今回の神社巡りでは、武蔵国の総社である大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)を紹介する。

 

まず、総社(そうしゃ)について復習しておこう。総社とは、昔の国ごとに存在する、一宮、二宮、三宮・・・の全てを祀る神社のこと。

 

武蔵国は時代によって移り変わりはあった可能性はあるものの、一宮から六宮が存在している。当社に参拝するということは、この6つの神社の全てに参拝したということになる。というよりも、そのために創られた神社が総社である。

 

当社は東京都府中市にある。この「府中」という地名はズバリ、国府があった場所という意味になる。各地にある、「府中」「国府」などの地名は基本的に全て国府の所在地である。そして、国府には総社があったということなのである。

 

だから、東京都府中市には武蔵国総社である当社が存在し、広島県安芸郡府中町には安芸国総社の多家神社が存在し、神奈川県の国府津(こうづ)の近くには相模国総社である六所神社が存在し、愛知県の名鉄国府(こう)駅の近くには三河国総社である三河總社(みかわそうじゃ)が存在し、同じく愛知県の国府宮(こうのみや)駅の近くに尾張国総社である尾張大國魂神社(おわりおおくにたまじんじゃ)が存在するのである。同様の例はもちろん全国各地にある。

 

相模国総社のように六所神社(ろくしょじんじゃ)という名称もよく見かける。これは一宮から六宮までの総社であることを示している。

 

現在では相模国は一般的に四宮までしか認められていないし、ほかの旧国にしても六宮まで揃っている国の方が珍しく、例えば二宮までしかない国とかの方が多いのであるが、うちの女神様たちによれば、実は長い時を経て三宮や六宮がわからなくなってしまっただけということなのである。

 

そもそも、現在では総社自体がわからなくなってしまっていることも多い。一宮のリストと比較すると、総社のリストはかなり不完全なのである。本当は各国ともに一宮から六宮まであるのが標準だったとのことである。

 

当社も古くは武蔵総社六所宮という名称だったということである。

 

 

当社の最寄駅は京王線の府中駅またはJRの府中本町駅である。

 

この日、実は当社に参拝の予定はなかったのであるが、朝9時頃から当社近くの神社を巡る予定になっていた。予定を変更して当社に参拝したのは、当社ほどの社格と規模を誇る神社の至近距離を通りながらスルーするのが少しためらわれたこともあるのだが、朝9時なら人が少ないかもしれないと思ったのである。

 

当社はかなり参拝者数の多い神社である。府中市の中心地にあるのである。人が映らない写真を撮影することはかなり困難である。せっかく朝9時に当社近くを通るのだから、参拝して写真を撮っておこうと考えたのである。

 

しかし、朝9時でもものすごい人である。もちろん、参拝者も既にたくさんいる。そして、それに加えて、この神社の境内を通り道にしている歩行者がたくさんいるのである。だから、やはり写真撮影は難しい。ついでに、朝だと逆光である。この画像も前方左手から強い日光が差している。

 

 

 

入口から近い、参道右手の稲荷神社。

 

境内社の参拝は本社の参拝の後というように順番を決めている人もいると思うのだが、大きな神社の場合は特にそうだが、私は参道の途中に境内社があれば先に参拝してしまうことが多い。後で参拝しようと思って順序を変えると、混乱して参拝を忘れてしまいそうだからである。

 

 

武蔵国総社にふさわしい、広くて堂々とした境内参道。

 

 

参道左手の宮之咩神社(みやのめじんじゃ)。御祭神は天鈿女命(アメノウズメ)。

 

 

朝だったので、社殿の扉が開いていた。たぶん、当社の神職が順に境内社に参拝するからだと思う。社殿の扉は閉じているのが普通なので、なんだか珍しいものを目にして得した気分。

 

 

私は手水舎の写真はそれほど撮らないのだが、当社の手水舎はよく見ると珍しいのではないかと思った。もう何度も参拝に訪れているのに、今回初めてそう思ったのである。

 

なんとなく画像を見ても何も思わないかもしれないのだが、よく見ると異常に高さが高い。高さがこれほど高い手水舎は珍しいのではないだろうか。それに、さらによく見ると、参拝時には見落としていたのだが、社殿のように彫り物が施してある。

 

こういう、一々豪華なところが、神社の格式の高さを表しているわけである。

 

 

随神門。

 

祭りの準備中のようで、提灯がたくさん並んでいた。

 

 

さらに社殿を取り囲む瑞垣があり、門がある。

 

神社やその社殿を取り囲む垣根を「瑞垣(みずがき)」と呼ぶ。ほかには、玉垣(たまがき)と呼ばれたり、伊勢神宮では御垣(みかき)と呼ばれたりする。格式の高い神社では社殿を何重にも瑞垣で囲み、何重にも門があったりするわけである。

 

 

拝殿。

 

強い逆光のせいで完全な真正面から撮影ができない。さきほどの門を利用して日光を遮って撮影している。当社拝殿を真正面からきちんと撮影できたことがまだない。

 

また、拝殿前でここまで人が少ない写真を撮影するのもかなり困難である。朝9時だからこその写真である。

 

当社の御祭神は大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)。

 

ここで問題。神社の世界でいう國魂(くにたま)または大國魂とは何であろうか。当社の名称は大國魂神社であるが、愛知県にはさきほど尾張国総社として言及した尾張大國魂神社があるし、大阪府には生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)がある。

 

この國魂については、将来的に「神社・神道 豆知識」シリーズに書こうと思って温めていたネタだったのだが、今回当社の紹介ということになったので、この記事で書いてしまいたい。

