昨日ガキのころからかわいがってくれたおじさんがなくなりました。
82歳とまだ大往生とはいえない歳でした。
いつも88までは生きたいなといっていたとの事でおじさんは悔しかったかもなあ
でもねそのお顔はとても安らかで
ほんとうに昼寝でもしているようで
「ん、あっあ~。おお徹也来てただけえ。」
なんておきてきそうな感じで
とても不思議な感じでした。
何が不思議というのではないのですが
なんかこう
おじさんは優しいのだけどとても無口な人で
大人になってからはちょっととっつきにくさも感じてました。
でもまえにうちのお店におそばを食べに来てくれたときにも
ほめ、そして励ましの言葉をかけてくれとても勇気づけられたのを思い出します。
なんだかぜんぜん実感がわかないなあ
受け入れられないというのではないのですが
なんか本当にいなくなってしまったということが感情でも頭でも理解できない
そんな感じで。
正直悲しみとかそういうものもまだ出てこないというのかな
ただ、なんかこうなにか欠けてるような
そんなかんじ
昨日帰り道山道を走りながらおじさんが住んでいた町を眺めて
このみている空気のどこかにいるのかもなあなんて
わたし霊的なものは信じてませんが
なんかそう思いました。
前にナショナルジオグラフィックで私たちも周りのすべても
物質として循環していると聴きました。
だからたとえば松尾芭蕉の体を構成していた元素のひとつがいま私の体を
こうせいしているかも知れないということだそうです。
おじさんはいなくなってしまったけどこの土地のどこかでそしてこの星のどこかで
また誰かになってまたどこかで接点を持つことが出来たら良いななんて思いました。
おじさんありがとう
そしてまたね。
ではでは
