神社関連の記事が続いているが、新年なのでやはり神社参拝についての記事を書いてみたいと思う。
こういう記事や書籍は当然あるのだが、この記事のオリジナリティーとしては、以下の内容全て神様に確認済みであること、しかも、どの神様に確認したかが明確であることである(過去記事「私の守護霊様チーム」および「私の守護霊様チーム(2)」を参照)。
ここ数年間、ゴールデンウィーク、お盆休み、年末年始の3大連休期間はほとんど常に神社参拝旅行に行っていたのだが、数年ぶりに自宅で年末年始を過ごした。
そこで、12月31日に大祓(おおはらえ)、本日1月3日に初詣ということで近所の神明社に参拝してきた。守護霊様チームのシリウスの女神様たちにこれらの意義について訊いてみたところ、意外なことに大祓の方が重要なのだそうである。
そういうことで、大祓には行くように言われたのだが、「初詣はべつに行かなくても良い、ただし暇だろうから気が向いたら行けば」ということだった。
年末年始休暇に神社参拝旅行に行く場合、当然のことだが、12月31日に参拝する神社もあれば、1月1日に参拝する神社もある。だから、12月31日に有名神社を訪れたことは数多くある。共通する印象としては、人が少なくて参拝には狙い目の時期、ただし、初詣の準備をしているから撮影には不向きという感じだろうか。
一方で、私は個人的に参拝旅行での初詣は基本的にはあまり好きではない。1年のうち長期の連休が取れるのが3回しかなかったために、必然的に3回に1回は年末年始になるというだけであり、本来は人が少ない通常期にゆっくり参拝したいのだ。人が多すぎると場の気を感じるという面からもマイナスである。
割り切って有名神社での初詣の参拝体験を楽しむか、あるいは超有名神社は避けて、参拝者が少ないが神社趣味人には名前が通っている通好みの渋い神社に参拝するかという感じになる。
さて、どうして大祓の方が重要で、初詣はそこまでではないのだろうか。
答えは、よく言われることだが「基本的に神社は感謝を捧げる場であるから」ということになる。
大祓は年末にその1年の罪・穢れを祓うのであるが、同時にその1年無事に過ごせたこと等を感謝するわけである。それに対して初詣は年初の参拝であるから、どうしても「今年は〇〇になりますように」となりがちである。まあ、前年のことを感謝するのであれば初詣でも良いとは思うのであるが。
神社でお願いごとをしても、基本的に神様は無視する。本当に何もしてくれない。神様によっては、たいして人の話を聞いていない(笑、どこの神社とは言えないが)。神社でお願いできるギリギリのラインが「祓い給え、清め給え、守り給え、幸(さきわ)い給え」ということになる。
なお、神様は全国の受け持ちの神社全てにおいて、同時に参拝者に対応する能力を持っている。例えば、八幡神社の御祭神は応神天皇であるが、全国の八幡神社の参拝者の祈念を同時に全て聞いている。
ただ、能力としては全て同時に対応できるのであるが、神様によって、きちんと全て聞いている場合もあるし、たいして話を聞いていない(笑)いない場合もある。その神様によるわけである。
さて、今回はせっかくであるので、神社参拝の作法・マナー、その他について、いくつかのトピックごとに書いてみたいと思う。
■参道の中央を避けるのか
「参道の中央は神様の通り道だから、参拝者は通ってはならない」という作法が存在する。これは正しいのだろうか。
私は昔からこれはおかしいと思っていた。1つ目の根拠は「神様は時空間を超えるから参道など通らない。時空間を超えられない存在は神様ではない」というもの。2つ目の根拠は「神様が参道中央を自分専用の通路になどするわけがない。神様とはそのような小さき存在ではない。こんなのは俗物の権力者の発想」というもの。
そして、神様に対する恐れから人間が勝手に生み出したルールだろうなと思っていた。
これらは誰に教わったわけでもなく、神社参拝の体験を重ねるうちに、自分の中で結論付けていったもの。
そして、ある時この問題に決着をつけることができた。自分の守護霊様たちがシリウスの女神様たちであり、神社の神様であることを知ったからである。私はペンデュラムを通じて女神様たちとコミュニケーションを取ることができる。
女神様たちの答えは「参道の中央を通っても何の問題もない。理由も考えていた通りで合っている」。
実は答えを聞くまでは、神様の通り道とは別の理由で正中線を通らないほうが良いという可能性はあるかもしれないと思っていた。だが、それもないそうである。
まあ、実際には空気を読んで参道を通る際に少し左に寄ることが多い(神社は原則として左側通行)が、写真撮影の際には中央から撮影するし、それで問題はない。
■手水舎
手水舎の読みは「ちょうずや」「てみずしゃ」など。「ちょうず」「てみず」×「や」「しゃ」の4通りのどれでも良いらしい。
ここでの確認は、「手や口を清めた方が良いのか」。女神様たちの答えはYes。ただし、これをやらなかったとしてもバチが当たるとかいうことはない。
もし、これでバチが当たるのであれば、手水舎の水を枯らしている神社の宮司は大罪ということになる。しかし、現実には手水舎の水が枯れている神社などは全く珍しくないので、手や口を清められなくても仕方がない。また、手水舎に気付かずに拝殿まで来てしまう場合も結構ある。その場合も仕方がない。
■拝殿での参拝・祈念
既に述べたように、基本的には感謝を捧げる。そして、「祓い給え、清め給え、守り給え、幸(さきわ)い給え」がお願いできるギリギリのラインである。
私の参拝時の祈念の内容は、数年前と今では変化しているし、今後も変化すると思う。どのように祈念するのが最善かというのはないし、内容を全て再現してもあまり意味はないと思う。
