覚者というのは一般の人との比較で言えば、ある程度常に瞑想状態に近い状態で生きていると言える。アセンションを果たした人というのは、さらに瞑想状態に近い状態で生きている。

 

意識レベルが上がり、次元が上がるほど、存在のあり方が自然と瞑想状態に近くなっていくのである。

 

ここで「瞑想状態とは何か」と言えば、エゴ(個人意識)・マインド不在(に近い)の状態を指す。個人意識としての精神活動がほぼ静止した状態ということである。

 

ただ、どんな存在であっても、100%の完全な瞑想状態というのは実現できない。どんなに次元が上がっても、11次元まで行っても全体意識100%とはならないからである。個としての存在である以上、エゴ(個人意識)というのは必ず残る。

 

なお、厳密に言えば、というか究極視点から言えば、全ては全体意識そのものである。だから、ここでエゴ、個人意識と言っているものは、全体意識がその部分集合に聖なる催眠をかけて、自分は個人意識だと思い込ませたものである。見掛け上の個人意識をここでは単に個人意識と呼んでいる。

 

うちの女神様たちによれば、全体意識と個人意識の割合というのは、きちんと数値で表せるそうである。これは次元ごとに異なるのはもちろんのこと、意識レベル(波動レベル)によっても違いがある。

 

そこまでの細かなことは置いておいたとして、次元ごとの全体意識のおおまかな割合を質問してみたところ、以下のようになった。

 

(次元ごとの全体意識の割合の目安)

3次元: 50%

4次元: 80%

5次元: 90%

6次元: 95%

9次元: 99%

 

3次元の地球上の出来事を観察していると、エゴばかりが目立つように感じられるので、個人的には3次元で全体意識が50%もあることに驚いた。3次元では全体意識20%/個人意識80%くらいかと思っていたので、逆に言えば朗報でもある。

 

瞑想等によって、全体意識優勢の状態をつくることが可能と思われるからである。仮に3次元で全体意識20%だとしたら、何をどんなに頑張っても全体意識を感じることができないかもしれないから、宇宙の創造主は3次元世界で50%/50%にしたのかもしれない。

 

もちろん、ほとんどの地球人は人生のストーリーに没頭しすぎているため、個人意識優勢の状態で人生を生きている。ただし、普段は個人意識の陰に隠されてしまっている全体意識も実は50%もあるので、本人の現在の意識レベルの問題はあるにせよ、意識的に全体意識で生きること、エゴ・マインドを鎮めて生きていくことを考えれば、そちらの方向に動き出すことは可能だということである。

 

そして、アセンションを果たすためには、瞑想(マインドを鎮める)が必須である。アシュタールは瞑想なしにアセンションすることはできないと言っている。

 

アセンションのプロセスというのは、浄化のプロセスでもあり、意識レベル・波動レベルを上げるプロセスでもあり、そして、全体意識の割合を増やしていくプロセスでもあるのである。だから、エゴ・マインドの働きを意識的に抑制するようなことも必要となってくるのである。

 

そして、その究極の奥義が「24時間瞑想状態で生きる」こと。エゴ・マインドが働かない状態が、むしろ通常状態であるようにしていくことである。

 

葦原瑞穂著「黎明」にも24時間普遍意識に焦点を合わせるという話が出てくる。これを読んだ時、そんなことが可能なのかと驚いたものだったが、今となっては、この話は理解できるのである。

 

そして、まだ覚醒する前、知らず知らずのうちにそれに近い訓練を行っていた。目の前の光景を、言葉や思考を差し挟まずに、ただ観るという訓練、そして、それを1日中繰り返すという訓練である。

 

これについては、以下の過去記事を参照していただきたい。

 

マインドを鎮める

 

通常の瞑想法の場合、1日中それをずっとやるということは、ほぼ不可能である。しかし、この私のオリジナル瞑想法は、ほとんど1日中実施することが可能という点がメリットとしてある。1日中やっていれば、進歩も早いのである。

 

ただ、覚醒への道、アセンションへの道において、こういったものを「訓練」「霊的修行」と捉えてしまいがちである。ある程度はやむを得ないのであるが、最終的には訓練や修行ではなく、「ただやる」ようになる。敢えて理由づけすれば、その方が気持ちがよいから、その方が自然だから、ただ単にそうしたくなって、そうするのである。マインドを使う方が面倒であり、疲れるのである。

 

