5年くらい前だっただろうか。人生をかけて情熱を傾けるライフワークが欲しいと思い、いろいろ考えた末に「幸せの研究」をやろうかと思ったことがある。幸せについて書かれている書籍や研究結果などを調べて、その本質を見抜きたい。これは絶対に人類に役立つ研究になるはずだと。
しかし、たいして始めもしないうちに、あっという間にやめてしまった。1つには、マインドが無理やり考え出したテーマだったということがあるだろう。魂が本当に求めていたのは、スピリチュアル的な探究、悟り的な探究だったのだろう。もちろん、その中には「幸せ」というテーマも含まれるのであるが、まず何より自分が覚醒するということが先決だなと思ったのだろう。
もう1つには、幸せについて考えてみると、わりと最初の方で結論が出てしまったように思われたということがある。一生かけて本質を見抜くというほどの壮大なテーマでもないかと。今考えてみると、本質を見抜くのに一生をかけていては間に合わない。本質を見抜いた上で、それに沿って生きることが真のテーマなんだと思う。知識と実践は別物だし、実践の方が難しいわけだから。
それで、自分としてはある程度の結論的なものがあって、それが100%正しいとか完結しているとかではないから、今後生きていく中で新たな知見があったり結論を軌道修正するようなこともあるかもしれないけど、スピ・悟り系の世界ではおおよそ皆同じことを言っているんだろうなと予測していたのである。
スピとか悟りってだいたい結論は似ていることが多い。色々な人が色々なことを言うんだけど、だいたい同じことを言っている。手を変え品を変え、色々な角度から説明しているだけで。もちろん、このブログだって世の中で言われていることを言い直した内容が多いだろう。言葉の表現としてはオリジナルでも、本質はとっくに言い尽くされているだろう。
そこで、あらためて「幸せの本質」で検索して色々な人がどんなことを言っているのかと思って調べてみると、統一見解のようなものがなくてビックリしたのである。調べた中には覚者と思われる人も含まれているのだが、あんまり賛同しないような意見もあった。もちろん、覚者以外の一般の方はそれ以上に思い思いのことを言っている。
もっとも何をもって「幸せ」と呼ぶのかという言葉の定義の問題はある。人によって「幸せ」という言葉が指すものが違うから、違う意見になるのかもしれない。そこで、ネットで辞書を引いてみる。
【幸せ】運がよいこと。また、そのさま。幸福。幸運。
ええっ~???
なんだこりゃ。これは定義が間違っているだろう。あまりにお粗末な定義だ。少なくとも私は「幸せ」と「幸運」という語を混同して使うことなど全くないのだが。「幸せ」はラッキーとは違うだろう。少なくとも私がここで語りたいものはラッキーについてではない。
実は辞書を引く前に、自分でちょっと定義を考えたのである。そうしたら、意外と「幸せ」という語を定義するのは難しいな、辞書だったらなんて書いてあるんだろうと興味津々だったのである。ところが、このざま。
「人類が共通して求める満たされた感情のこと」
べつに100%納得する定義ではないにしても、とりあえず私が辞書を引く前に10秒か20秒くらいで考えた定義はこれ。少なくとも、「感情」とか自分の「内面の状態」とかの話だろう。類義語とのニュアンスの差があまり表現されていないのが難点かもしれないが、辞書の定義を100点満点で5点とすると上記は70点以上はあると思うので、とりあえず、これでいく。
辞書が幸せとラッキーを混同しているくらいだから、幸せの研究もやっていれば、それなりに人類の役に立ったのだろうか。
それはともかく。本題。
前述のように、「幸せ」は統一見解のない(?)珍しいテーマかもしれないので、私が言うことも単なる1つの意見である。有名な聖者がこう言っていました、とかではない。ほかの覚者は別のことを言うだろう。
私は幸せを説明するモデルとして、幸せと感じる感情を以下の3つに分類したい。
1)一時的な幸せ
2)条件付きの幸せ
3)無条件の幸せ
長くなるので次回に続く。
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