ただ、参考までに現在の参拝における祈念のおおまかな内容を書いておく。
・世間には最初に住所・氏名を伝えるべきという参拝作法があるが、私はこれをしない(神様はどこの誰が参拝しにきたかを知っている。なぜなら、参拝者の守護霊様からその神社の御祭神の神様に連絡がいくし、そうでなくとも見ればわかるから)
・本日の出会いとご縁に感謝
・「私は常に神とともにあり神と一体です」「私の小宇宙は常に愛と光そのものです」、そして、これらのことへの感謝
・本日まで無事に生きてきたこと、日本という恵まれた国で恵まれた生活ができてきたことへの感謝
・「祓い給え、清め給え、守り給え、幸(さきわ)い給え」
・守護への感謝、助けていただいていることへの感謝、良い気を送っていただいていることへの感謝
・本日の参拝機会と対応していただいたことへの感謝
■混雑している場合
今現在、一番世間に広まってほしい神社参拝マナーは「拝殿前では横に広がって他の参拝者と同時に参拝すること。拝殿の独占行為をしないこと。必要がないのに拝殿前に列をつくらないこと」である。
拝殿前にいったん列ができると、皆が並ばなければならないと感じて、どんどん列に並ぶ人が増えてしまう。参拝者が多い有名神社でこれをやられると、日中から夕方まで列が長くなり続けてしまう可能性がある。
拝殿の中央で参拝することに特に意味はない。どこで参拝しようが神様は見ている。1組の参拝者だけで拝殿を独占して参拝することにも意味はない。むしろ、状況を判断して、ほかの参拝者の迷惑にならない参拝が求められている。参拝者が多い神社での「拝殿中央独占行為」は単なるワガママであり、マナー違反である。
もし、本当は拝殿前で横に広がって参拝できるスペースがあるのに、横2人くらいずつで縦に長く列を作っているのを見たらどうするか。
この場合は、勇気を出して拝殿に進み、賽銭箱の横からお賽銭を入れた後(これすらできない状況ならお賽銭は入れない)、拝殿の端の方で参拝する。これを見て、同じようにする人が出てくれば長い列が解消する可能性もある。
このブログを読むくらい意識レベルが高い方たちには、「私が参拝作法の手本を見せる」くらいの気概を持っていただきたいと思う。
初詣のように正当な理由で列をつくって並んでいて、どうにもならない場合というのもある。もちろん、この場合には列に並ぶ時もあるのだが、時間がない時や並ぶ気が起きないほど列が長い場合にはどうするか。
私の場合だが、本殿裏での参拝にするか、境内のどこからでも社殿方向への遥拝にするかになると思う。それでも神様は見ているし、祈念内容は聞いている(真面目な神様の場合)ので問題はない。
■御祈祷
さきほど、「神社でお願いごとをしても、基本的に神様は無視する。本当に何もしてくれない。」と書いた。
では、どうするか。
答えは御祈祷である。御祈祷の場合、どんな神様でも無視することはない。一般参拝では、たいして人の話を聞かない神様でも、御祈祷であれば対応する。そして、その祈願内容が実現する方向に向けて、なんらかのことはしてくれる。
もっとも、どのくらいのことをしてくれるのかの程度の違いはある。神社による。というか、神様による。
では、「御祈祷の際の初穂料によって差を付けることはあるのか」。
この興味深い質問に対して、私の守護霊様チームでは回答がわかれた。ということは、神様による。
1)「初穂料の金額によって全く差を付けない」が2人。
2)「初穂料の金額によって御祈祷の期間が異なる」が1人。
3)「初穂料の金額によって差を付ける」が4人。
衝撃の結果。
当然、全員1)かと思いきや意外も意外。ちなみに、私の守護霊様チームではないが、前述の八幡神社の場合には1)である。
2)は貴船神社の御祭神である高龗神の回答。貴船神社では御祈祷を執り行った後も、初穂料に応じて「長期祈願は毎朝の朝御饌祭にてご祈願を継続してご奉仕いたします(公式サイトより)」となっている。初穂料によって、当日のみ、1週間、1か月、3か月、6か月、1年など期間が定められている。このようなタイプの神社は少ないが、たまに見かける。この場合には、期間が長い方が良い。神様にその期間中ずっと気にかけていただけるからである。そして、このタイプの神社はお奨めでもある。きちんと対応していることが明確にわかるからである。
3)の神社があるとは意外だった。「お金持ちばかりが優遇されるのでは」という当然の疑問があるが、「その人なりに状況に応じていくら初穂料を納めたかで本気度を見る」のだそうである。なんか、たいしてやる気のない神様の言い訳のような気がするのであるが。
■おみくじ
おみくじは不思議なものである。「大吉」が出るような人生の状況だと、別の神社でも「大吉」を引けることは珍しくない。数か所で引いても「大吉」「中吉」くらいのブレがある程度である。
ところが、人生がそういう状況でない場合、何度引いても「吉」「小吉」「末吉」の山を築くことになる。
私はというと、2018年は大吉的な年になると女神様たちに言われていたので、当然「大吉」が出るだろうということで、久しぶりにおみくじを引いてみた。結果は「吉」。おいおい、あり得ない。しかし、私には理由がわかる。「あいつら」のイタズラである。
何気なく書いたこの文章におみくじの秘密が隠されている。おみくじがなぜ意味があるのか。なぜ運勢に合わせて相応のものを引かされるのか。答えは、守護霊様が当人の状況に合ったものを引かせているからなのである。
従って、おみくじは決して単なる「ランダム」な結果とかいうことではなく、意味のあるものなのである。
神社の参拝については、まだまだ色々なことがあるだろうが、長くなったので今回はこの辺で終わりたい。