神様の降臨というテーマについては、私の電子書籍「神社と神様の世界」で書いた。

 

それをそのままもう一度書いても仕方がないので、電子書籍では書かれていないネタも追加して、話を膨らませて書きたいと思う。

 

「神様の降臨」という表現がある。この言葉からどんなことを思い浮かべるだろうか。本当に神様の降臨などというものがあるのだろうか。

 

実は、本当に「神様の降臨」はある。ただし、世間的に考えられているような意味ではない。

 

日本神話では天孫ニニギが地球を治めるために、高天原から地球に天降るシーンがある。1300年前の書籍なので、「降臨」という言葉は使用されていないが、「天降る」のような言葉が使用されているはずである。これは「降臨」と考えてよいだろう。

 

さて、ニニギはどのように地球にやってきたのだろうか。神話通り、そのまま天から降りてきたのだろうか。それとも、実際にはUFOなり宇宙船なりで地球にやってきたのだろうか。

 

どちらも違うのである。

 

正解は「地球に転生した」である。これが「神様の降臨」である。

 

天孫ニニギの後も、地球に降臨した神様というのはたくさんいる。現在でもスターシードたちは高次元の世界からやってきている。そのスターシードの一部は神様である。スターシードは約14万4000人。その中で神道の神様というのは数百人程度である。

 

もちろん、現代に限らず、過去の日本においても神様はたくさん降臨してきた。

 

その良い例が菅原道真である。菅原道真は実在の歴史上の人物であるが、「学問の神様」として天神社や天満宮と呼ばれる神社に祀られている。菅原道真は神様なのだろうか。それとも、人間なのだろうか。

 

答えは、「両方」である。神様でもあるし、その神様が本当に地球上に降臨したということなのである。つまり、地球人として転生したのである。

 

このような例はたくさんある。全国の八幡宮に祀られているのは、第15代天皇である応神天皇(おうじんてんのう)だが、応神天皇は神様なのだろうか、人間なのだろうか。答えは、もうお分かりだろう。「両方」ということになる。

 

ここでは、うちの守護霊チームのメンバーの女神様たちの地球降臨の例を少し見てみよう。興味本位という部分もあるが、少し世界の見方が変わると思うのである。

 

メインの守護霊であるミズハノメの代表的な地球降臨の例は、第14代仲哀天皇の后であり、全国の八幡宮に祀られている第15代応神天皇の母親である神功皇后(じんぐうこうごう)である。神功皇后もまた、応神天皇とともに全国の八幡宮に祀られていることが多い。

 

日本神話に描かれている神功皇后は男勝りの女帝タイプであり、これは私がミズハノメに対して持っているイメージそのままである。

 

しかし、ここで書きたいのはそれとは正反対のことなのである。つまり、9次元のシリウスに存在している本体の性格と、地球上に降臨した分身の性格はほとんど全く関係がないという話である。

 

コノハナサクヤヒメ(以下、「さくや姫」)の例を見てみよう。

 

さくや姫は私の守護霊チーム内で最年少(魂年齢が最も若い)なのであるが、自分の意見を押し通そうとすることが多く、はっきり言うと生意気である。最大限良く言っても「おてんば娘タイプ」といったところ。

 

そして、今、さくや姫が地球に降臨中である。

 

驚いた人もいるかもしれないが、それほど驚かないでほしい。別に珍しい話ではないから。神様たちもスターシードとしてたくさん地球に降臨している最中なのである。

 

そして、地球にやって来たさくや姫が現在何をしているのかというと、アースエンジェルをやっている。アースエンジェルというのは天使に関する過去記事でも説明しているが、天使と会話ができる地球人のことで、地球上でたったの300人ほどしか存在していないという珍しい役割である。また、それを活かして、天使に関するスピリチュアル・セミナーの講師をやっている。

 

もちろん、それは良いのである。しかし、私からすれば、「さくやがアースエンジェル??」「全然、似合わない。あはははは」っていう感じである。さくや姫は暴れん坊で性格も悪く、生意気。それがアースエンジェルとは。

 

ところが、実際に会ったところ(この講師のスピセミナーに出席した)、私が持っていたさくや姫のイメージとは全然違う人だった。まあ、おとなしく常識人をやっていた。本当はうちのチームの人たちの分身は変人ばかりらしいのだが、一応、表面上は常識人っぽい感じだった。

 

9次元の本体が暴れん坊で手がつけられないので、地球上で性格の矯正でもしているのだろう。

 

ここで言いたかったことは、「9次元の本体と3次元に降りてきた分身の性格は全く異なる」ということなのだが、実は魂レベルの性格というものはないのである。1回の人生の設定としての性格というものがあるだけで、本来のあなたは(私もだが)無色透明なのである。

