人生哲学「人は何のために生きるのか。」
俺が初めてこの問題に直面したのは高校二年の時。
大好きだったサッカー部をやめ、いわゆる不良への道を進み始めた。
不良とは言っても原付を乗り回していただけなようなやんちゃ止まり。
ただただ楽しいとか、楽だから。という選択の毎日で、その生活が楽しかったのは事実だが、あるときふと、自分のしていることの中途半端さに気がついた。でも、もう戻れなかった。
甘ったれた生活を1年以上続けたおれに今更重い腰を上げて行動に移すような精神的にも肉体的にも力は残ってなかった。
今更何をモチベーションにおれは頑張らなければならないのか。。。
なぜ頑張らなければならないのか。。。
生きるため。。。。
じゃあ、なぜ人は生きなければならないのか。。。
そう考えたとき、俺は自分の存在価値を見失った。
今思えばそんなものは初めからなかったのだと思う。
人の存在価値って言うのはそこにあるものじゃなくて、自分で作り上げるものなんだろう。
人それぞれにその価値は違う。
自分が死ぬとき後ろを振り返るとできてるであろうその道のりを見て、そこで初めて見ることのできるもの。
人はなぜ生きているのか。何のために生きているのか。その答えを追い求めることこそが生きる意味なのかもしれない。
人それぞれにその意味は違う。
俺は今たしかに芸術っていう鉱山の中で生きる意味っていうダイヤモンドを発掘しようとしていることを実感している。
きっとそのダイヤモンドはいつか見つかるだろう。
でも、そのダイヤモンドの光り方が自分の求めているものなのかどうかは自分がどれだけ頑張れたかで決まってくる。
おれはそのダイヤモンドを手にしたとき自分でがっかりしないために
おれは頑張らなきゃならないんだ。


