寒川神社の紹介記事に書いたように、神奈川県の有力神社というのは県の中央部から西にかなり集中している。今回は1泊2日でそれらの神社を巡ってきたので、相模国二宮である川勾神社(かわわじんじゃ)と同じく総社である六所神社(ろくしょじんじゃ)を中心に紹介したい。
東海道本線に二宮という駅がある。この二宮というのが相模国二宮である川勾神社を指す。だから、川勾神社の最寄駅は二宮なのであるが、相模国総社の六所神社の最寄駅も同じく二宮である。
そして、二宮から1つ小田原寄りの駅が国府津(こうづ)である。国府(こくふ)があった場所の近くの、船が出入りする海岸といった意味合いである。近くに相模国の国府があったことを示唆しており、そこに存在していたのが総社である六所神社ということになる。
川勾神社、六所神社ともに2回目の参拝。実は二宮を最寄駅とする有力神社を新たに発見したので、その神社への参拝がしたかったのである。ただ、至近距離を通りながらスルーするわけにもいかず、久しぶりに両神社に参拝に行ったということになる。
まず最初に訪れたのが、最近知ったその神社であり、五所八幡宮(ごしょはちまんぐう)という。近代社格は郷社。
川勾神社から北に4kmくらいのところにある。そして、五所八幡宮へのバスは途中で川勾神社の最寄バス停を通る。だから、本当は川勾神社の初回参拝時に行っておけば良かったのである。ただ、当時は当社のことを全く知らなかったのだから、どうしようもない。
二宮駅から神奈中バス比奈窪行に乗り17分、五所ノ宮バス停下車すぐ。
鳥居と社号標。
写真では鳥居周辺だけが切り取られてしまうので伝わらないかもしれないが、一目見てかなりの境内規模の想像以上に立派な神社であることに驚いた。
そして、由緒書に書いてあった五所八幡宮の名称の由来にさらに驚く。
五所八幡宮の由来は、なんと5番目の八幡宮であることなのだそうである。最初に八幡宮の総本社である宇佐神宮(大分県)があり、次に京都の石清水八幡宮、3番目に鎌倉の鶴岡八幡宮、4番目に大阪の壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)、そして5番目が当社と伝えられているとのことである。
それだけの神社があまり知られておらず、自分も最近まで知らなかったというのも不思議である。
長い石段を上って拝殿へ。社殿後背の社叢から放たれる気が素晴らしい。八幡宮らしい堂々とした佇まいで威厳を感じる。
細かく紹介していると終わらないので色々と省略せざるを得ないのが残念であるが、あと1つだけ。
最初の鳥居の右手方向に日本庭園がある。地元の造園業者の創業者が奉納したものだそうである。
当社からの帰りのバスを途中の鐘藪(かねやぶ)バス停で下車。徒歩9分で二宮の川勾神社に到着。
「延喜式内社」とか「相模国二之宮」という表示は良いのだが、その後ろに見える「郷社」と書かれた社号標が痛々しい。
二宮が郷社だったとは。実際にはその後県社に昇格しているので、通常は近代社格としても県社としてしか認識されないのであるが、時折このように昇格前の社格をそのままにしている社号標を見かけることがある。
鳥居。
この左側に一応、また社号標がある。しかし、全体として二宮の境内入口としては、あまりにあっさりしているというか、軽い印象を受ける。もっと重厚な大鳥居なりがあるのが普通だと思うのだが、小さくてどうということもない鳥居である。
石段を上ったところに随神門。雰囲気はあるが、やはり入口としての重厚さがないような気がしなくもない。
ここまでを見ると、当初の近代社格が「郷社」だったのも理解できなくもない。ただ、当社の真髄はここからである。
随神門をくぐった後の境内全景。
これが良いのである。力強い場の気を感じる。
そして、静寂に包まれた空間。私が到着した時、ほかの参拝者は誰もいなかった。後から数人やって来たのだが、多数の参拝者で賑わうような神社ではない。前回もそうだったから。
参道左手の2本の御神木と社殿後背の社叢が相俟って、素晴らしい場の気を放っている。
いつもながら画像では伝わらないのが本当に残念。上手なカメラマンならもっと伝わるのかもしれないが、それでも限界はあるだろう。
