3~4か月くらい前のことだったと思う。ある日、パラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」を読んでいたところ、カースト制度について触れている部分があった。
それだけでも意外だったのだが、さらに驚いたことに、このように書いてあったのである。
「偉大な立法者マヌによって制定されたカースト制度は、その起源においてはまことに賞賛すべきものであった。」
(第四十一章 南インドの田園詩 p.403)
べつにカースト制度について詳しく知っているわけでもない。インドにおけるその実態など知る由もない。
ただ、差別の象徴であり、悪名高き制度だという認識である。この認識は正しいのかもしれないし、これまでの人生での社会的な擦り込みにすぎないのかもしれない。実態はわからないけれども、少なくとも肯定的に考えたことは一度もなかったのである。
その、ネガティブイメージのカースト制度について、ヨガナンダは少なくともその元々の考え方は称賛されるべきものだと言ったわけである。
だから、非常に驚いたわけなのであるが、次に書いてあることを読み、一瞬で理解したのである。
「マヌは、人間が、その性質の進化程度によって四つの種別(カースト)に分けられると観た。」
(同)
なるほど。意識レベルの概念である。
意識レベルについては以下の過去記事を参照していただきたい。
デヴィッド・ホーキンズ博士が提唱し、細部に至るまで明確に定めた意識レベルという概念の源流はカースト制度にあったのである。
続きを引用しよう。
「すなわち、肉体労働によって社会に奉仕できる人々(シュードラ)、知力、技能、農業、商業、交易、その他実業によって奉仕する人々(ヴァイシャ)、管理、統制、保護等の能力をもつ人々―政治家、軍人など(クシャトリヤ)、および、瞑想的性格をもち、霊感に恵まれ、他人にも霊的鼓舞を与えることのできる人々(バラモン)の四種別である。」
(同)
なるほど。ここまでは完全に納得である。
現代の感覚では政治家や軍人がクシャトリヤとは思えない場合も多々あるが、日本で言うならば江戸時代くらいまでの状況で考えれば、誰しもが納得するであろう。
そう言えば、日本にも「士農工商」というものがあった。ここにバラモンは出てこないが、クシャトリヤとは「士」であろう。
うちの女神様たちによれば、この「士農工商」もカースト制度に通ずるものがあって、その原点においては良い点もあったということである。
「だが、このカースト制度も、数世紀のうちにしだいに形式化して世襲制となったため、そこから深刻な弊害が生ずるようになった。」
(第四十一章 南インドの田園詩 p.404)
ということで、後の時代に「あの悪名高きカースト制度」というものに成り下がっていってしまったということである。
さて。カースト制度の4つの区分を現代風に意識レベルに置き換えてみよう。
境界線となる意識レベルは色々考えられるし、決して絶対的なものではないけれども、女神様たちと相談して妥当なラインはこんな感じということになった。
■バラモン 意識レベル540以上~
■クシャトリヤ 意識レベル400以上~540未満
■ヴァイシャ 意識レベル200以上~400未満
■シュードラ 意識レベル~200未満
こういう区分は差別的だと感じる人もいるだろうが、意識レベルの差というのは、単に魂年齢の差である。魂年齢が古い方から4つの区分に分けただけである。
この人生において、あなたよりも20年先に生まれた人のことをうらやましいとか思うことは基本的にないはずである。それと同じで、魂としてのあなたよりも2億年先に生まれた魂のことをうらやましいと思う必要など1つもないのである。
ここで、なぜこのような区分が必要なのかという話になる。
これは地球という特殊環境の、その特殊性ゆえに、区分が必要なのである。
この3次元の地球というのは、意識レベルが100にも満たない人たちからブッダ・キリストの意識レベル1000まで、意識レベルが10倍以上も異なる人たちが1つの同じ星に住んでいるという点が特殊なのである。
葦原瑞穂著「黎明」にもこれに関連した話があったと思うのだが、良い点としては、様々な波動レベルの人が存在しているゆえに、波動レベルが非常に高い人と実際に会うチャンスがあり、その良い影響を受けることができるということが挙げられる。
従って、地球での転生において、その1回の転生で意識レベルを飛躍的に向上させるチャンスが理論的には存在しているということなのである。
それに対して、地球以外の普通の星では、だいたい同じくらいの意識レベルの人たちが住んでいるのである。
例えば、6次元のシリウスというのは住人の意識レベルは18000超~24000以下という範囲になるので、最大でも意識レベルは1.33倍くらいの倍率しかないのである。
