(前回の続き)
さて、今回は非二元(ノン・デュアリティー)ではなく、悟り系スピリチュアルに分類される書籍「黎明」の著者である葦原瑞穂氏(ペン・ネーム)を採り上げる。「黎明」は日本におけるスピリチュアルの教科書的な存在で、知る人ぞ知る名著として名高い。残念ながら2016年に60代前半の若さで逝去された。
現在入手可能な「黎明」は上下巻にわかれており、下巻の第二十三章にずばり「霊的向上の方法と瞑想」という章がある。また、その直前の二十二章「日常の生活」にも意識レベル向上に関する記述がある。以下の引用は全て「黎明」下巻からである。
≪瞑想は心の実相を観察したり、様々な目的のために心をコントロールする行法として最もよく用いられるもので、適切に行うことができれば、普遍意識が自覚に至る上でも大きな手助けとなります。≫(p.203)
「黎明」では、悟り・覚醒に到達することを「普遍意識が自覚に至る」「普遍意識が顕現する」という表現を用いている。つまり、個人が悟るのではなく、普遍意識(全体性)がそれ自体を自覚するのだということがわかる表現方法を選んでいるということである。ともかく、悟りに至るためのサーダナ(霊的修行)として最もメジャーな瞑想は有益であると言っている。そして、もう1つ、この章の最後の方でマントラについて触れている。
≪それではここで、瞑想とともによく用いられる、マントラと呼ばれる行法についても簡単に触れておきましょう。(中略)本章で取り扱うような解脱に至るマントラは(以下略)≫(p.237)
とあるので、解脱に至る方法としてマントラを唱える行もあるということを言っている。さらに、二十二章の「日常の生活」では以下のような記述がある。
≪その一方で、何ということもない日常の生活のひとつひとつに正しく関わっていくことが、このような究極の目的にとって最も大きな効果があり、しかもその人にとって最短の進歩を与えてくれるという真理は、しばしば見落とされています。≫(p.147)
≪従って掃除ひとつでも嫌々ながらやっていると、却って自分の心を汚していることになりますし、丁寧に心を込めて行えば、その時に注ぐ愛の深さに比例して、同時に自分の心も掃除することになるのです。つまりひとつひとつの行為は、それが何であろうと、愛を以て確実に行うと言うことが自分自身の意識の進化に正確に反映してくるわけで、このような日常の行為(カルマ)によって意識を向上させ、その究極においては、宇宙そのものの創造活動と一体化する方法をカルマ・ヨガと呼んでいます。カルマ・ヨガは誰にでもできるものであり、他の様々な行法が持っている難しさや危険が皆無である上に、行為そのものが直接世界への奉仕へに繋がるものですから、読者の皆様にはぜひお勧めしたいと思います。≫(p.165)
日常の生活のひとつひとつの行為を、愛を以て、丁寧に、確実にこなしていくこと。これをカルマ・ヨガと呼び、悟りに至るための行として勧めている。
私は晩年の葦原瑞穂氏の講演会に行ったことがあり、私の持っている「黎明」は上下巻共に同氏のサインが入っている。その講演会では、誰にでもできることとして瞑想とカルマ・ヨガを勧めていた。マントラは特殊な行である(修行者にとってはそうではないが、一般の人にとっては)のに対して、普通の人でもできるのが瞑想であり、カルマ・ヨガであるということである。
それでは、葦原瑞穂氏の勧める覚醒に向けた行をまとめておく。
1)瞑想。
2)カルマ・ヨガ。日常の生活における全ての行為を愛を込めて、丁寧に、確実にこなしていく。
3)一般の人にとっては少し特殊な行ではあるが、マントラを唱える。ただし、適切なものを選ぶこと。
(次回に続く)
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