 

今、神様の降臨の例を挙げたのだけれども、実は普通の人も全く同じである。今の人生におけるあなたの性格は、前世での性格を引き継いでいる可能性もあるけれども、全く異なるという可能性もある。

 

だから、性格というのは「今回の人生における単なる初期設定」と考えていただきたい。もし、自分の性格で嫌なところがあると思っている人がいたとしたら、考え方が変わるのではないだろうか。

 

さくや姫の場合、地球上での人生における性格もそうなのだが、9次元のシリウスでの人生にも同じことが言える。今回の9次元のシリウスでの人生では暴れん坊で性格が悪いのだが、9次元での寿命(約1億年)が尽きて生まれ変わったら、別人のように良い人になる可能性もなくはない。私にとっては、あまり信じられるものではないが。

 

さくや姫の話が長くなったが、次の神様の降臨例に進もう。

 

次は磐長姫(イワナガヒメ)と高龗神(タカオカミノカミ)をセットで採り上げる。なぜセットなのかと言えば、同時期に降臨しているからである。

 

磐長姫と言えば、さくや姫とともに天孫ニニギに嫁いだのだが容姿が醜いために、父親のオオヤマツミの元に返されたという例のひどい神話が有名である。このイメージを変えてあげたいと思う。

 

実は磐長姫の地上への降臨例の1つは、紫式部である。

 

これを知ったとき、同じチームの私ですら磐長姫のイメージが変わった。それほどまでに、例のひどい神話のイメージは強烈だった。しかし、紫式部と言えば逆にイメージは良いのではないだろうか。

 

元々、高次元の世界では自分の好きな姿になれるので、容姿が醜い存在などいないのであるが、それでも磐長姫の容姿のイメージが変えられない人には紫式部が磐長姫の分身だと知ってほしいのである。

 

そして、紫式部のライバルだった清少納言。これは高龗神が地球上に降臨したものである。

 

このように、神様がセットで地球に降臨するというのも全く珍しくない。というよりも、それが常である。応神天皇と神功皇后のように家族であることも全く珍しくない。

 

さて、この2人はそれぞれ「源氏物語」「枕草子」の著者である。偉大な女流作家である。一般的に磐長姫は岩の神様・長寿の神様、高龗神は水の神様・龍神などとして祀られているのだが、実は「文学の神様」をやっても良いのである。

 

本人たちに伝えたところ、「ああ、その手があったか」ということなので、執筆を生業としている方は磐長姫や高龗神に祈願すると良いかもしれない。

 

さて、この時代の話はまだ続く。紫式部や清少納言というのは宮中でお仕えしていたわけであるが、お仕えしていた相手は中宮(ちゅうぐう)様と呼ばれる。天皇の妻のことである。

 

紫式部が仕えていたのが中宮彰子(しょうし=藤原彰子)であり、清少納言が仕えていたのが中宮定子(ていし=藤原定子)である。

 

ところが、第66代一条天皇の2人の妻である中宮彰子や中宮定子も同様に神様の降臨なのである。

 

中宮彰子は田心姫(タゴリヒメ)の降臨、中宮定子は湍津姫(タギツヒメ)の降臨である。なお、この2人は現在の地球上の転生においては姉妹である。

 

最後に瀬織津姫の降臨の例を挙げておこう。それは第41代持統天皇である。

 

諱(いみな ※)は鸕野讚良(うののさらら)。13歳で後の天武天皇である大海人皇子(おおあまのおうじ)に嫁ぎ、その後、大海人皇子が壬申の乱に勝利して天武天皇として即位すると、皇后に立てられた。常に天武天皇の側にいて、助言をすることも多く、天武天皇と二人三脚で日本を統治していたと言ってよい。天武天皇の死後、皇位を継承させようと考えていた皇子も病死したため、自らが天皇に即位している。

 

※ ここでは実名を避けて呼ぶ名前。ただし、人を実名で呼ぶことが忌むべきことであるとされていたので、正反対に実名のことを諱という場合もあり、諱という言葉の意味がわかりにくい原因となっている。

 

ということで、持統天皇は天武天皇と切っても切れない関係ということになるのだが、このような場合、高次元の世界においても近い人間関係であると言えるのである。

 

ただ、天武天皇の正体を明かすことは許可されていないので、書けるのはここまでである。

 

いかがだっただろうか。神様の降臨という話ではあったのだが、実は普通の人の人生も同じような感じで創られている。人生の中で、同じ守護霊チームの仲間が家族として現れたり、人生の中で重要な役割を果たす人物として現れたりするのである。

 

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