ついに最も難しいテーマである「運命と自由意志」についてである。いつか書かなければならないと思っていた主要なテーマのうち、最後まで残っていたのがこれである。

 

これについては、正直なところ、女神たちに書いてはいけないと言われている部分もある。もちろん、それは書けないので、書ける範囲内で書いていく(事前に、このテーマについて書くとしたらこういう感じになるよね、ということで打ち合わせをしているし、書き終わったら許可をとる)。

 

まず、運命について。

 

初めに断っておくが、よくある「運命」と「宿命」の話ではない。変えられるのが「運命」で、変えられないのが「宿命」というのは言葉の定義の問題であって(※)、そんなことで分かったような気になってはいけない。ここでは、人生の中で変えられないこと、変えられないと思われていること、変えられたとしても非常に困難なことの総称として「運命」という言葉を使用する。

 

あなたの定義でこれを「宿命」と呼ぶなら、それでも構わないので、以下の文中の「運命」を「宿命」に読み替えていただきたい。変えられないことはたくさんあり、例えば自分の両親は変えられないが、それを通常「宿命」と呼ぶことは少ないし、重たすぎる言い方なので私は好きではないということである。

 

※ これ、非常に重要。言葉の定義の問題はスピ系のセミナー等で非常に多く見られる無意味な質問である。「○○と△△は同じですか?」など。もちろん、講師が言っている○○は△△という意味ですか、なら意味のある質問である。しかし、一般論として○○と△△が同じかどうかは、単に言葉の定義の問題であって、本質的な質問になっていない。「悟り」と「覚醒」が同じかは、それぞれの言葉の定義によって答えが変わる。どちらの語も誰にでも通用する明確な定義はないので、一般論としては答えようがない。ただし、講師が一貫して明確な定義のもとに使い分けているなら、それを説明する意義はあるだろう。それから、全ての言葉は言葉によって定義される。つまり、全ての言葉は循環定義であることを覚えておいてほしい。

 

では運命とは何か。

 

答えは、「生まれる前に決めてきたこと」である。誰が決めるのか。よく、自分が決めると言うのだが、自分だけで決めるのではない。人間関係については相手の同意が必要だし、守護霊様ももちろん関与する。

 

こういったことを決める会議をアシュタールは「光の会議」と呼んでいたと思うのだが、人生のストーリーをつくる上での関係者が一堂に会しての会議があると思ったらよい。もちろん、自分が最終的には同意する必要があるし、何かを無理矢理押し付けられることはない。

 

それで、何を決めたかということなのだが、まず、人生の中で発生する出来事というのがある。大きな出来事や、他人が関連する出来事で取り決めが必要なものなどは生まれる前に決めてきている。

 

代表例は「結婚」。結婚するかどうかは運命であり、変えられない。結婚する場合の相手についても運命であり、変えられない。

 

「赤い糸」で結ばれているかは知らないが、運命であるという意味ではこの表現は正しい。

 

さて、「結婚は運命」を受け入れられるだろうか。まあ、あなたが受け入れようが、受け入れまいが運命なのだが。

 

離婚についても運命である。ただ、離婚はあまりこれまでに言われてこなかったので、意外に思う人もいるかもしれない。そして、ここまでを理解して受け入れたとしたら、もうわかるだろう。再婚も運命である。

 

ここまでは私も想像がついていたのであるが、実は結婚の日にちまで決まっているそうである。おおよその流れが決まっているだけかと思いきや、厳密に日にちが決まっているそうである。

 

このような生まれる前から決まっている出来事というのは、人によって出来事の個数が異なる。実は、私は生まれる前に決めてきた出来事の総数を知っているのだが、残念ながら女神たちにとめられているので、書くことができない。

 

ただ言えることは、意識レベルが高い人ほど生まれる前に決めてきた出来事の総数は少ない。そして、誰でもこれらの出来事のうち最後に起こるのは「寿命が来て死ぬこと」である。

 

運命と呼ばれることのうち、生まれる前に決めてきた出来事のほかには「環境」「性格」「身体的特徴」などがある。

 

ここで言う環境とは、生まれる国、場所、民族、両親、兄弟、親戚など。そして、実家が裕福な家庭かそうでないか。あるいは、家族や親戚等の意識レベル。こういったものは変えられない。

 

性格も根本の部分は変えられない。変えられないので、あまり悩む必要もないとも言える。

 

私の性格の中で一般的に見てネガティブな要素に「短気」というのがあるのだが、変えられないし、べつに悩むことではない。

 

これは、あくまでも、今回の人生の中での性格であって、過去生では短気でなかった人生もあったのである。魂が1億年かかっても解決できなかった欠点などでは決してない。今回の人生のストーリー上、必要な性格に設定されているだけの話である。

 

そう思うと、自分の嫌な部分など気にならなくなるのではないだろうか。あなたが気にしている自分の欠点(と思っていること)の大半は、ストーリー上の設定でしかない。悩む必要など1ミリもないので、安心していただきたい。

 

まだ、自由意志の話に入れていないが、長くなったので次回に持ち越しとしたい。