当社の場の気は誰にでもわかりやすいような感じのものではなく、通好みの渋さが光るようなものである。そして、それが良いのである。こういうのは肌感覚だから、やはり機会があったら実際に当社を訪れてみてほしい。
拝殿。入母屋造り。破風(はふ=屋根の装飾)のないシンプルな入母屋造り。
瑞垣によって視界が遮られており、上の方しか見えないが、一応本殿の画像。
御祭神は大巳貴命(オオナムチ)ほか5柱。
境内社は東五社と西五社の2社にまとめられている。
東五社に相模国式内十二座とあるのが目に付く。相模国十三社という言葉があり、これは相模国には延喜式内社が13社存在するということなのであるが、相模国式内十二座とは当社以外の式内社を祀ったものなのであろう。
二宮なのに、これだけと言えばこれだけとも言えるので、5~10分くらいで参拝を終える人もいるだろうけど、私としては30分くらいの参拝所要時間を見ておきたいところである。
こういう神社は何が見どころとかいうことではないのである。ただ、場の気が素晴らしく、ただ、佇んでいたい感じの神社ということなのである。
バスで二宮駅に戻って昼食をとった後、今度は駅の反対側(東)にある相模国総社の六所神社に向かう。
六所神社の境内入口。
バスが通ってきた道は東海道であり、東海道沿いには鳥居があるのだが、肝心の境内入口には鳥居がない。
元々、当地から西に1kmくらいのところに祀られていたのが、当地に遷座したと伝えられているそうで、それが西暦718年のことだという古社である。
美しい境内風景。境内に入ってすぐのところ、左右にそれぞれ神池がある。これは後で紹介する。
拝殿周辺にとても力強さと威厳を感じる神社である。そして、その厳しい感じの場の気が好きである。
本殿。
境内の由緒書によれば、当社は柳田大明神とも言われる。そして相模国総社となったため、一宮である寒川神社、二宮である川勾神社、三宮である比々多神社(ひびたじんじゃ)、四宮である前鳥神社(さきとりじんじゃ)、一国一社の八幡宮である平塚八幡宮が併せて祀られるようになったということである。
そして、この本殿なのであるが、画像では明確には分からないのであるが、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)という珍しい建築様式のようである。
実は、この珍しい建築様式の本殿は旅行初日に参拝した伊勢原市の高部屋神社(たかべやじんじゃ)でも見たのである。高部屋神社は相模国十三社の1社であり、これまで未参拝の式内社であった。予想を超えて素晴らしい神社であったので、ここで寄り道して2枚だけ画像を貼っておく。
拝殿。
茅葺きの屋根という珍しいもので、新潟県の天津神社(あまつじんじゃ)や能生白山神社(のうはくさんじんじゃ)を思い起こさせるのだが、これらの神社ほどの「ほのぼの感」はなく、風変わりな印象の中にも引き締まった場の気を感じる。
これが本殿で、五間社流造。
この高部屋神社の境内にある由緒書の中に要約すると以下のような記述がある。
「県内の五間社の本殿は、鶴岡八幡宮、箱根神社、六所神社といった名だたる神社にしか見られません」(Fさん要約)
五間社は横方向に6本の柱がある社殿であり、6本の柱ということは柱と柱の間が5つなので「五間社」と呼ばれる。つまり、6本の柱を必要とするほど横幅が広い、大きくて堂々たる本殿ということである。
境内社の六所稲荷。
最後に境内入ったところの左右にあった神池とその境内社を紹介して終わりにする。
境内に入って左手にあるのが六所龍神大神社。龍神であるから、その実体は高龗神(タカオカミノカミ=貴船神社の御祭神の女神)である。この神池+島+境内社の構造で、宗像三女神以外の神様を祀る神社というのは珍しい。
反対側の右手にあるのが六所ひぐるま弁天社で、弁天社であるから市杵島姫(イチキシマヒメ)、つまりさくや姫を祀る神社ということになろう。
やはり、通常は神池に浮かぶ島にある境内社は、宗像神社、厳島神社、弁天社などになり、宗像三女神またはそのうちの市杵島姫(=さくや姫=弁財天)を祀るのが普通である。
今回の旅行で参拝した神社のうち、まだ紹介したい神社があるのだが、長くなるので次回に続く。
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