今、本当に久しぶりに「神との対話」シリーズを読み返している。私はこのシリーズのほぼ全てを7回ずつ読んでいて、1回読むごとに読み終わった日の日付を記入していた。1作目の「神との対話」は全て2013年の日付が書かれていた。「神との対話(2)」の最後は2014年。これらの本を読んだ日々は遠い昔のことのように思われるのだが、実際には3年程度経過したにすぎないのか。今の私にとっては、基本的に過去というのはどうでもいいことなので、近い過去でも非常に遠い過去に思えるのだ。これは以前と比較すれば「今に生きる」ことができているということであるが、未来がどうでもいいという気持ちになることはこれよりは難しく、いまだにできていない。

それはともかく、このシリーズは面白いし、今読んでみても役に立つ。バシャールもこのシリーズを推奨しているらしいが、私もあたらめて強く推奨しておきたい。読んだことのない人は是非読んでみて欲しい。

さて、1作目の「神との対話」の中に引き寄せ・願望実現に関してこんな記述がある。

<現実に体験したいと考えることを前もって神に感謝するというのは、願いはかなうと認めることだ・・・。感謝とは神を信頼することだ。求める前に神が応えてくれると認めることだから。>
(中略)
<だが、どうして、そこにないとわかっていることに心から感謝できるのですか?>
<信念だ。けし粒ほどの信念があれば、山を動かすことができる。わたしがあると言えばあることがわかるだろう。あなたが求めもしないうちに応えてあげるとわたしは言っている。(中略)支えとなる思考の中で、「望みがかなっていない」という思いよりももっと力強いのは「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信念、それだけだ。>

「神との対話」の著者も人生のどん底を味わっている。それも、失業からホームレスの生活へという非常に大きなものである。そういった状況の中でポジティブな考え方をしたり、引き寄せや願望実現ができるなどと信じることは相当に困難なことであるのは想像に難くない。

前回の記事「人生のどん底で何を悟るか」のクイズの答えのようなことは知識としてはあるかもしれない。しかし、人生のどん底ではそれでも苦しむものである。

そんな時に思い出すとよいのが「神」である。それがさきほどの引用。ここでの「神」とは人格を持った高次元存在(人間の延長線上)ではなく、全体性、全体意識、源泉、ワンネスなどと呼ばれるものを指している。

覚醒・アセンションへの道の途中の人生のどん底で、エゴは自分が無力であることを悟る。だから、もうポジティブに考えることさえ困難である。そんな状況で思い出したい言葉、それが表題の「自分にはできないが、神にはできる」。さきほどの「神との対話」の引用部分を読んでいて連想したのがこの言葉であり、短い言葉でうまく要約している。

私はこの言葉が好きである。斎藤一人さんの言葉だっただろうか。この場合の自分とはエゴであるから、補足するとすれば「自分(エゴ、個人意識)にはできないが、神(全体意識)にはできる」ということである。

「神」という言葉にはもの凄い威力があり、この話はまた別の機会にしたいのだが、差し当たって「自分にはできないことでも神にはできる」と思うことは難しくないはずである。むしろ、当たり前である。また、引き寄せや願望を実現するのは、エゴではなく全体性(神)である。だから納得はできる。特に、この記事を読んでいる方であれば、少なくとも知的には自分が全体性(神)と一体であることを知っていると思われるので、この言葉がより有効になる。

「困ったときの神頼み」的に本当に困ってから「神」を思い出すのも、思い出さないよりはマシなのだが、本当は人生のどん底になる前、普段から神に感謝を捧げる方がよい。それが「神社に参拝する」ということの意味である。そして、毎日感謝するために神棚というものがあるのである。

意識レベルが高い人全員が神社参拝の習慣があるわけではないにせよ、ある程度の相関関係はあるように思われる。意識レベルが高い人たちに人気がある趣味、それが「神社巡り」である。自分にはできないことでも、神にはできる。そして、既に体験していることに感謝することはもちろん、「現実に体験したいと考えることを前もって神に感謝する」。この感謝を習慣づけるのに役立つのが「神社参拝」であり、それをより楽しくやるのが「神社巡り」である。このブログでも神社巡りの良さ・楽しさを伝える記事を書いているので、お奨めしておきたい。

 

ブログランキングに参加しています。是非2ヶ所の応援クリックをお願いします。いつもクリックしていただいている方、ありがとうございます。愛と光のエネルギーを送ります。

 

   にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ


メンタルブロックを消すためのワークとしても使えます。 自分の内面を直視して、クリックした時の気持ちがどう変化するのかを見ていきます。損した気分にならずに、躊躇せずにクリックできるようになり、さらに喜んで応援クリックができるようになった時、なんらかの良い変化が起きたということは言うまでもありません。