宇宙の創造主の究極視点から見れば、全ての出来事は決まっており、全てが予定通りである。偶然は存在しない。従って、個人の自由意志も存在しない。

しかし、全てが決まってしまっている宇宙を体験できる個別の存在というのもいない。だから、見掛け上は自由意志が発生する。

要するに、視点の次元によって、出来事が確定済みであるかどうかが異なる。だから、3次元視点と究極視点の両面から考える必要がある。

そして、その中間の視点というのもあり、4次元の守護霊の視点も、9次元の女神様たちの視点も、前述の2つの視点とは異なる。

次元によって、出来事の確定範囲が異なると言ってよいのである。

3次元の地球だけを見るのであれば、4次元の存在が見ても、5次元の存在が見ても、9次元の存在が見ても大差はないそうであるが、3次元の地球で発生する出来事というのは、4~6次元の地球においての計画が大きく影響するわけだから(あるいは地球の場合にはシリウス等の星も計画に大きく関わっている)、そこまで含めると次元が高い存在の方が、この宙域において全体として何が計画されているのかを知る上で有利であると言える。

視点によって体験する世界は変わる。宇宙はそのようにできている。

だから、パラレルワールドなのである。個別の存在は、全て異なる宇宙を体験しているのである。

さて、「確定した未来は存在しない」とよく言われる。宇宙の創造主以外の存在、つまり個別の存在にとっては大筋正しい。

だから、例えばサッカーの試合などは、原則として結果がわからない。3次元に生きている私たちには当然わからないのだが、9次元の女神様たちから見ても原則としてはわからないのである。

高次元存在は3次元の全ての時空間を見渡すことができる。そして、アシュタールは約1000万年前に、当時から見て1000万年後の(つまり現在の)地球の滅亡の可能性を予見した。

だから、スターシードと呼ばれる存在が現在地球に送り込まれ、アセンションのサポートをしており、それによって地球を滅亡の危機から救おうとしたわけである。

ということは、「スターシードにアセンションのサポートをさせる」という見掛け上の自由意志の発動により、地球滅亡というタイムラインから、地球のアセンションというタイムラインへの移行を試みたということになる。

つまり、11次元のアシュタールの視点から見ても、1000万年後の地球の状況というのは確定したものではなく、あくまでも、「地球滅亡の可能性」という1つのタイムライン上の未来を見たにすぎない。

だから、見掛け上の自由意志というものは存在し、それによって自分の望む未来を創り出すというゲームが可能になるのである。

そして、現在、見掛け上の自由意志の発動により、地球をアセンションさせて滅亡の危機から救うという壮大なプロジェクト、壮大なゲームが行われているというわけである。

ただし、宇宙の創造主の究極視点から見た場合、1000万年前にアシュタールが見掛け上の自由意志を行使して、地球のアセンションを試みるということはわかっていた。宇宙の創造主にとっては、単に予定通りなのである。

私たち個別の存在から見れば、原則として未来の出来事は「不確定」。しかし、宇宙の創造主は「サイコロを振らない」のである。

物理学で言うところの「不確定性原理」というもの、この詳細を私は理解できないけれども、アインシュタインとボーアの間で激論になったとされるこの問題について、スピリチュアル的な見解を述べるとすれば、「視点」の違いと言えるのである。

ただ、宇宙の創造主の究極視点の物理学というものは絶対に知ることができないため、この3次元の世界で観測されるものを体系化したとしたらボーアの方が正解であり、「不確定性原理」は正しいのである。

個別の存在の視点からは、原則として未来の出来事は「不確定」であるが、例外もある。例えば、3次元の地球における「運命」である。

私たちは、生まれる前に人生の中で発生する出来事をある程度決めて生まれてきている。人によって決まっている出来事の総数は異なるが、数百~数千程度。代表例は結婚である。

