辛い。

年が明けてからというもの、体調がすこぶる悪い。
なかなか風邪が抜けない。
今週は特にひどかった。痰が絡み、蓄膿が出続け、今日はとうとう頭痛がしてきた。

最近、どうもうまくいかない。
仕事は幸い忙しくなく、七時過ぎには会社を出ております。
特に残業してまで終わらせないといけないもの、がないわけです。そんなもんです。


最近うまくいかないと述べたのは、ある二つの事が先週末に立て続けに起こったからです。

・家について
・彼女の母親との会食について

この二つの出来事がやかましく、また怒りすら覚えるようなことでした。文章にしてしまえば「なんだ、そんなことか」っていうような事なんですけど、当人とすればけっこう大変なんです。

・家について
ある土地の購入を進めていて、値段の交渉がうまくいかず、話が流れてしまう。
家購入というのはそう簡単なものではありません。恐ろしいほどいろんな費用がかさむのです。言ってしまえば、購入の手続きで数百万なんてあっという間に飛んでしまうのです。

また、返済計画や借り入れの利息等考えると絶望的な気持ちになってくる。もちろん実質の返済は母親が持ち、自分に負担はないのですが。とはいえ、当事者となる以上、ある程度の責任は覚悟するわけです。名義が自分で、返済者が自分の親である以上、もしもの時は自分がなんとかしないといけないな、と思うわけです。

そして大変なのが、周りへの説得なわけです。
これだけの大きな買い物をする以上、自分で決めて、自分で支払って、自分で責任を全て持つってわけにはいかないわけです。現実的に考えて。
人生において、多くの人が最初で最後の買い物になるわけですから、それなりに恐い。どうしたって恐い。そうそう簡単に決断できないし、そうそう簡単に売り手の説明に納得できないわけです。
そもそもわからない言葉が多すぎるんです。
なんとか費用、かんとか基準、なんとかかんとか条例など。土地を買えば、そこで好きに建てられるというわけじゃないんです。土地のスペースだって好きに使えないわけです。
結局、数十年働いて、銀行に金利を払いながらコツコツと返しますって契約したって、所詮は国の土地であり、国から借りているに過ぎないわけです。

おわかりですか?
この世の中に自由な、誰のものでもない土地なんてあり得ないです。コロンブスがポルトガルを出航した時から、ここからここは俺のもの、あそこも俺のもの。あいつを殺して俺のもの。

さしずめ、金も財産も持ってない俺はのび太。すし詰めの満員電車に乗ってる全員、みーんなのび太。

別に国や一部の金持ちやらジャイアンを批判しているのではありません。
国の庇護の下俺は守られているわけで、楽しく生きてます。行きたい国へ行き、会いたい人と会い、生きたい人と一緒にだって生きられます。生きてさえいれば。


つまりさ、何が言いたいかっていうと、「しかたねー!」って事です。だってお金も財産も持ってないんだもの。それだけの軽い責任しか背負ってないんだもの。
どんなビジネスだって、リスクを背負うならそれだけの利益を乗っけるよ。貸した金が返ってこないリスクがある以上、そりゃーそれなりの利益を乗っけてもらわなきゃ。俺だってそうするもの。タダで金なんか借りないよ。だってその方がよっぽど恐いもの。

ジャイアンにはならなくても、スネ夫にはなりたいな。怒られず、いじめられず。若干いじめっ子側で。隣でケラケラ笑ってるポジションが一番いいや。何かあったらジャイアンのせいにしよう。銀行が悪い!国が悪い!って。



・彼女の母親との会食について

怒りに震えた出来事。この件以来、彼女との今後の関係について正直なところ迷っている。

俺はこのまま結婚して良いものなのか、と。
心のどこかで「多分いつか離婚するんだろうな」という疑念というか、半ば確信に近いものがある。
とはいえ、「今は好きなんだからしかたねーじゃん!」という気持ち。

さて、彼女の母親が日本へ里帰りするということで、是非会ってお会いしたい、話を聞きたいということで、向こうから話があった。こっちの母親も交えて四人で、ということ。

嫌な予感がしていた。今思えば、適当な事を言って断れば良かったんだと。まだそんな時期じゃなかったんだ。
家の購入についてバタバタそて微妙な時期であり、彼女と俺の母親の関係が最悪な時期でもあった。互いに思う事があり、母親は彼女との結婚には前向きではなく、彼女も彼女で、俺の母親にはどうも思うところがある。そんな二つの不安要素があった。

某和食店にて、夕食。誰も飲まず、お茶。
当たり障りの無い話。俺はまた体調が悪く、頭はぼーっとして喉も痛かったので特に会話には入らなかった。
まぁ終始フツーの食事で互いの仕事の事など社交辞令のような会話。このまま終わってくれる事を願っていた。

