「ハートの声を聴く」
スピリチュアルの世界で非常によく聞く言葉である。しかし、覚醒以前にはこの言葉の意味があまりよくわかっていなかった。
なんとなく、本当の自分の声、魂の声のような意味であることは理解できる。本当の自分がどうしたいのかが重要であることもわかる。でも、「本当の自分は何がしたいんだろう」などとマインドが思考してしまったとしたら、その答えはハートの声によるものではないのである。
「ハートの声」はよく聞く言葉なのに、明快な解説を見たことがないように思う。
では、ここで私が「ハートの声」を定義づけしておこう。
「ハートの声」とは、エゴ・マインドが不在の時に聞こえる声である。もちろん、「聞こえる」は比喩。音として聞こえるということでなく、全体意識からやってくるインスピレーションや思考・感情のこと。エゴ・マインド以外のものからのメッセージのことである。
「ハートの声を聴く」とは、小さな個としての存在であるエゴ(個人意識)による精神活動・思考が導き出した考え・結論に従うのではなく、エゴ・マインドの不在時、つまり瞑想状態において全体意識からやってきた声に従うということ。
ハートの声というのは誰の声なのかと言えば、全体意識の声と言ってもよいし、自分よりも「上の存在の声」と言ってもよい。個別に言えば、ハイヤーセルフの声、守護天使の声、守護霊様たちの声など。エゴ以外のところからやってきた声をひっくるめて「ハートの声」としてよい。
全体意識からの声ということであるから、覚者以外にとってはハートの声は聞こえないではないかと思うだろう。
しかし、ハートの声を聴くために誰にでも利用可能な手掛かりというものがある。それが、「感情」である。
エゴによる精神活動が勝手に作り出した思考とは違い、感情は基本的に「正直」である。自分の感情を無視せずに、正面から直視することにより、ハートの声の手掛かりが得られるのである。
だから、常にハートの声を聴くということは、自分に正直であり、自分に嘘を付くことがなく、自分の感情に素直になるということが基盤としてある。また、自分の感情を常に観察するということも重要である。
覚者というのは、一般の人と比較すると、遥かにハートの声をよく聴いている。逆にエゴによる思考が出した結論に従うことは、ほとんどないのである。
従って、ある意味では「嫌なものは嫌」なのであり、はっきりと「No」を言う傾向にある。
たとえ、それによって人間関係が壊れたとしても、自分に嘘を付くことはできないのである。波動が合わない人たちとの人間関係を続けるくらいなら、孤高を保っている方が遥かに良いと知っているのである。
ネガティブな感情、不快な感情はハートの声からの注意のサインである。あまりにもネガティブな感情が続くような場からは離れた方が良い。そうでないと、ネガティブな感情を溜め込んで、溜め込んで、溜め込んで、最後に爆発することになる。
その前に、注意のサインを受け取った時点で、何らかの対応をするのが良いのである。例えば、不快なことを言い続ける人がいたとしたら、相手にはっきり伝える。やめなかったら、文句を言う。
それでもダメなら、その人と会うことをやめるしかない。それが波動の法則。相手の波動を変えることも、封じ込めることも、反射することもできないから、合わない波動からは離れるしかない。
相手がママ友グループのボスであれ、会社の先輩や上司であれ、言うべきことは言うしかないし、それでダメならそのグループや組織を抜けるなり、職場を離れるなりしないといけないのである。
これ、覚者にとっては、当たり前の対応なので覚えておいて欲しい。人間関係に波風を立てないことが「善」なのではない。言いたくないことを言わなければならない時もある。その勇気を試される時もある。しかし、それでも「ハートの声を聴き、それに従う」のである。それが、その時に神様から試されているテストに合格する方法である。
ちょっとネガティブな話になってしまったが、逆にポジティブな感情というものにも素直になる必要がある。それもハートの声。
「嬉しい」「楽しい」の感情に素直になれるかどうか。そして、敏感になれるかどうか。バシャールの言葉で言えば、「ワクワク」を大事にできるかどうか。
人生を良い方向に持って行くには、これらのポジティブな感情をハートの声の手掛かりとして捉えることも重要である。
「本当の自分は何をしたいんだろうか」ということについては、マインドによる思考によって判断することではなく、感情を手掛かりとするなど、ハートの声を聴くことによって判断することなのである。
さて、実践編として、いくつか練習問題をやってみよう。究極視点から見れば宇宙に正解も不正解もないかもしれないが、一応、宇宙に正解があるとすれば、どういう答えになるのかを考えてみていただきたい。
