諏訪大社の下社は春宮(はるみや)、秋宮(あきみや)の2社から構成される。どちらも最寄駅は下諏訪であり、春宮は徒歩20分、秋宮は徒歩10分の位置にある。

 

参拝の順序は春宮を先にしたり、秋宮を先にしたり、こだわっていなかったのであるが、今回シリウスの女神様たちに訊いたところ「春宮が先の参拝が良い」との答えだったので、その通りにした。

 

ただし、こういうことに必要以上に固執することはない。例えば、過去に実際にあった例だと下社参拝の後に岡谷方面の神社を徒歩で巡ったことがあり、この場合は春宮から歩くのが妥当であるため、秋宮⇒春宮⇒岡谷方面の神社の順で構わない。

 

 

春宮大門という交差点のところに春宮の大鳥居があり、そこから北に歩く。春宮の少し手前にあるのが春宮下馬橋(はるみやげばばし)である。殿様などの身分の高い人でも、ここで馬や籠を降りて歩いて参拝しなければならない。普通の神社でも、鳥居の前に「下馬」「下乗」という表示があるが、春宮では少し手前のこの場所から歩かねばならなかったということである。

 

現存する諏訪大社の建造物で最古とも言われる。

 

 

大鳥居。万治二年(1659)建立と推定されるとのこと。この「万治」という元号が重要であり、後で出てくる。

 

カーブミラーが写真撮影の邪魔なのであるが、この道は春宮を突き当りとして左折しているので仕方がない。

 

 

境内参道。なかなか良い場の気を感じる。

 

春宮は参拝者が少ないのも良い。春宮と前宮は授与所はあるが、御祈祷ができない。境内規模でも本宮と秋宮が大きいので、参拝者が多い。しかし、わざわざ諏訪まで来ておきながら、なぜ多くの人が「秋宮には参拝するけど春宮には参拝しない」という行動になるのかは、私には理解不能である。

 

 

 

境内参道の中央に神楽殿。この配置は秋宮と同じである。

 

 

 

神楽殿の奥に拝殿。本宮の記事で解説した「諏訪造」という建築様式になる。中央部分が幣拝殿、左右に回廊形式の片拝殿というものが付属する。

 

これらの背後には本宮と同じく東西の宝殿という重要な社殿があるらしいのだが、本宮と同じくその認識がなかったため宝殿の説明は今回はスルーさせていただく(もっとも、この奥は入れない)。

 

そして、本宮同様に本殿はなく、宝殿の奥にある杉の御神木を御神体として祀っているとのこと。

 

拝殿の手前に神楽殿があるため正面からの写真は撮れないものの、春宮ではこの角度からの拝殿の写真を撮影する際、タイミングを待てば人が写らない写真が撮影できるチャンスがある。参拝者が少ないからである(今回の参拝は午前の早い時間ということもあったが)。

 

 

一之御柱。拝殿手前の右隅にある。

 

 

二之御柱。拝殿手前の左隅にある。

 

前宮を除き、三之御柱、四之御柱は立ち入りできない場所にあるかと思っていたのであるが、ネットで調べてみると春宮の三之御柱、四之御柱を撮影している人がいた。5回も参拝しているのに、よく分からない。

 

 

境内社。右が末社の上諏訪社。左が摂社の若宮社。

 

若宮社は伊豆早雄命(いずはやおのみこと)ほか建御名方神(タケミナカタ)の御子を祀る。ここでは説明書きに全ての御子が記載されていた。ただし、筆頭の「建御名方神彦神別命(たけみなかたひこかみわけのみこと)」は、そういう名前の御子がいたわけではなく、建御名方神(タケミナカタ)の御子の総称である。

 

 

末社の子安社。 大国主の妻(の一人)であり、タケミナカタの母である高志沼河姫命(ヌナカワヒメ)が御祭神。

 

 

筒粥殿(つつがゆでん)。ここで農作物の豊凶を占う筒粥神事が行われる。

 

占うって言うけど当たるのかね、と疑いの目で見ていたのだが、シリウスの女神様たちに訊いたところ、この豊凶の占いは実際にタケミナカタが回答しているとのこと。神事を舐めてはいけないのである。

 

この後、社殿に向かって境内左手から浮島神社に向かう。5回の参拝のうち、最初の2回の参拝では全く気が付かなかった。

 

 

 

浮島神社は下社の末社である。ここでも御柱が見られる。

 

社名の通り、諏訪大社春宮に面して流れている砥川の中州にある。この川の流れはなかなか爽やかで気持ちが良い。

 

 

前回参拝時に撮影した砥川を挟んだ対岸からの浮島神社。

 

この先、砥川にかかる小さな赤い橋を渡ると「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」というのがある。

 

 

 

岡本太郎が絶賛したことで知られる万治の石仏。

 

実際に対面してみると、それも理解できるのである。なかなかの雰囲気を醸し出している。「大きくて、広い」のである。こちらの心も大きくて広くなったように感じられるのである。

 

この「万治」とは石仏ができた時の元号である。万治3年の建立らしい。そして、春宮の大鳥居の建立が万治2年の建立と推定されている。この両者は同一人物の作とされているのである。

 

説明書きに、お参りの仕方が書いてある。一礼して「よろずおさまりますように」と念じてから時計回りに3周。「よろずおさめました」と唱えて一礼。元号の「万治」に掛けているわけである。

 

この後は旧中山道を通って15分ほどの距離にある秋宮に向かうのだが、長くなるので次回に続く。