上賀茂神社の早朝参拝を終え、京都駅を8:36発の特急「きのさき」に無事に乗ることができた。

 

元々、この神社巡り旅行の最初の目的は兵庫県にある行くのが少し難しい3つの一宮、つまり、粟鹿神社(あわがじんじゃ/朝来市)・出石神社(いずしじんじゃ/豊岡市)・伊和神社(いわじんじゃ/宍粟市)の参拝であった。

 

まずは粟鹿神社に向かう。

 

私は一宮の巡拝も意識してはいるものの、30社近く未参拝の一宮を残している。そして、そうこうするうちに、アセンションの影響で、こういったことに対しての執着がほぼゼロになってしまったのである。何が何でも一宮の巡拝を完了させようとかいう執着も意欲も無くなってしまったのであるが、うちの女神様たちに「もう一宮の巡拝、できなくてもいいよね」と質問したところ、「やれ」と言うのである。

 

今回の人生では、どうもそういうお役目があるらしい。

 

粟鹿神社と出石神社は兵庫県といってもかなり北の方にあり、丹波とか丹後とかの近くである。どちらも但馬国一宮である。

 

福知山で普通列車に乗り換え、梁瀬(やなせ)駅で下車。粟鹿神社は、ここからなんと徒歩50分。駅にはバス乗り場もタクシー乗り場もない。ちなみにタクシーに乗りたい場合は、1つ先の特急停車駅である和田山で降りれば乗れると思うが、距離が余計に遠くなる。

 

粟鹿神社とは反対方面になるが、梁瀬駅から徒歩4分の場所に延喜式内社の石部神社(いしべじんじゃ)がある。さすがに式内社は無視できないので、先にこちらに寄る。

 

 

こんなところ。中央に小さく鳥居が見える。その周辺一帯が社叢となっている。

 

 

 

山の中の静寂な神社。素晴らしい神社というわけではないが、雰囲気はあり、まずまずの神社。

 

あらためて、粟鹿神社に向かう。これが想像以上に大変だった。この日は京都から豊岡への移動日だったので、荷物を持ったまま50分以上も歩いた。

 

 

最短距離で行きたかったために粟鹿川沿いを歩いたのだが、途中で舗装もされていないぬかるんだ道、道なき道のような感じになってきて、どうなることかと思った。もし、そのままその道を進めないような状況になったら、戻って別ルートを行かなければならない。ものすごい時間のロスとなる。

 

なんとか突破したが、予定よりも少し遅れての到着となった。

 

 

 

境内入口となる鳥居と社号標。

 

当社は但馬国一宮とはいえ、近代社格は県社である。もう1社の但馬国一宮である出石神社が国幣中社であることを考えると、出石神社の方が一宮の本命なのだろう。訪れる人も少ない、かなりの田舎にあり、この時点ではほとんど期待はしていなかった。

 

 

鳥居をくぐる。すると、なかなかの参道の雰囲気である。

 

相変わらず画像では伝わりにくいのであるが、この時点で5点満点の評価で4.0+を付けてもいいかなと思った。4.0が一宮の平均。その上をいく良さ、雰囲気があったのである。案に相違して、良い神社だと思った。

 

 

勅使門(ちょくしもん)。

 

勅使というのは天皇の使者。その勅使が神社に参向する際に出入りするための門である。当社の記録では、4回の勅使参向があったことが判っているそうである。

 

歴史を感じさせる門であり、さらに印象アップ。

 

 

こちらは一般参拝者用の随神門。もちろん、ここから中に入る。

 

 

 

 

 

随身門から中に入る。画像では本当に、本当に、何も伝わらなくて申し訳ないのであるが、あまりの場の気の素晴らしさに息を呑む。予想外の出来事に驚くとともに、一瞬で魅了される。

 

もう、この時点で5点満点の評価は満点の5.0を付けることが確定したと言ってよかった。

 

動画で360度撮影すれば、多少は伝わるのかもしれないが、静止画だけ見ても何のことだか判らないだろう。

 

