(前回の続き)
さて、いよいよ覚醒に向けた意識レベル向上のために何ができるのかという話である。こういうことを言うと、いまここしかないとか、人生はどこにも向かっていないとかって話にもなるんだけど、それは一面で真理であることを受け入れたうえで話を先に進める。この見かけ上の人生において、夢の中のストーリーの上であろうがやっぱり覚醒したいっていう気持ちが沸き起こってくるのも別の一面で起きていることだから。
この問題には覚者のあいだでも言っていることに微妙なずれがある。
では、最も身も蓋もない意見から紹介する。非二元(ノン・デュアリティー)系のティーチャーの中でも最も厳格で妥協を許さず、それゆえに論争になったりしたこともあるらしいトニー・パーソンズである。
Q:気づきやそのレベルに到達するために、私にできることが何かありませんか?
A:何もありません。それは何もできない誰かがいるからではなく、誰もおらず、達成すべきレベルもないからです!(トニー・パーソンズ著「何でもないものが あらゆるものである」P.111)
Q:一人の個人ができることは何もないのですか?
A:いえいえ、違いますよ。それはここで言われていることではありません!その考えは何もすることができない個人がいるということをほのめかしています。公然の秘密とは、どんな個人もいないし、それゆえどんな種類の意志もないことを暗示しています・・・夢の中を除いて。(同 p.44)
彼が言っていることが理解できるだろうか。空でありワンネスである全体しか存在しておらず、そもそも個人などいないのだから、全体性の現れとして出来事がただ起こるだけであり、これまでもこれからも誰も何もしないというのである。エゴ(個人意識)が何もできないのではなく、個人という分離が幻想だというのである。
従って、瞑想やあらゆるサーダナ(行)の類は目覚めとは一切関係がないという。全体性の現れとして見かけ上の個人に瞑想が発生することもあれば、サーダナが発生することもあるのだが、目覚めや解放とは関係ないという。見た目上の目覚めや解放が起こるときは、全体性の現れとしてただ起こるのであり、それは個人とは全く関係がないという。そして、個人がいないのだから、個人の自由意志も存在しない。
この意見を聞いてどう思うだろうか。正直、私にもわからないのだ(彼が言っていること自体は理解できる)。断っておくと、実はトニー・パーソンズの意識レベルはティーチャーの中でも相当に高い(ただし、アセンション前の地球での計測)。一面の真理であることは間違いないのだろうとは思う。しかし、これがこの件についての全てを言い表しているのかはわからない。
まあ、トニー・パーソンズは夢から覚めた後の世界の描写しかしていないのに対して、多くの人は夢の中のストーリーにおける目覚めや解放(悟り、覚醒)について問題にしているということが食い違いの原因なのだが、トニー・パーソンズに言わせれば、ほとんどすべての人(ティーチャーを含めて)は自分のメッセージを本当には聞いていないのだと言う。ほぼすべての人が彼のメッセージを理解できない、あるいは誤解するのである。
なので、私が彼のメッセージを翻訳してあげると、「夢の中の主人公は自分が全体から分離した個人であるという夢を見ていました。しかし、夢から覚めてみるとそんな個人はどこにもいませんでした。驚いたことに自分が全体だったのです。めでたし、めでたし」という物語である。ただし、夢の中の主人公は「これは夢だ」と気づこうが、夢の中で瞑想しようが何をしようが、それらは夢から覚めることと無関係であり、全体性の側に何らかのエネルギー変化が起きないと、夢から覚めることはできないのである。
今は非二元が大ブームであり、書籍も色々あるのだが、少し気になることはこの非二元の究極的な視点からの描写は、地球上の覚者しかしていないような気がするのである。高次元存在、宇宙存在は誰も上記のような言い方はしていないような気がする。もちろん、ワンネスについては言及されるのであるが、バシャールもアシュタールも個人は存在しないとか、自由意志は存在しないという類のことを言わず、ワンネスであると同時に個人も個人の自由意志も存在していることを前提とした話しかしていないと思うのである。夢の中の分離というストーリー、般若心経で言う空即是色の「色」の部分、これもまた一面の現実である。トニー・パーソンズの言い方だと「現実かつ非現実」とよく言っているが、「非現実」の方ばかり強調している感がなきにしもあらずだから、論争になったりしているのかもしれない。公平のために、トニー・パーソンズ側の視点からも言うと、イエスもブッダも、バシャールもアシュタールも、全て分離した個人という夢のストーリーにおける登場人物にすぎないのだが。
どんなに意識レベルが上がろうと、宇宙の神秘の核心の部分、空であり全体性であるものは知ることができない。これはほとんどの覚者も同意するだろうし、11次元の存在アシュタールも言っていたと思う。なので、断言できないことがらについては、断言しないことが重要である。判断を留保する。UFOとか、宇宙人とか、高次元存在とか、チャネリングとか、その他一切の不思議なことについて、自分が知らない・理解できないからと言って頭から否定しないこと。そして、同様に何でも鵜呑みにしないこと。これが学ぶ上での姿勢として重要である。スピリチュアルにどっぷりはまった人の中には非二元の考え方に極度のアレルギー反応を示す人もいるのだが、これなどは自分の親しんだ世界から抜け出そうとしない態度であり、ある種の傲慢である。「もしかしたら、そんなこともあるのかも」、これが重要である。
なので、ここではトニー・パーソンズの言っていることを、こういうことを言っている(見かけ上の)覚者がいるということ、そしてその内容も一面の真理であることを受け入れたうえで、次に進んでいく。
(次回に続く)