本多平八郎忠勝 | 好きこそモノの上手なれ

本多平八郎忠勝

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 最近の歴史ブームには違和感を感じている以前からの歴史好きです。
 私が一番好きなのは本多平八郎忠勝槍五十余度の合戦に参加して傷一つ無し、鹿角の兜もかっこいいし、「蜻蛉切」なんて名槍携えているんですよ。「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」戦国最強と言われた武田軍団が残したこの落首、いわば逆さ感状がその武勇を物語っています。
 しかも、一般的イメージにある武勇一辺倒でもなく、関ヶ原の合戦のときには東軍に組した秀吉恩顧の武将を纏めたのは忠勝の功績でもありました。前哨戦ともいえる戦いでは「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」の島左近とも互角以上に戦ったとされています。関ヶ原後も娘婿の真田信之の求めに応じて真田親子六文銭の助命嘆願の際、主君家康と一戦刀も辞さずとの覚悟を決めたとも言われる言動、私は最近流行っている「義」には疑問を感じていますが、忠勝の「殿へは忠義、義理は己より下なる弱き者にむけてたてるもの」との言葉には感服しています。忠勝は主君家康徳川家康は勿論、信長織田信長、秀吉豊臣秀吉の三英傑から称えられた稀有な存在です。ほとんど人をほめた記録がない信長から他家の家臣でありながら賞賛され、秀吉からは西の立花宗茂と並び称されたうえ、さんざん直臣に取りたてようという勧誘をうけながらも固持しています。その忠義の臣が真田親子の件では義理をとおして一戦辞さずの覚悟を示す、これこそ本物ではないでしょうか。
 戦国の最終勝者でありながら、判官びいきの日本人にはいまいち人気がない家康しょぼんその家臣ということもあってさほど人気が高いとは言えない忠勝ですが、文武両道兼ね備えており、主君への忠義の臣、それ(忠義)以上に下に対して義理堅い本多平八郎忠勝ビックリマークもっと評価されても良い武将であると思ってます。
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