まず1つには閉ざされた空間が作り出す神聖な場の気というものがある。たまに神社で円形や長方形の空間があり、その空間のまわりを高い樹木で囲んでいるような場所を見掛ける。この空間は例外なく、パワースポットなのである。良い気を生み出すのである。

 

話が抽象的なので、過去に参拝した神社から例を挙げておきたい。

 

 

千葉県いすみ市にある玉崎神社。上総国一宮としての同名社があるが、当社は一宮ではない。その境内にある円形の閉鎖空間型パワースポット。

 

 

 

埼玉県入間郡にある越生神社(おごせじんじゃ)境内の子の権現(ねのごんげん)。こちらも円形閉鎖空間型パワースポット。

 

 

埼玉県さいたま市にある西堀氷川神社の境内社群。こちらは長方形閉鎖空間型パワースポット。

 

話を元に戻すと、粟鹿神社では随神門の中の空間全体がそのような閉鎖空間になっているのである。形は長方形が近いのかもしれない。ただ、随神門の中の空間全体だから、規模が大きすぎて写真にうまく収まらないのである。全体の雰囲気が伝わるように1枚の写真に収めることができないのが非常に残念である。

 

まあ、一般論として、神社にどうして社叢というものがあるのかと言えば、この閉鎖空間を作るためとも言えるのであるが、当然ながら当社ではそのような一般論を超えた閉鎖空間感があるから、わざわざこうして言及しているのである。もう、言葉と静止画の限界である。

 

そして、ここでの場の気というのは、独特であり、あまり類を見ないような種類の場の気である。私が個人的に「穏やかで不思議な、夢のような空間」と呼んでいるもの。

 

神社の良い場の気を生み出す最大の要素は、多くの場合、社叢である。そして、樹木の気というのは、厳しい感じの場の気や、深遠な感じの場の気をつくり出すことが多い。

 

ここでは、それではないのである。また、山の中にあっても水の神様を祀り、水を感じさせる貴船神社や丹生川上神社のような、「軽やかで爽やかで凛とした感じ」とも違うのである。

 

 

 

拝殿。入母屋造(いりもやづくり)。

 

歴史を感じさせる古社風のつくり。

 

 

本殿。神明造。

 

御祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)。山幸彦である。天孫ニニギの子であり、ウガヤフキアエズの父。

 

当社に関して残念なのが、非常に情報が少ないこと。たぶん、境内に由緒書はなかったと思う。本項執筆時点で公式サイトもないし、ウィキペディアの情報量も少ない。

 

当社の良さ、素晴らしさというのも、あまり世間に知られていないように思う。私が参拝中の30~40分間に見掛けた参拝者は4人だったと思う。

 

ネット上で一番かもしれない老舗の有名な神社巡りサイトに書かれていた興味深い話。さきほどの勅使門は神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅から凱旋して当社に参拝したことに因むものだそうである。神功皇后とは14代仲哀天皇の后であり、私の守護霊であるミズハノメである。

 

ミズハノメとは水の神様であるが、豊玉姫とも同一神であり、つまり当社の御祭神である山幸彦の妻である。神功皇后は強い霊的能力を持っていたと思われ、自分が誰であるかを知っていたのであろう。

 

境内社もいくつかあるが、省略する。

 

帰りは1日3本しかないバスに乗る。全但バス柴線というもの。これは注意が必要で、一見梁瀬駅とは反対方向に行くように見えるバスが梁瀬駅方向へのバスである。バス停の標識(ポール)がある側で待つのが正解だが、心配なら両方向を見るようにした方が良い。

 

しかも、このバスは梁瀬駅は通らない。梁瀬郵便局というバス停で降り、あとは歩くしかないのである。旅行者向けのバスではないとはいえ、どこまでも、どこまでも不便である。

 

次は出石(いずし)を目指す。JR山陰本線の江原駅または豊岡駅から出石行バスが出ている。

 

出石には結構良い神社があり、バスの終点である出石で降りると徒歩圏内に少なくとも3つの参拝に値する神社がある。

 