突然、向こうの母親が箸を置く。
「あーやっぱり来たか」と。

まぁ、彼女からいろいろ聞いていたのだろう。
家を買うことについてから始まり、結婚について聞いてきた。
その母親というのは40年前にカナダに移住し、大阪出身の話し方から性格から正に「古い考え方を持つ、典型的な大阪のオバちゃん!」である。

「遠慮するつもりはない」というような話し方で、「今後二人はどうするつもりなのか」と聞いてきた。
もちろん結婚を前提として付き合ってる事を伝える。当然ね。その気がなくたってそう答えるよ、普通はね。でも、少なくともそのつもりで付き合ってるのは本音だったから、そう答えたさ。

1.給料をいくらもらってるのか
それでやっていけるのか
2.若いからもっと遊んだ方がいいんじゃないか
3.娘にはもうちょっと年齢が上で安定した収入の人がいいのでは
俺には何も同じ位の年齢の人がいいのではないか


ふむ。はっきり言って、俺も母親も気分がいいものではない。
結婚前に聞くべき定番の質問と思われるかもしれないが、少なくともまだ「嫁に下さい!」と頼んでいる段階ではない。

それから、一番許せなかった事は、自分の母親の前でそういう話をしてきたこと。
自分の母親にもプライドがあり、自分の息子がふがいないと言われる様な事は気分がいいわけがない。
はっきり言って、一触即発のような感じだった。

母親のいない状況でこういう質問をされるなら結構。
どんな質問でもお答えする気であった。

それぞれの質問を正直にお答えするのならば以下の通り。


1.それを聞く前に、普通の日本のサラリーマン世帯の生活をご理解されているのかどうか。また、それは生活レベルの問題。できる人は半分しか無くてもできるし、できない人はどれだけあってもできない。
まだ一年目ということを考え、会社の規模、職種を考慮すれば、決して贅沢はできないが、人並の生活を営んでいけるであろうことは十分に予想ができる。また、デリカシーの観点から言えば、人の給料など直接聞くべきでない。気心知れた相手ならまだしも。
「やっていけるのか」という質問は、本当にこの日本の生活を知らないということ。加えれば、今までどういうやりくりをし、何を考えて生きてきたのだろうと思う。

結論としては、
「いくらもらっていればご納得されるのでしょうか?もしよろしければご教示頂きたい。」


2.どういう答えを期待しているのか。
仮に「もうかなり遊んだんで、もう大丈夫でーす!」なんて言えば良いのか。
遊べば遊んだで、「遊び人だから気を付けた方がいい」なんていう心配も出てくるのではないだろうか。
それは、もっと遊んだ方がいいというのは当然のアドバイスではあると思うが、どういう遊びを意味しているのだろうか。
人並以上に旅行には行ったし、時々フットサルだってするし、恐らくいつかゴルフだって始めるのかもしれない。本だって読むし、街で買い物もする。
それ以外にどういう遊びを意味しているのだろうか。
合コンや一夜限りの関係やクラブでオールとかそういうことなのだろうか。

結論としては、
「大きなお世話ですよ」


3.本当にうんざりするような質問。まさに愚問と言わざるを得ない。何度、この質問を繰り返せば気が済むのだろう。

それは当然もっと歳を取っていて、社会人として落ち着いた時期に入っていれば良いに決まってる。
仮に自分の時計を早く進められるのならば、喜んで致しましょうよ。でも時間は皆に平等でしょう。俺だけ歳を取ることなんてできない。5年時計を進めて28歳になって結婚の適齢期になれたとしよう。彼女も当然の5年歳を取るわけで、33歳。それでいいと言うのなら、俺は構わないよ。でもそうじゃないわけでしょう。
今までだってけっこう努力してきた。努力でどうにかなるようなことならば、出来る限り達成させようと思う。
でも、これはどうにもならないような類のもの。じゃあ、ドウスレバイインデスカ?その質問の意図を察するに答えは一つしかないでしょう。

結論。
「アナタは一体、何をしに来られたのでしょうか?」


この一件以来、毎日のように俺の母親からは「彼女と結婚するデメリット」みたいなことを延々と語られるわ、俺はイライラするわ、彼女はなぜ俺が怒っているのかを理解できないわで、正直なところ参ってる。

そもそも問題なのがこっちも向こうも一度離婚しているということ。結婚のデメリットを語るのにはスペシャリストなわけだ。結婚のメリットや夢を語ることができない。
もし自分の親が結婚の素晴らしさを自分の身で示してくれたり、元夫の事への愛などを語ってくれたりすれば、「勇気」が持てるのかな。
あんまりに言われるもので、ちょっと考え直そうかなって思い始めてるのが最近の現状。


自分でいうのもなんだけど、けっこう誠実に生きてると思うんだけどな。
そりゃー足りないとこも多いけど、それなりに良くやってると思うんだがな。


考える。

もし俺にお金があったならば。

今抱えてる問題ぜ~んぶ解決する。

お金さえあれば、家の値段がどうだって気にする事はない。
彼女との事も、お金さえあれば向こうの態度だって多少は変わるだろう。

お金さえあれば、と最近よく考える。
こんな大人にはなりたくなかったんだけどな。



あと数ヶ月で24歳。20代半ば。
只今、人生の壁にぶつかってまーす!