この運命で定められた出来事は、3次元にいる私たちは原則として知ることができない。だから、3次元視点では不確定の出来事と言える。しかし、4次元の守護霊視点から見れば、確定した出来事と言っても良い。

※ 厳密に言えば、ほぼ100%確定しているが、過去にはヘマをして運命の出来事を起こせなかった守護霊もいるそうである。結婚のような最大級の出来事は、さすがに守護天使が救済に入る。

また、3次元にいる私たちは原則として運命や未来のことを上の存在に教えてもらうことはできないが(これもわずかに例外はある)、高次元存在の場合には未来の出来事を上の存在に教えてもらえる場合もあるそうである。

次元が上がれば上がるほど、波動レベルが上がれば上がるほど、上の存在に教えてもらえる範囲が大きくなる。

だから、高次元存在にとっては、未来は全て不確定ということにはならない。

なお、高次元存在の場合には地球人のような「運命」というものは存在しない。生まれてくる前に決めてきた出来事というのは原則としてないそうである。

さきほど、サッカーの試合の結果は原則として不確定と言ったのであるが、あくまでも「原則として」なのである。

なぜかと言うと、地球人の場合には人生の中の大きな出来事は運命として決まっているから。

例えば、ワールドカップ優勝というのは人生の中の大きな出来事であり、それが叶う人というのは運命で定められているはずである。

ということは、「サッカーの試合の結果は原則として不確定」とは言うものの、このことから必然的に導かれる結論があるわけである。これ以上は言えないので、察していただきたい。

最後に、物理学で言う「不確定性原理」とは少し違うかもしれないが、私がこれまでの人生において出来事を観察する中で、「不確定性原理」と呼んでいた現象があるので紹介したい。

事例1)

今ちょうどサッカーのワールドカップが行われているが、今回に限らずワールドカップというのは時差の関係で真夜中や早朝に試合が行われている場合も多い。TVで試合を見たいのだけど、ずっと起きているわけにもいかない。

早めにベッドに入り、起きられたら起きようなどと思いながら就寝。案の定、起きられず(笑)、時計を見ると予定の試合は終わってしまっている。

試合が終わっている時刻なのであるが、まだベッドの上だから、TVもネットも見ていない。何の情報も入って来ていない。

この時、この試合の結果は確定していると言えるのだろうか。

事例2)

モノを失くした。鍵でも本でもなんでもよい。どこで失くしたのか全く覚えていないし、手掛かりもない。

こんな場合でも、可能性がありそうな場所を考える。A地点(たとえば鞄の中)にあるかもしれない。あるいはB地点(たとえば本棚)かもしれない。ただし、全く記憶にないので、それがA地点にあるのか、B地点にあるのか、それ以外の場所にあるのかはわからない。

この時、失くしたモノがある地点は確定しているのだろうか。


これは覚醒する遙か以前に人生の中で私が考えてみた問題。

結論は、どちらの場合においても「確定していない」。これを私は自分の中で「不確定性原理」と呼んでいた。

つまり、事象は自分が知覚した時に初めて確定する。サッカーの試合の結果は、生観戦でもTVでもネットでも良いが、それを知った時に確定する。ただし、その人の小宇宙(パラレルワールド)においては、という注釈が付くが。

紛失物のケースにおいても、神ならなんでもできるだろう。A地点で発見されれば、「あっ、そうだA地点に置き忘れたんだ」と思うだろうし、B地点で発見されれば、「あっ、そうだB地点に置き忘れたんだ」と思うだろう。神なら、そのように思わせることなど、たやすいことである。

だから、3次元の個人としての視点から見れば、紛失した場所は「不確定」。

ただし、どちらの事例の場合でも、もちろん創造主視点からは確定しているし、事例2の場合で言えば、4次元の守護霊視点でも確定していると言えるのである。

未来が確定しているか、未確定であるかは、視点の次元によって異なるものであり、宇宙の創造主の究極視点からは全てが確定していると言えるのである。

 

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