■問題1
目の前に困っている人がいます。あなたには、助けようと思えば助けられる能力があります。この人を助けますか。場合によりますか。判断基準は何でしょうか。例えば、あなたが電車で座席(優先席ではない一般席)に座っていて座席は全て埋まっています。この時にお年寄りが乗って来たら座席を譲りますか。必ず譲りますか。判断基準は何でしょうか。目の前の人を助けないのは「悪」なのでしょうか。
■問題2
寄付について、どう思いますか。東日本大震災のような大災害が起こった際、あなたなら寄付しますか。寄付するなら、いくら寄付しますか。収入や資産に対して寄付額の基準はありますか。また、難病の子供を助けるための寄付はどうですか。アフリカ等の貧困地域への寄付はどうですか。動物を助けるための寄付や、貧困地域に学校を造るための寄付はどうですか。
■問題3
ボランティア活動について、どう思いますか。人を助けるため、動物を助けるため、地球環境を守るためなどのボランティア活動です。ボランティア活動をしている人たちは一般的に善人なのでしょうか。こういうことに興味がない人たちは、あまり良い人たちではないのでしょうか。判断基準は何でしょうか。
では、答えを見る前に考えてみてください。
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いずれも普通の人にとっては難しい問題ばかりである。大難問なのである。人生を生きるための指針とは、なんと難しいものなのだろうか。
「自分流の哲学」や「ぶれない自分軸」とかいうものをつくり上げないといけないのだろうか。そうすれば、全ての問題に対応できるのであろうか。
しかし、こういう言葉もある。
「まず、神の王国を求めよ。神の王国に入れば、あとのことは自然とついてくる。」
「神の王国」とはどういう意味かというと、「覚醒すれば」という意味になる。人生にはたくさんの問題があり、1つ1つ対応していてはキリがないし、そもそも対応方法もわからない。しかし、覚醒すれば、そういう問題もなくなるという意味になる。
つまり、覚者にとっては、問題自体が存在しない(やや言い過ぎであり、そんな簡単なものではないが、ある程度の範囲内では)と言っているに等しいのである。
さて、覚者はどのようにするのだろうか。では、回答。
3つの問題、いずれも同じ答えである。「ハートの声を聴く。ハートの声に従う」が覚者的な答えということになる。なんと、1つの指針で全ての問題に対応するのである。
だから、人によっても状況によっても、その時にとる行動は異なってくる。ただし、判断基準として、「ハートの声を聴く」ということが共通しているのである。
「困っている人を助ける」「世の中のために寄付をする」「世の中のためにボランティア活動をする」。いずれも、世間一般では「善」と考えられているが、そうでもない。
女神様たちによれば、一般的に言えば、これらの行動も実はあまり良くないことが多い。これらの行動全てを否定するわけではないのであるが、世間的に行われているこれらの行動のうちのほとんどが、あまり良くない行動であると女神様たちは言っている。
唯一、これらの行動が「善」となるのは、それが「ハートの声」と一致している時に限られる。ハートの声を聴いたうえで、本当にこれらの行動をとりたいと心の底から思った時に、これらの行動をとるのは「善」なのである。
逆に、ハートの声と一致しないにもかかわらず、世間的に善とされる行動をとることを「偽善」と言う。本当の自分がその行動をとりたいと思ったわけではないのに、社会的な観念、自分の内面にある「社会的にこういった行動は善とされる、称賛されるべき行動である」という観念のみに従ってとった行動にすぎないのである。
「やらない善より、やる偽善」という、もっともらしい言葉も世の中には存在しているが、覚者から見ればおかしな話である。
「偽善」によって誰かを助けることは、その人のためにならない。その人のためにならないような場面では、ハートの声が「その人を助けよ」と言わないのである。言わないようになっているのである。
ハートの声は間違えない。本当の善と偽善を間違えたりしないのである。助けないほうが良い場合においては、ハートの声が叫ばないのである。
女神様たちによれば、世の中的に善とされていることの9割方は偽善であるという。
しかし、ハートの声が「助けなさい」と叫んだ時、それはその声に従って行動するのである。
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