出石城跡にある有子山稲荷神社(ありこやまいなりじんじゃ)。新緑に千本鳥居の朱が美しく、また高台にあるので眺望が素晴らしい。

 

 

 

 

次に県社である諸杉神社(もろすぎじんじゃ)。

 

 

最後に延喜式内の石部神社(いそべじんじゃ)。こちらは「いそべ」と読む。

 

 

これら3社の参拝を終え、最後にもう1つの一宮である出石神社(いずしじんじゃ)を目指す。豊岡行のバスに乗り、鳥居バス停下車徒歩12分ほど。

 

 

境内入口の鳥居と社号標。

 

粟鹿神社の近代社格「県社」よりも格上の「国幣中社」の文字が誇らしげに刻まれているが、それにしては、参道はやや寂しげな感がある。

 

 

参道途中から、やや立派な整備された参道に変わる。参道脇の樹木と相俟って、まずまずの雰囲気か。

 

ただ、夕方16時台の参拝だったせいか、参拝者は皆無。「誰もいない一宮」というやつである。私の神社参拝歴の中では何回目だろうか。もう6回目か7回目か。当然ながら慣れっこであり、むしろ、望ましい。

 

 

神門。

 

出石神社には公式サイトが無いようなので確認できないが、一見随神門のように見えるこの門は両脇に神様が祀られていないようである。このような場合には単に「神門」と呼ばれる。

 

 

 

拝殿。

 

粟鹿神社のように、門をくぐった瞬間に場の気に魅了されるといったことはなかったが、清浄で強い場の気が伝わってくる。正統派の一宮らしい感じである。

 

 

 

当社で最も気に入った場所が、社殿右手の社叢である。そして、この一角だけ、粟鹿神社の随神門の中の閉鎖空間と似ているのである。またしても、非常に珍しいタイプである「穏やかで不思議な、夢のような空間」。

 

拝殿正面に立った感じだと、正統派の普通の一宮という感じなのだが、この社殿右手の空間は不思議な場の気なのである。

 

 

この不思議空間の中にある境内社。

 

 

本殿。流造(ながれづくり)。

 

御祭神は伊豆志八前大神(いづしやまえのおおかみ)、天日槍命(あめのひぼこのみこと)。

 

どちらもなじみのない神様であるが、女神様たちによると、天日槍命とは日本神話に出てくるアメノワカヒコと同一神のようである。葦原の中つ国を平定するためにアマテラスが送った使者である天穂日命(アメノホヒ)が3年経っても戻ってこないので、次に送り込まれたのがアメノワカヒコ。しかし、やはり地上の国津神に取り込まれてしまい、高天原からタカミムスビが放った矢に刺さって死んでしまう。

 

その後、タケミカヅチとフツヌシが派遣されて、国譲りの話になるのである。

 

天日槍はそれよりもずっと後の時代に古事記等に出てくるらしいが、アメノワカヒコと同一の存在ということである。そして、伊豆志八前大神はアメノワカヒコを取り込んだ地上の国津神である大国主と同一神のようである。こちらも、後に天日槍と同時代に再度地上に降臨した神ということらしい。

 

 

市杵島比売神社。

 

宗像三女神ではなく、市杵島姫のみが祀られている。つまり、さくや姫である。このでしゃばり姫は本当にどこでも見かける。

 

 

菅原神社(天神社)。もちろん、御祭神は学問の神様である。

 

当社は境内社が一宮としては少なく、4社だけのようである。

 

 

最後にもう一度横からの拝殿と、その奥に不思議空間の社叢。

 

但馬国一宮の対決は、個人的には粟鹿神社が素晴らしすぎて勝ちなのであるが、出石神社も一宮として平均以上の良い神社ではあると思う。

 

今回紹介した神社の基本情報は以下を参照していただきたい。

 

現代神名帳 粟鹿神社

現代神名帳 出石神社

 

現代神名帳 石部神社(朝来)

 

現代神名帳 有子山稲荷神社

現代神名帳 諸杉神社

現代神名帳 石部神社(出石)

 

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過去記事はこちらからどうぞ。

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