今度は良いニュースを書けるように。
また。
2010年...駆け抜けたと言えただろうか。


今年は南米に始まり、学生から社会人へとわかりやすいステップを踏んだ。やっぱりこの二つだな。大きなことと言えば。

社会人になって~みたいなことは御高尚の通り、この場でもツイッターでもさんざん言ってる。
俺も随分と偉そうになったものだな、と日々思う。
同じく学校を卒業して、どんな形であれ社会の一員となった友人も同じく大きな心境の変化はあったようだ。
とはいえ、まぁ根っこの部分から変わるものではない。学校だろうが会社だろうが同じような位置で同じような扱い方をされたり、人に対しても変わらない扱い方をする。それが俗に言う「キャラクター」というやつだね。


まぁそんなに大げさになるような事でもないんだけど、前回の日記から続いているということで、一応記録しておく。
簿記の三級に無事受かりました。二度目の挑戦にて。一度目は50点。今回は74点だった。ちなみにボーダーは70点。まぁギリギリだよね。でも、簿記のような会計というか何というか電卓をカタカタ弾くジャンルは今まで勉強したことのないゼロからのスタートだったので、その分嬉しかった。まぁ高校生でも受かるような資格だけど、努力の結果がこうして形になるのはやっぱり嬉しい。仕事に行く電車の中や、仕事が終わった後にミスドで頑張ったかいがあったかな。
まぁ、社内の一年目のmustの資格を一応クリアしたことも、ホッとしました。

次はTOEICです。
はっきり言って、現状スコアは655点。そして社内平均が約780点。各方面から英語力について批判が高まっています。海外との電話のやりとりで行き違いがあったり、メールではとんちんかんなメールを送り、電話とメール禁止令が下ったりと、商社マンとして俺は一体何なんだろうと、日々苦悩しています。やれやれ、これで二年目を迎えて大丈夫なのかと。


今後の生き方について。
すごくサラリーマン的な考え方になってきています。世間でいう小さくまとまってきています。自分の器が小さく感じます。

とはいえ

どんなに大きな器でも、水が満たされていなきゃ意味は無いわけです。もっと言えば、自分の器がどんだけなのか水を注いでみなければ結局のところわからないわけです。意外とたくさん入ったりもするわけです。逆もまた然り。
車にガソリンを満タンにいれてみて、レシート見たらすごい請求だった、なんてことはあるでしょう?意外と注いでみたら入っちゃうものです。

つまり、俺の器がどんだけぇーなのか、よくわかんないのでとりあえずこぼれるまで注いでみようってことです。
まぁこぼれたらこぼれたでそれはその時考えようってことです。

まず20代の目標として、「資産を積み上げる」ということを考えて行こうと思います。
この考え方は簿記の知識もきっと役に立ったと思います。
何が資産になって、何が単なる費用なのか。
これを考えればひょっとしたら無駄遣いっていうのはけっこう減るかもしれません。

母親と散々モメにモメ、最終的にある決断をすることとしました。

2011年に家を買う!

まぁ実際支払いは母親になったり、人に貸したりと様々な計画を立てているわけですが、ローンを組みます。
大きな借金を背負うわけです。実質的な支払いは頭金の一部ですが、大きな責任を持つ立場には変わりありません。
随分と迷いましたが、最終的には「いったれ!」という気持ちです。

まぁ考えてみれば、支払い家賃はあくまで費用に計上されるわけで、借り入れ金、住宅、ローンは資産として計上されるわけです。(合ってるかどうかわからないけど)
そう考えてみれば、将来何も生み出さない家賃を払い続けるならば、いっそのこと買ってしまえ!という決断に至ったわけです。デメリットを考えればキリがないです。でも、普通のサラリーマンの道を選んだということで、かなり大きなリスクを回避しているわけです。だったら買わなきゃ損ではありませんか?ローン返し終わってやっと自分のものになったらあと数年の余生。なんか悲しいですよね。1年でも2年でも早いとこ終わらしておきたい。終わらしておいた方が得だなって思ったんです。まぁすんごくプラスに考えただけですけど。
まぁ母親の強力な後押しがなければ、向こう10年はこんな考えは出なかっただろうし。考えても現実を帯びなかったでしょうな。

