(前回の続き)
次は悟り・スピリチュアル系のセラピスト・カウンセラー。これまた、この時点での私の意識レベル820よりも全員が上の数値を示した。
(日本人スピ系セラピスト4名の分布)
830 2名
860 1名
880 1名
さらには、悟り・非二元の本を書いている外国人有名ティーチャー。私はスピ系、悟り・非二元系の本はそれなりの数を読んでおり、ここで計測した5名の有名な方については、全員の本を読んだことがある。
(外国人有名ティーチャー5名の分布)
920 1名
930 2名
940 1名
970 1名
さすがである。私が測定した全員について、インチキ・グル的な人は1人もいなかったのである。
それでは、もう少し一般人寄りの立ち位置のスピ系ブログを書いている人はどうだろうか。
(スピ系ブログの執筆者7名の分布)
580 1名
680 1名
730 1名
790 1名
810 2名
840 1名
正直なところ、予想よりも高い数値が計測された。500以上がスピリチュアルの領域であるし、悟りの入口が700なのだから、充分に高い数値である。スピリチュアルの世界は基本的に証明不能なことがらについて語るわけであるので、情報は玉石混淆ではあるが、ブログランキングの上位にくるようなブログの執筆者の意識レベルはそれなりに高いと言える。
私は個人的に以下のような変遷を経て現在に至ったと思っている。
物質世界の住人 ~499
↓
現世ご利益系スピリチュアルの人 500~539
↓
悟り系スピリチュアルの人 540~599
↓
悟り・非二元への真摯な探求者 600~699
↓
覚醒した人 820(その後上昇)
これと比較すると、現世ご利益的なスピリチュアルについて書いている方でも悟りの領域にいるか、それに近いところにいるということなので、意識レベルの数値が高いと感じられたのである。
最後に悟りのレベルについての興味深い測定を行ったので、これを書いておきたい。一般的に「悟り」という言葉の定義は非常に曖昧である。人によって定義が異なるか、あるいは一般の人は定義がわからないまま使用しているという不思議な言葉である。実は私がペンデュラムで「私は6か月以内に悟りますか」「私は本当に既に悟ったのでしょうか」という質問をした時には、悟りの定義も一緒に伝えたのである。「なお、ここでの悟りとは『空性とワンネスを知的理解ではなく直接体験を通して知る』こととします」と付け加えたうえで、質問したのである。
(悟りの段階と意識レベル)
590 「目覚め」ほぼ常に自分の思考・感情に気づいている
700 「悟り」空性とワンネスを知的理解ではなく直接体験を通して知る
820 「苦悩からの解放」全ての苦悩から解放される
860 「探求からの解放」悟りや真我を求める探究から解放される
920 「個人の感覚の消失」名前で呼ばれる個人として生きている感覚がほぼない
970 「分離感の消失」個我という分離感が消える
元の書籍の情報なのかはわからないが、ネットでの情報だと600は「平和」「覚醒」となっていたので、ここでの覚醒は上記の定義のようである。私の測定値が590になっているのは質問に「ほぼ」という言葉を付けてしまったからかもしれないので、600の「覚醒」と上記の590は整合性が取れていそう。700の「悟り」は私が与えた定義でよかったようだ。上記の820の「苦悩からの解放」は本当にそうなのかは微妙。意識レベルが800以上になろうが、900以上になろうが、あらゆる感情は起こり得る。「怒り」も「苦しみ」も「恐れ」も起こり得るし、表面的に悩みに見える事象も起こり得るが、それがまさにスクリーン上に現れては去っていく感情にすぎないということを知っている、という感じだろうか。上記920と970は同じに思われるかもしれないが、私には微妙な差異があるように思われる。
以上すべて「Fさん調べ」の戯言であり、参考情報にすぎないので、その点はご理解いただきたい。