前回の続き。
前回は、幸せを説明するモデルとして、幸せと感じる感情を以下の3つに分類したいという話をした。
1)一時的な幸せ
2)条件付きの幸せ
3)無条件の幸せ
まあ、1つの説明用モデルにすぎない。これから、さらに細分化したりするので。
まず1)の一時的な幸せから。
これは2)の条件付きの幸せの中の一形態である。1)と2)はワンセット、3)だけが異質のものという見方もできるのだが、分けた方が説明しやすい。
一時的な幸せとは、文字通り長続きしない幸せ感である。これをさらに2つに分類する。
1A) モノを手に入れた、目標を達成したなど
よく言われるように、モノを手に入れた時の喜びはたいして長続きしないことが多い。すぐに慣れてしまうから。目標を達成するとか、昇進するとかもこれとほとんど同じ。その時は気分が良いのだが、その余韻はそれほど長く続かない。
しかも、この1A)にはトラップがあって、際限なく「もっと、もっと」を繰り返すということである。永久的に連戦連勝しなければいけないような。実際に連戦連勝している時は良いのだけれども、なかなかそうはいかない。そして、他人との比較になってしまう。どんなことでも、上には上がいるものである。比較すれば、自分よりももっと凄い人がいるから満足できなくなってしまう。
まあ、1A)は長続きしないけれども、幸せの一形態と見ることも可能なのだとは思う。
ただし、同じ一時的な幸せでも明らかに質が違うタイプのものもある。
1B) 好きなことをやっている時の幸せなど
旅行に行っている時、神社に参拝している時、登山をしている時、スポーツをしている(見ている)時、音楽を聴いている時、ピアノを弾いている時、食事をしている時、お酒を飲んでいる時、なんでも良いけれども好きなことをやっている時の幸せ。
多少の余韻はあっても、これも基本的には「やっている時だけの一時的な幸せ」と言えるだろう。ただ、繰り返しできる点が1A)とは異なる。1A)は1回限り、1B)は繰り返せるという点で異なる。
1)の一時的な幸せを別の言葉で言えば、「喜び」「楽しみ」「興奮」「気分の高揚」「達成感」などになるだろうか。
スピ的なキーワードでは、「ワクワク」「引き寄せ」「願望実現」など。
べつに一時的にしか幸せでないとしても、それを否定しているわけではないことに注意。ただ性質として長く続きにくいということを認識しておくことは必要である。
次に2)の条件付きの幸せ。
これは1)と比較して、もう少し長く続く構造に基づく幸せ。
幸せの本質について語っている意見の中で、何人かが共通して言っていたことがあって、それは「幸せの本質は平凡な日常」というもの。平凡な日常も変化はしていくが、それほど急激に変化はしないことが多い。
家族がいる幸せ、人間関係に基づく幸せ、仕事や職場に基づく幸せ、ライフワーク等に基づく幸せなど。
1A)のような一時的な気分の高揚を目指すのではなく、当たり前のことがいかにありがたいか、そして奇跡的で神秘的なことなのかに気づくといったもの。
また、「幸せと感じたことが幸せなのである」という世界観。例えば、一輪の花を見て幸せに感じる人もいれば、特に何も思わない人もいる。とにかく、本人が幸せなら、それが幸せなのだから、いかにどんなことに対しても幸せと思えるか、いかに小さなことに対しても幸せと思えるか、「幸せ力」的なものを磨いていこうという世界観ともいえる。
キーワード的には「感謝」「気づき」「つながり」「やりがい」「生きがい」「充実」などだろうか。
2)の幸せは1)と比較して構造的に長く続いたり、何を見ても幸せという境地に達したら半永久的に幸せなのかもしれないけど、それでも条件付きの幸せではある。
「家族といるから幸せ」「誰かといるから幸せ」「仕事が充実しているから幸せ」「花を見ていると幸せ」など。
当たり前だが、これも否定しているわけではない。単に、条件付きの幸せというだけである。
では、3)の無条件の幸せとは何か。
家族と一緒にいなくても、誰かと一緒にいなくても幸せ。一人でいたって満たされている。何をしているとか関係なく幸せ。
これが、エゴ(個人意識)が不在の時の幸せである。これは以前の記事で説明しているので、引用する。
マインドを鎮めるより引用
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要するに「マインドという個人意識的なもの(エゴ的なもの)が消えた状態では、全体意識が現れる」のである。この全体意識のみになった状態で感じるものを「平安」と呼ぶ(内面の平和)。これは「幸福」とかとは異なる、静かな静かな安らぎであり喜びであるようなもの。ひたすら心穏やかな状態。モノを手に入れた時などの一時的な喜びや幸せが+-の軸上でプラスに振れた時の状態なのに対して、平安はゼロ状態。プラスマイナスに振れる振動が収まった状態。ゼロ状態なんだけど、それを包んでいる全体性が絶対の愛だから心地良いというイメージ。
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ここにあるように、この時の感情を表すのにベストの言葉は「平安」だと思っているが、「幸せ」の一形態と見ることもできる。
キーワードとしては、「悟り」「覚醒」「全体意識」「平安」「エゴの不在」「ネガティビティー(恐れ、不安、心配、怒り、イライラ、悲しみ、恨みなど)の不在」。
覚醒すれば、自分の時間のかなりの割合をこの状態で過ごすことができる。ただ、覚者であってもエゴ・マインドは完全に消滅したわけではない(と私は思っている)。やはり、エゴ・マインドが戻ってきてネガティブな思考・感情をしてしまう時間もあるだろう。
「幸せ」の追求における主要な課題は、いかに「常に」幸せでいるかという問題だと思う。一瞬、幸せでいることはできる。でも「いつも」幸せは難しい。
1)の幸せは一時的であり安定的ではない。2)はもう少し安定的な幸せだが、それでも条件付きだ。だから、人々が本当に求めているのは3)の無条件の幸せであり、それは悟りを開くことで手に入る。幸せについての統一見解はないと言ったが、この3)の部分に関してだけ言えば覚者の共通意見的なものかもしれない。
3)の幸せが1)や2)と比較して万能に聞こえるのだが、必ずしもそういうことでもないらしい。なぜなら、覚者でもエゴ・マインドは残っており、ふとした時に戻ってくるから。本を書いているような有名な覚者でも自殺した例があったと聞いたことがあったように思う。だから、2)や1)も必要なんだと思う。それに、覚醒したって「空」の世界だけで生きていくことはできず、引き続き「色」の世界も生きていくわけだから。
現時点での結論としては、構造的に最も安定している3)の幸せをベースにして2)や1)を組み合わせるのが最も望ましい。まだ覚醒に至っていない場合は、覚醒すれば3)の幸せが手に入ることを念頭に置きつつ、構造的に安定している2)をベースとして1)を組み合わせるのが望ましい、といったところだろうか。
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