 

実は國魂は日本中で間違って認識されているのである。もちろん、神社の中の人も間違えている。

 

一般論として、神社の世界では國魂・大國魂は大国主(オオクニヌシ)と同一視されている。大國魂と「大国」が共通しているので同一視されているのだろう。しかし、これが間違いなのである。

 

では、國魂とは何なのだろうか。

 

私は神社巡りを始めた頃、國魂神社というのは国の魂だから、各地の護国神社のように戦没者を祀った神社なのかなあと漠然と推測していた時期があった。もちろん、これも間違いである。

 

正解を書こう。國魂とは、国常立尊(クニトコタチ)を指す。正直、なぜと訊かれても困る。だが、歴史的に誤認されてきたのである。なんというか、「大國魂=大国主」という図式を最初に思った人があまり霊感のない人だったというか、その人に正確な情報が伝わらなかった。そして、その間違った情報が広まってしまったということである。

 

生國魂神社の場合には御祭神が生島大神・足島大神となっているが、これも国土の神であり国常立尊(クニトコタチ)を指す。長野県にある生島足島神社も同様である。

 

 

本社に参拝した後は、拝殿・本殿を取り囲む周回路へ。境内社があるので、忘れずに参拝していただきたい。

 

最初は水神社。読みが書かれていないが、一般論では「すいじんじゃ」と読むことが多い。そして、これまた一般論として、水神社の御祭神は基本的に2つのパターンしかない。どちらもうちの守護霊チームのメンバーであり、ミズハノメまたはタカオカミノカミである。ミズハノメの場合が8~9割くらいとのことである。

 

・・・と書いてから正解を公式サイトで調べたところ、当社では「みずじんじゃ」だった。御祭神はミズハノメのほかに三柱で、なぜか上賀茂神社、下鴨神社の御祭神が祀られている。

 

 

 

次に松尾社。ご存知、お酒の神様である。私はお酒が好きなので、当社に限らず松尾社にはいつも参拝する。

 

 

 

巽神社(たつみじんじゃ)。辰巳(南東)の方角にあるので巽神社ということだが、方角守護ではない。うちのチームの市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)を祀るそうである。

 

 

本殿。

 

本殿は瑞垣に囲まれていて、もちろん入れないだけでなく、あまりよく見えない。が、裏から見ると、かなり珍しい構造の社殿に見えるのである。見える部分から判断すると、九間社流造に見えるのである。

 

社殿の構造を表現する時に、一間社とか三間社とか言うことが多い。これは社殿を正面・背面から見た時に柱の間隔が1つ(つまり柱が2本のみ)なのか、3つ(柱が4本)なのかを表している。本殿はほとんどこの2種類しかないのに近い。

 

九間社というのは横方向に柱が10本並んでいるわけで、横方向に異常に長い本殿ということになる。

 

当社公式サイトによると、本殿は実は三棟の本殿を横に連結した構造になっているとのことである。真ん中に主祭神である大國魂大神、正面から見て左に一宮から三宮の主祭神、右に四宮から六宮の主祭神を祀っているのだそうである。

 

 

東照宮。

 

駿河国の久能山に祀られていた徳川家康の霊を分霊して下野国日光に祀る際に、分霊を乗せた輿が当社に一晩滞在したことから、当社にも東照宮が造営されたということである。

 

 

 

 

住吉神社・大鷲神社(おおとりじんじゃ)。とても立派な社殿の境内社。単独の神社の社殿として見ても素晴らしいくらいである。

 

以上で境内を一通り巡って40分程度であった。

 

この後、当社近くの神社をいくつか巡ったのであるが、その1つに武蔵国の国府八幡宮(こくふはちまんぐう)という神社があり、当社の所管社となっている。

 

 

 

 

 

寂れた感じの細い参道が長く続き、京王線の踏切を跨ぐ。

 

 

神門。

 

もう誰にも顧みられなくなった神社の様相なのであるが、国府八幡宮を感じさせる雰囲気や威厳のようなものは残っている。

 

 

 

境内参道の雰囲気。公園と隣接していて、公園的な雰囲気(ただし寂しげ)も醸し出している。

 

 

 

本殿。

 

そう、現在では社殿がこれだけの神社なのである。

 

八幡神社であるので、御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)=誉田別命(ほむたわけのみこと/ほんだわけのみこと)である。

 

当社は武蔵国の国府八幡宮である。最後に国府八幡宮を説明してこの記事を終わりたい。

 

国府八幡宮(こくふはちまんぐう/こくぶはちまんぐう)とは旧国ごとの国府に存在していた八幡宮である。府中八幡宮と呼ばれる場合もある。

 

そして、これは八幡宮の一宮に相当するのである。国府にあるのだが、八幡宮の総社ではなく、八幡宮の一宮である。その国で最も格式の高い八幡宮ということになる。

 

一国一社の八幡宮とも呼ばれる。群馬県高崎市の上野國一社八幡宮(こうずけのくにいっしゃはちまんぐう)、栃木県足利市の下野國一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう)、富山県富山市の一國一社八幡宮(いっこくいっしゃはちまんぐう)のように、そのものズバリの名称の神社もある。

 

ちなみに、八幡宮の世界で伊勢神宮に相当するのは大分県の宇佐神宮(うさじんぐう)であり、ここが全国の八幡宮の総本宮となる。

 

今回参拝した大國魂神社と武蔵国府八幡宮の基本情報等については以下を参照していただきたい。

 

大國魂神社

国府八幡宮

 

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