宇佐神宮の時に廃線になった宇佐参宮線の話をしたが、こんなところでも神社参拝に困難を強いられているのである。

 

神宮や厳島神社などは大盛況なのに、こんな一宮もあるのである。そして、この柞原八幡宮の境内では、ほかの参拝者と全く出会わなかった。1時間の滞在時間中、参拝者は私一人だったのである。

 

 

 

当社はバス停を降りたらすぐ目の前にある。というよりも、当社がある場所をバス停にしたのだろう。

 

最初の最初からかなり雰囲気が出ていて、非常に良い感じである。

 

 

当社は見ての通り、参道石段を上っていく。

 

また大きな樹木。当社の魅力はなんと言っても御神木の樹木、社叢、それらを見ながら石段を上っていく参道である。

 

これはホルトノキという樹木。大分市の名木に指定されている。

 

その昔、現在の春日浦あたりで外国との貿易が盛んで、ポルトガル人が持ってきて移植したところからホルトノキとなったと言われている。その春日浦に近い大分市の中心部にある春日神社(県社・別表)にもホルトノキがあるということである。

 

 

参道の様子。

 

 

楼門。

 

楼門というのは神社の構成要素の中で華やかなものの1つであることが多いが、ここでは歴史を感じさせる渋さが光る楼門。

 

宇佐神宮や上賀茂神社の楼門のような華美なものではないが、この楼門には非常に多くの彫り物が施してある。

 

 

 

これは楼門を通る時に内部の壁に施してあったもの。これだけではなくて、もっとたくさんのレリーフがある。

 

この楼門の手前左手に、当社の目玉である樹齢3000年とも言われるクスノキの御神木がある。国指定の天然記念物でもある。

 

 

 

全体を1枚の写真に収められるほど後ろに下がれるスペースがないのが残念。

 

切り取られてしまった写真ではその本当の凄さは伝わらないと思うので、是非自分の目で見て体感してみていただきたい。

 

後の記事で別途紹介する予定だが、今回の神社巡り旅行では大分県で一番の大杉も見ることができた。これは九州本土で最大とも言われる大杉なのだが、その杉でも樹齢は推定で1000年くらいとのことである。樹齢3000年というのはそれくらい凄いのである。

 

 

 

楼門の先、参道左手に境内社の稲荷神社。鳥居、参道、社殿と非常に雰囲気が良い。

 

 

参道に戻るのだが、参道が二手に分かれている。しかし、何の案内もないのが不親切である。どちらを行ったらよいのかわからない。

 

後で境内案内図を見ることになるのだが、この時点ではそれもない。

 

雰囲気が良さそうなのは右だが、これまでの参道の方向通りに真っ直ぐ伸びているのは左である。こういう場合は真っ直ぐに行くものであろう。

 

 

左側の真っ直ぐの参道はこんな感じ。こちらもなかなかの雰囲気の参道である。

 

 

しばらく参道を進んだところにあった境内案内図。

 

これを見ると、どう見ても右手の参道が正解であったようにしか見えない。というよりも、こちら側の参道の必要性がわからない。やれやれと思いながら、さきほどの分岐点まで戻る。この境内案内図をさきほどの分岐点のところになぜ置いておかないのか。

 

 

今度は右側の参道を歩く。やはり、なかなか素敵な参道である。

 

 

石段を上りきったところに楼門。閉まっているように見えるが、迂回して入るのだろうか。

 

 

「ここからは参拝できません」

「東門か西門にお廻り下さい」

 

結局さっきの左手の参道に戻らなければならない。一体、どうしたら、こんなに不親切な案内ができるのだろう。参拝者の身になって考えるということが全くできていない。

 

御神木、社叢、参道と非常に素晴らしい神社なのに。

 

 

 

やっと到着。この神門から中に入る。

 

 

本殿側を見たところ。

 

 

これはその反対の、さっきの閉じられていた楼門側を見たところ。

 