アセンションを果たした今の私は、特に何も意識しないでも充分に瞑想状態に近いと女神様たちは言っているが、24時間瞑想状態というのを少し意識すると、また違うのである。波動レベルは頭打ちになってしまったのだが、まだ進歩の余地は残されているわけである。

 

意識して24時間瞑想状態で生きるというのは、必要もないのにエゴの精神活動が始まったのを認識した時、多くの場合は頭の中で必要のない思考や連想ゲームが始まったのを知覚した時、ただちにそれを切り捨てて、空白の状態、静寂の状態に戻すということである。

 

こうやって常に内面を静寂に保つことで、目の前の光景や人生ストーリーに没頭しすぎることがなく、一歩引いた状態で、俯瞰で、ソフトフォーカスで見ることができるようになるのである。

 

意識レベルを上げ、全体意識の割合を増やしていくプロセスにおいて、大きなブレイクスルーを必要とする主要な壁が2箇所ある。

 

1つは意識レベル700の壁。これを突破することを「覚醒」と呼ぶ。もう1つは意識レベル1000の壁。これを突破することを「アセンション」と呼ぶ。

 

※ 物理世界(唯物論的世界観)から精神世界に突入する意識レベル500の壁(これは大きな壁)や、意識レベル540、600などにも小さな壁はある。ここでは当ブログの対象読者にとっての大きな壁のこと。

 

スターシードだったり、6次元以上の世界から地球に来ている人というのは、ほとんどの場合、ある程度意識レベルが高いところから人生が始まっているし、特殊な霊的能力を持っている場合も多いので、最近では特に何もしなくても自然と覚醒してしまったとかいうこともあるのだけれども、次の壁である「アセンション」はそうは問屋が卸さないのである。

 

過去記事にも書いているけれども、スピリチュアルなおもちゃで遊んでいるだけだと、アセンションできない。スピリチュアルなおもちゃで遊ぶことは何も悪くないのだが、それしかしないと、アセンションできないというだけ。

 

つまり、瞑想のような本質的なこと、本筋のことに焦点を当てる、あるいは、スピリチュアルや悟り・非二元に対して真摯に取り組むようにならないとアセンションしないということである。趣味のスピリチュアル100%ではアセンションできないのである。

 

まあ、意識レベル700の壁を突破した人は100%アセンションする(※)ように宇宙ができているらしいので、そういう人は今本人がどう思っていようが、そのうち、そういった道に連れて行かれることにはなる。守護霊様が嫌でもそっちの方向に引っ張っていく。

 

※ あと1回転生してからアセンションという可能性はある。ただし、この人生で覚醒した人は、この人生または次の人生で確実にアセンションするそうである。この時代の覚者はアセンションまでにあと2回の転生を必要としない。

 

ただ、嫌々連れて行かれるような状況だと苦しみも大きくなりそうだから、本人の意思と決断で、そちらに舵を切った方が良いのではないだろうかというお話である。

 

私は覚醒した後、たったの11日でアセンションしている。これは非常に特殊で稀な事例だから、そんなことは期待しないでいただきたいのだが、その私が覚醒直前の1~2年間、毎日やっていたのが前述のオリジナル瞑想法である。目の前の光景を言葉や思考を差し挟まずに、ただ観る。そして、それをほとんど1日中やる。

 

これの威力をご理解いただいたいのである。

 

そして、アセンションは果たしたけれども、今また24時間瞑想状態というのを意識してみようとしている。霊的修行というのではなく、ただ単にやりたいからやるというものだけど。

 

高次元には、目標、努力、チャレンジ、修行のようなものはない。これらは極めて3次元的な考え方なのである。私が高次元に戻った時、もうこれらのこととは無縁になるだろう。

 

だけれども、それらが悪いのではない。3次元の世界には3次元の世界でやるべきことがある。私は現在でも、もう努力やチャレンジというものとはほぼ無縁の世界にいるが、この人生の中で過去に行ってきた努力やチャレンジを非常に懐かしく、愛おしく感じられる。記憶や思い出としては素晴らしいものであり、それらが無駄だったなどということは決してない。

 

そして、この次元における最後のチャレンジらしきもの、まあ、そういう意識はゼロに近いけど他人が見たらそう思うかもしれないことは、この「24時間瞑想状態で生きる」なのである。

 

アセンションを目指している覚者の方はもちろん、覚醒を目指している段階の方でも、前述の私のオリジナル瞑想法を参考にしていただければ、それに近いことはできるのである。是非、参考にしていただきたい。