だから、自分よりもはるかに意識レベルが高い存在に出会うことができない。そういう意味での刺激は少ない。
しかし、こちらにも良い点がある。それは、「お互いの意識レベルが近いために、おおむね人間関係が快適である」ことである。
地球のようにさまざまな波動レベルの人が混在している環境では、あまりにも波動レベルが異なる人同士が会うと、文字通り「波動が合わない」のである。あまり快適ではないのである。
だから、人間というのは、同じような波動レベルの人同士でグループを作る習性がどうしてもあるのである。
民族ごとに国を分けるとか、1つの国であっても居住地域を分けるとかいう話も、これの延長線上にある。カースト制度と並んで差別の象徴のような制度であるアパルトヘイトというものにも多少の理はあるのである。
一気に程度が異なる話になるように思えるかもしれないが、「高級住宅地」という概念だって似たようなものである。
これは単に「住むのに便利な一等地」という意味合いでないことは明らかである。あまりにも波動が異なる人に入ってきてほしくないのである。
新幹線の「グリーン車」も同様である。座席空間の広さという意味もあるが、それだけではないのである。
通常期(混雑期ではない)のグリーン車と普通車の雰囲気の差は歴然である。雲泥の差である。乗客の波動レベルが違うからである。普通車の乱雑な雰囲気に対して、グリーン車は整然としている。乗客の所作も全く異なり、多くのグリーン車の乗客は周囲への配慮ができる。
これが長期休暇や3連休などの混雑期になると、通常はグリーン車に乗らないが混雑期で普通車指定席が取れなかったという理由でグリーン車に乗る乗客が一気に増え、途端にグリーン車の波動レベルが下がってしまうという現象がある。
ほかには「私立の名門学校」「お嬢様学校」という例も挙げられる。これも単に学力が高いという意味合いではなく、ある程度波動レベルが高い子供たちが集まる学校、安心して子供を通わせることができる学校という意味合いが含まれることは言うまでもない。
以上のように、人間というのは、同じような波動レベルの人同士でグループを作る習性があり、これは波動の法則を考えればとても自然なことなのである。
いつも言っているように、「合わない波動の人とは会わない」ようにするしかない。人はそれぞれが固有の波動を周囲に発しており、近くにいる人の波動の影響は必ず受ける。相手の波動を変えることも、跳ね返すこともできないのである。それが波動の法則である。
それゆえに、いつも快適でいられるような波動空間に自分の身を置くことだって必要なのである。
住む場所、職場、学校、利用する交通機関、買い物をするお店、レストラン、人間関係に基づくさまざまなグループ、それにネット上のSNSやら掲示板やらの何らかの「居場所」、それぞれに固有の波動があるのだから、それが自分の波動と合っているのかどうかを考え、常に自分が快適でいられるような空間を選ぶことは、何ら悪い事ではないうえに、自然なことでもあり、必要なことですらある。
自分はどんな波動空間にいても大丈夫とか、差別的に思える話だから自分は誰とでも分け隔てなく接するとかいう人もいるだろうし、それはそれで自由なのだけど、マザー・テレサのようになりたいとかでない限りは、あまりお奨めはしない。
自分はどこにいても誰といても平気だという思い込みのせいで、知らないうちに大きなダメージを受けているかもしれないから。
立派な人を演じるというのは、非常に疲れる、消耗する行為である。私からすれば、ムダな行為である。いつも素の自分でいる方がよい。
斎藤一人さんも「立派な人というのがあぶない」と言っていたが、全くもって同感である。
※ 立派な人でいなければならないという思い込み、社会的な観念にとらわれることが危険であるという意味。
意識レベルが高い人というのは、例外なく波動に敏感である。非常に小さなインスピレーションや、波動が放つわずかな印象を大事にする。そして、自己肯定感が強いから、自分を何よりも大事にする。
さて、10倍以上意識レベルが異なる人が1つの星に暮らすという特殊な地球も、もうすぐ終了する。
4次元の意識レベルの範囲は1000超~6000という範囲であるが、今回の地球のアセンションにおいては、全員が最低でも意識レベル2400まで上昇する予定になっているので、地球のアセンションが完了した暁には地球人の意識レベルは2400~6000ということになり、意識レベルの倍率は最高でも2.5倍に収まるようになる。
現状の地球と比較すれば、遥かに快適な人生が送れるような星に生まれ変わるのである。
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