一足先に大人になるよ。
それがどんなに無謀な背伸びだとしても。


来年はどんな年になるかな。
どうせいいことばかりじゃないってことはわかってるし、そんな虫のいいことなんて求めてないからさ、せめて変化や成長を実感できる一年であって欲しいな。

また来年もよろしく。


ではまた。
会社の先輩が押すハンバーグ屋へ行って来た。
一人ハンバーグ屋というのはさすがの俺でもね。
小さい個人経営のではなく、なんつーかファミリー向けの雰囲気満点のところだったので、なんか悪い気がしたというか。

味はまぁ普通。
ハンバーグはレアが好みなので、「GOLD RUSH」という名前からも明らかな通り、西武時代のアメリカを意識としたハンバーグには、レアもミディアムもウェルダンも無かった。肉肉肉!という感じ。それはそれでいいんだけど。



今、ちょっと本屋を覗いて見た。
本が売れないと言われる中、駅前には人がたくさん。
ふと見ると、雑誌って半端ない種類があるんだな。
一冊に使われる経費を考えれば、儲けなんかない商売だってことがわかるよな。
ここに印刷会社が儲かる理由がわかる気がする。
本の出版社は取材費用やら何やらの経費が半端なくかかる。本が売れない時代なら売れる本を作る為にあれやこれやと考えるわけで、経費が増える事があっても減る事はない。
立ち読みを防止しようとすればそれだけ金もかかる。
そんでもって中国野郎が勝手に公開やら海賊版作るもんだから、もうやってらんない。
その点、印刷会社は出版数が減ればそれだけ仕事が無くなるわけだけど、経費が増えるわけでもない。まぁ、会社や商売というのがそんなに簡単なものじゃないから一概には言えないんだけどね。
結局、大きいところが残り、小さきものは踏まれるか、頭を使って生き抜くしか無い。

仮にも「大」の力を借りて仕事をしてみると、世の中がどれだけ信用を得る為に四苦八苦しているかがわかる。
「金の切れ目が縁の切れ目」と言われるように、社会ではトッププライオリティとなっている。

いつか子供ができて、「お金よりも大切なものってなぁに?」と聞かれた時の答えを今やっと用意することができた。


さて、本屋が立ち読み防止のフィルム(+人件費)の経費を削減してくれたお陰でビジネス雑誌を立ち読みすることができた。

「サラリーマンの貯蓄」との見出し。
貯蓄を本気で考えているからこそ、その雑誌は買わない主義の自分にとって、ぴったりのトピック。

収入が上がらない世の中。
景気が上がらず、先行き不安な日本社会では、もはや現状維持ではなかなか給料が上がらず、走り続けてやっと現状の生活を維持するのがやっとだとのこと。

とっても入りたかった総合商社丸紅の社訓は「現状維持は退化なり」。まさに今の俺にとっては耳が痛い話。
とはいえ、それは間違いじゃないと思う。どれだけリードしたって、たった一年ですぐそこに来てるーなんてことは人生で何度でもあったさ。

でもね
休めば遅れるけど、走れば疲れるわけさ。

じゃあ、一体どうすりゃいいの!?ってこと。
んで、そんなのは知らんよってことさ。
神様はさ、何でも知ってるくせに、絶対何も教えてくんないからさ。考えてみりゃ、そりゃそうさ。誰かに教えちゃえば膣女、いや秩序を見出しかねないもんな。インサイダー取引みたいな。俺も!俺も!って。


住友 家訓
第1条、
我営業ハ信用ヲ重ジ、確実ヲ旨トシ、以テ 一家ノ鞏固隆盛ヲ期ス
第2条、
我営業ハ時勢ノ変遷、理財ノ得失ヲ計リ、 弛張興廃スルコトアルベシト雖モ、苟モ 浮利ニ趨リ、軽進スベカラズ

つまりさ、住友っていうのは家訓から分かる通り、すごく堅実なんだな。それは社風にも表れている。なんとなくそれは感じるね。まぁ他と比べられないからあれだけどさ。でもこの家訓は好きだなぁ。基本的で原点というか。
キング三菱はやはり積極的っていうか、常勝的な風格だな。

三菱 社訓
1.所期奉公(事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、
かけがえのない地球環境の維持にも貢献する)
2.処事光明(公明正大で品格のある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する)
3.立業貿易(全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る)


就職面接の前にはぜひ社訓を読む事をおすすめします。社風が少しは見えてきます。
おいらも家族作る時には家訓を作るかな


これから簿記の試験です。

では、また。