このブログではスピリチュアルや悟りについて書いているが、この2つは似ているようで方向性が真逆とも言われる。物質世界を超えて見えない世界に踏み込んでいく点は同じなのだが、スピリチュアルはこの人生をいかに自分の思い通りの人生にするか、悟りはいかにこの人生を卒業するか(輪廻転生からの解脱)。もっとも、スピリチュアルと言っても現世ご利益系から悟り系まで広いのであるが、一般的にスピリチュアルの世界という言葉でイメージするもので言えば、前述の意見も理解できるところである。

 

もう1つ、世間的な傾向として、スピリチュアルにはまりすぎていると悟りに目が向かない、興味がないということもあると思う。なぜかというと、もし引き寄せが思い通りにできて、思い通りの人生を歩んでいるとすると、それが楽しいし満足するわけだから、人生に不満がなく、それ以上の意識レベル向上の必要性も感じないであろう。とはいえ、どちらが良い悪いを言っているわけでもない。スピリチュアルにはまっていることが悪いということもない。

 

一方で、悟りに興味があるということは、ほとんどの場合、人生に苦しみを感じ、それからなんとか逃れるべくして悟りへの探求がはじまるのである。従って、ここからが重要なのだが、困難な人生を歩んでいるという場合でも、それ自体何ら問題はなく、魂の観点からは最短距離で意識レベル向上を目指しているとも言えるのである。ハンディキャップを持って生まれた場合などは、魂的にはスーパーエリートであるのかもしれない。全ての人生はそれ自体完全だということである。そうは見えない場合であっても。

 

ハンディキャップとは少し違うけれども、生涯独身というのも少しこれに関係していると思う。以前に江原啓之さんが、独身者の方が霊格が高いという意味のことを言っていたのを聞いた(あるいは本で読んだのかもしれない)。霊格と意識レベルが同じなのかもわからないし、現代では覚醒者も多くは結婚しているような気がするので一概には言えないが、この発言は少しわかる気がする。私は独身で、今後も結婚することはないと思うが、これは今回の人生でどうしても覚醒するために、その環境を選んできているのだと思う。一人の時間が多ければ、必然的に自分と向き合い、人生と向き合い、人生の意味や本当の自分の存在について自分に問いかけるようになる。

 

私個人としては、現世ご利益系スピリチュアルにはまっていた時代もあったのだが、結局、引き寄せ等はあまりうまくいったことがなく、最終的に悟りを求めるようになった。それでは、覚醒のために意識レベルを高める方法は存在するのだろうか。悟りに至る方法論はないと言われる。〇〇をしたら悟れますよ、というものは何一つないということである。だからこそ、それが起きた時、(神・源泉からの)恩寵と呼ばれるのである。

 

悟るための方法がないと言われる中で、一体何をしたら良いのだろうか。これについて、覚者たちが言っていることや、自分の体験を書いていきたいと思う。今日はここまで。