画像を見ると、どこからどのように参拝するのかわからないと思うのだが、実は当社では靴を脱いで社殿に上がって参拝する。

 

この珍しい参拝形式は私の参拝経験上では記憶にある限り当社のほかにあと3社だけである。1社はこの旅行中に宇佐神宮と同じ日に訪れた香々地別宮八幡社(かかぢべつぐうはちまんしゃ)。ほかは栃木県の古峯神社、奈良県の談山神社である。

 

 

 

社殿内部の様子。ここで参拝する。

 

宇佐神宮の記事で八幡宮の御祭神のパターンを説明したが、この柞原八幡宮では仲哀天皇、応神天皇、神功皇后となっている。

 

境内にあった由緒書ではこの順に書いてあったのだが、仲哀天皇がメインということはないと思われるので、本殿に祀られているのがこの順であり、応神天皇が中央ということだと思う。

 

 

社殿の回廊部分。

 

 

できる限り回廊の端の方から撮影した本殿。つまり、本殿の側面を撮影したかったということである。

 

これが宇佐神宮では確認できなかった八幡造(はちまんづくり)という建築様式の本殿である。同じような社殿を前後方向に2つ繋いでいる構造になっている。

 

実はさきほどの境内案内図の左下にこの八幡造の図と説明がある。

 

本殿の前にある社殿は申殿(もうしでん)と呼ばれるそうで、これは祝詞を奏上するための社殿とのこと。宇佐神宮の楼門の奥、中央の二之御殿の前にあるのも申殿である。

 

当社の滞在時間は約1時間であった。

 

この後、最初に書いたように帰りのバスがないため、真夏の暑さの中、西大分駅方面まで4kmほど歩いて帰った。

 

歩いて帰ることの唯一の利点は、西大分駅付近にある火王宮(ひのうぐう=村社)という神社に寄れること。もちろん、バスに乗っても付近で降りることは可能だが、1日数本しかないバスなのだから大分駅まで行ってしまうだろう。なお、バスで降りる場合には、ひらがなで「かんたん」と書くバス停で降りる。バス車内の案内放送では発音も「簡単」と同じだった。

 

 

参道になぜか合格門なるものがあるが・・・

 

 

 

村社としては結構良い神社である。境内の雰囲気は気に入った。

 

御祭神が猿田彦となっているのが謎である。火王宮という名称からは、やはりカグツチしか思いつかないし、猿田彦が火王なのだろうかと疑問に思う。

 

なお、当社名称の読みは境内の由緒書によれば「ひのうぐう」だが、ネット上では「かおうきゅう」としている情報も多数見つかるので、そうも読むのかもしれない。

 

この火王宮の境内に柞原八幡宮の仮宮とか御旅所(おたびしょ)と呼ばれるものがある。だから、ここに寄ってみたということでもある。

 

 

扁額は「由原八幡宮」の表記になっており、これは柞原八幡宮の楼門の扁額と同じ表記である。「由原八幡宮」は表記が異なるだけで、読みは「ゆすはらはちまんぐう」のようである。

 

さて、この柞原八幡宮の仮宮なるものの意味を調べてみたところ、これは式年造替などの社殿の工事中に一時的に使用する仮宮ではなく、柞原八幡宮の「浜の市」と呼ばれる仲秋祭の際に神輿が立ち寄り、その際に神様が休憩に使う場所のようである。

 

こういった意味でも普通に「仮宮」という言葉を使うようだが、個人的には仮宮というと式年造替その他の理由による社殿工事中に一時的に使用するものを思い浮かべてしまうので、御旅所(おたびしょ)の方が意味が間違いなく伝わる言葉だと思う。

 

以上で柞原八幡宮の紹介記事を終わりたい。

 

柞原八幡宮・火王宮の基本情報等については以下を参照していただきたい。

 

現代神名帳 柞原八幡宮

現代神名帳 火王宮

 

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